ec2f8f4e.jpg

タイトル:『君と彼女と彼女の恋。』(ニトロプラス/2013年6月28日)
原画:津路参汰
シナリオ:下倉バイオ
公式:「ととの。」OHP
定価:7500円
評価:C (A~F)

関連
批評空間投稿レビュー (ネタバレ有り) ※外部リンク

※具体的な長文感想・内容紹介は、批評空間さまにて投稿しております。



▼評価: この物語で、恋はできない。
うーん。ある意味予想通りかなぁ。udkさんがブログで、「この作品は物語性よりも評論性の方が強い」と述べておられますが(こちら。なおリンク先もネタバレなので、閲覧には注意)、これには私も全面的に同意。「恋」とはなにか、を問うた作品であり、その答えは物語としてではなく、論述として与えられる。考えさせる力を持っているし、話のタネになることは間違いありません。しかし、論述として見ると強度が足りないし、物語としては中途半端。システム回りや仕掛けなど、やったことの凄さは認めるとしても、トータルで作品としてみると「そんなもんか」という感じでした。ファンの方からは「分かってない」と袋叩きに合うかもしれませんが、むしろこのシステム、こういう主張と切り離して使ったほうが良かったんじゃないかとさえ思います。

▼雑感
批評空間さんに投稿した文章は、私にしては珍しく、結構頑張って構成を考えました。ざっくりとまとめると、次のような感じです。

①『ととの。』は、ユーザーとゲームのヒロインとの恋愛のあり方を問いなおそうとした作品。
②『ととの。』の主張は、キャラを人間のように大切にしろ、ということ。
③しかし、『ととの。』自体はキャラを駒として扱っている。
④そもそもフィクションを現実の下位に置いてしまっている。
⑤あと、細かい問題点もいくつかあるよね。
⑥ただ、見方を変えて「皮肉」を言ってる作品だとすれば凄いかも。

私的なポイントは③のあたりで、なんというか「暴力を振るうな」と言って、暴力を振るった人間を袋叩きにしたり、奴隷解放キャンペーンをやるために奴隷をこき使っているような、微妙な印象を受けました。そのように判断する根拠は感想に書いたんですが、ネタバレなので気になる方はプレイが終わってからご覧ください。

結局、この作品はユーザーとヒロインの関係にクローズアップしたようでいて、ものすごく「作り手」の存在をにおわせるし、それゆえ、キャラが自律的に(自分の判断で)動いているようには見えないんです。全部「作り手の分身」みたいな。いや、美雪に「私は信じる」と言わせてる時点で、テーマのほうがそこまで単純でもないのかもしれませんが、じゃあどこをどうひねってるの? と言われてもポイントが判然としないわけで。

なので、「言いたいことはわかったから、今度は「あなた」が、ヒロインをほんとうに(『ととの。』が主張するような意味で)大切にした作品を作ってください」と言いたくなる(下倉氏が既に作っているというツッコミはナシで。「作り手」はひとりライターの意味ではないですから)。あと、「あなた」が勝手に仕掛けたことを、さもユーザーが悪い、みたいに言うのは勘弁してほしかったりも。

ただ、この作品が非常に高い評価を受けるのもわかる気がします。理由の1つは、問題意識が非常に明快で、しかも多くの人にとって身近なことを問うているから。月次な言い方ですが、非常に質のいい問題を提示しているということです。社会問題を取り扱った映画みたいなもので、その問題に強い関心を持っている人ならば、面白く考えることができる。

2つ目は、凄く丁寧で、凝った作りをしているから。これは私も高く評価したいところで、本当に手抜きなく作っている感じがする。システムとかびっくりしました。普通のゲームだったら、これだけで80点くらい付けたくなります。実際、このギミックを見るためだけにゲーム買っても、損はしないでしょう。

最後に、論述としての粗さが良い方向に働いて、「都合のいい」解釈が許されるから。私は今回、どちらかというとこの作品をなるべく「外側」から見るようにしました。それは、最初にも書いたとおりこれが「論説」だという判断にもとづいているわけですが、ベタに物語として読むと、アオイや美雪の言動はなんとでも解釈できるものが多いんですよね。真逆のことを言ったりやったりしているし。それだけに、解釈者が自分の解釈を補強する要素を拾って来やすいところがあって、「綺麗な」結末とも相俟って、全体をその人好みの、美しい話として納得しやすかったのではないかと思っています。

この作品を素直に「良かった」と言ってる人は、ヒロインが好きなんじゃなくて単に自己愛が強いだけだ、と『ととの。』に辛辣なコメントをしていた人がいましたが、そういうところがあるのかもしれません。

こういうことを書くと、『ととの。』を高評価してる人を馬鹿にしてるのか、とか言われそうですが、そうではありません。『ととの。』はそんな風に、自分をうつす「鏡」として楽しむのがベストな楽しみ方かもしれない、ということです。分析的に考えるのではなく。

んで、この流れのついでで最後に⑥の可能性なんですが、要するにこの作品、「論説によって物語を捉えるっていうのは、こういう残酷なことなんだよ」みたいなメッセージであると考えると、これは非常に説得力がある。というか、私みたいな人間は「やっべー」と思うわけです。

もうちょっと詳しく言うと、私の読んだ限り、『ととの。』は、『ととの。』の物語内部が主張するような意味でヒロインを大事にしていないわけですが、それは物語を内側からではなく外側から見ることによって、ある種必然的に引き起こされた事態なわけです。そして、そのことを誇張して描いたのだとすれば、「ゲームについて論説を書くなんてのは、ヒロインへの冒涜だよね」みたいな皮肉を、ゲームとして表現してみせた、そういう作品なのかもしれない。

だとすれば、かなり的確なことを言ってる気がします。もちろん私は論説を書くタイプの人間なので、すなおに乗っかるわけにはいかないんですが、ものすごくクリティカルな批判だと思う。エロゲーマーではなく、エロゲーレビュアーが、正面から向き合わないといけない問題。「なんでお前ら、物語の中に素直に没入しないの?」って言われてるのだと考える。こんな感じ。

ただ、やっぱりちょっと無理筋かな~。可能性ゼロではないと思うんですが。

というわけで、クドい視点でのレビューになりましたが、知人友人関係では凄く高評価している人も多いので、もし参加者があつまれば、ちょっと座談会的なものをしてみたいなぁと思っています。私の気づいていない魅力に気づけるかもしれないし、そもそもこの作品が掲げているテーマについて、各自の意見を聞くだけでも面白そうだし。

このエントリーをはてなブックマークに追加