先日投稿した、『エッチから恋を引いても、友達にさえなれない。』の感想を見た友人から、「面白いと言ってたのに点数が低いから意味わからん」みたいなコメントをいただきました。彼にとっては70点前後というのは微妙なラインで、私が勧める作品は65点くらいのもあるので、その辺で感覚がズレている、というのです。
普通に考えれば、「お前の点数は参考にならん」という話なのですが、それだけではない、面白い問題もあるような気がいたします。エロゲーの採点にまつわる話は何度か書いていますが、私の考えも逐次更新されているので、自己確認がてら書き進めてみることにしましょう。
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そもそもエロゲーに限らず、作品を評価する方法というのは幾つも考えられます。しかし、その中で「点数制」を選ぶということには、やはり何らかの意味があるはずです。
点数制というのは畢竟、ある基準のもとで統一的に評価することで、質を量に換算しようとする試みであると言えます。そして点数制のポイントというのは、私が見るところ、おもに2つ。まず、①数値化によって分かりやすさを確保すること。そして、②数値化によって比較を容易にすること。
①の客観性というのは、「面白かった」とか「泣けた」とか「秀作だけど佳作ではない」のような文章表現というのは、えてして主観的で分かりにくいというところに問題があります。これが「90点」とか「10点」といわれると、ぱっとわかる。表現のニュアンスなどに頼らず、誰にでも伝わる内容となります。
通知簿の評価にしても、「主体性はあるが人の話をきかず……」という文章より、「協調性 3」のほうが「真ん中よりちょっと上くらい」というイメージが伝わりやすいのではないでしょうか。
一方②は、AとB、AとC、BとC……といった作品を比べやすくなるということ。点数で表示されれば、比較はきわめて簡単です。
①と②は完全に別ものではなくて繋がっています。比較できるからこそわかりやすくなるし、わかりやすい基準だからこそ比較に使えるというわけです。
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ところで、なぜ点数を使って評価をするかというと、そうすることによってメリットがあるからでしょう。
だとすれば、点数制を用いるときには上で述べたような特色を出しやすいほうが良いのではないか。そう考えることができます。思い入れのような主観的な内容は、点数にどうしても混ざってくるでしょうが、たといそうであってもできるだけ明瞭に説明できる基準が設けられるべきです。
別の言い方をすれば、個別の思い入れや情念のようなものを詰め込むには、点数制というのは余り向いていないシステムなのかもしれません。
もちろんこれは私の意見であって、点数にいろいろな要素を詰め込むことは可能だろうし、実際それを目指しているかたがおられることは理解しています。ただ、私は、システムに向き不向きがあるなら向いていることにシステムを使えば良いかなと思っているということです。
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実際、点数制には一定の限界はあるだろうと思います。作品の感想なんかを書いていると、「これは点数化できないなぁ……」というような要素がいくつも出てくる。思い入れなんていうのは、その最たるものでしょう。
この辺りは、学校のテストの点数なんかを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。歴史のテストで間違えた二人の生徒がいて、「源頼朝」と書くべきところを「源朝頼」と書いていた人と「推古天皇」と書いていた人がいたとすれば、前者はあきらかに「わかってる」感じがあります。でも、そういうニュアンスは点数では出せない。頑張れば出せるのかもしれませんが、かなりいろんな「工夫」が必要になります。
点数制というのは評価の方法の一つであり、ある切り口(視点)でものごとを捉えようとする試みです。そうである以上、切り落とされる部分、すくいきれない部分はどうしても出てきてしまう。そして、そこを無理に詰め込もうとすると、もともとあった良さを(「分かりやすさ」など)、かえって失うことにもなりかねない。私は、そんなふうに思います。
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とはいえ、わかり易けりゃなんでも良いかというと、そうでもないのが難しいところですよね。ものすごい極端な例を考えれば、エロゲー採点するとき、「CGが何枚あるか」という、誰にでもわかる基準で採点をして、「きれいきたない」のような主観要素は入れません、というのだと、やはり味気ない。ギチギチに定義を決めて、主観要素が少ない採点ほど素晴らしいなんて思う人はそんなに多くないでしょう。
いや、私は昔ガチガチの点数主義者で、点数ですべてが表現できる! とか思っていたんですけど、5年前くらいから宗旨替えしてます。
結局は中庸というか、「うまいバランス」を取ることが重要で、その方法をめぐって「点数のつけかた」問題が発生するわけですが、最近私は、いっそ分けてしまうのも手かなぁと考えています。これまでは、点数をつけたら点数の説明を文章がしていたり、文章をわかりやすく可視化すると何点になります、みたいな感じを意識していたんですが、別に文章内容と点数がチグハグでもいいんじゃないかと。
つまり、「点数」ではフォローできない部分を補うのが「文章」。あるいは文章の側をメインと考えるなら、主観的になりやすい文章評価の中で、客観的な部分を補うのが点数ということ。それで、文章と点数を足して、主観客観両面からのトータル評価にする、みたいな想定です。
別に片方で全部やらないとダメってことはないと思うんですよね。
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ちなみにこれ、私が創作した方法というわけじゃなくて、じっくり見ると既にやってる人がいっぱいいるような気がします。ただ、方法としてきちんとスタイル化されていないだけで(私の不勉強で、既にきちんとやってる人がいる、ということでしたら是非拝見したいので、教えていただけると幸いです)。
そんなわけで、この辺りを方法的に突き詰めていけば面白いレビューの形ができたりしないかなあと考えているのですが、なかなか良い感じの案は思いつかず……。また、批評空間さんの求めておられる「点数」とはちょっと変わってくるので、投稿を続けるなら分けて考えないといけなくてメンドクサイなぁと二の足を踏んだり踏まなかったり。
まあでも、これは以前から言い続けていることの繰り返しになりますが、点数制というのが何に向いていて何に向かないのか。点数が何を表現し得て、何をそぎ落としてしまうのか。そのあたりのことを、一度じっくりと考えてみたいなぁとは思っています。
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普通に考えれば、「お前の点数は参考にならん」という話なのですが、それだけではない、面白い問題もあるような気がいたします。エロゲーの採点にまつわる話は何度か書いていますが、私の考えも逐次更新されているので、自己確認がてら書き進めてみることにしましょう。
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そもそもエロゲーに限らず、作品を評価する方法というのは幾つも考えられます。しかし、その中で「点数制」を選ぶということには、やはり何らかの意味があるはずです。
点数制というのは畢竟、ある基準のもとで統一的に評価することで、質を量に換算しようとする試みであると言えます。そして点数制のポイントというのは、私が見るところ、おもに2つ。まず、①数値化によって分かりやすさを確保すること。そして、②数値化によって比較を容易にすること。
①の客観性というのは、「面白かった」とか「泣けた」とか「秀作だけど佳作ではない」のような文章表現というのは、えてして主観的で分かりにくいというところに問題があります。これが「90点」とか「10点」といわれると、ぱっとわかる。表現のニュアンスなどに頼らず、誰にでも伝わる内容となります。
通知簿の評価にしても、「主体性はあるが人の話をきかず……」という文章より、「協調性 3」のほうが「真ん中よりちょっと上くらい」というイメージが伝わりやすいのではないでしょうか。
一方②は、AとB、AとC、BとC……といった作品を比べやすくなるということ。点数で表示されれば、比較はきわめて簡単です。
①と②は完全に別ものではなくて繋がっています。比較できるからこそわかりやすくなるし、わかりやすい基準だからこそ比較に使えるというわけです。
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ところで、なぜ点数を使って評価をするかというと、そうすることによってメリットがあるからでしょう。
だとすれば、点数制を用いるときには上で述べたような特色を出しやすいほうが良いのではないか。そう考えることができます。思い入れのような主観的な内容は、点数にどうしても混ざってくるでしょうが、たといそうであってもできるだけ明瞭に説明できる基準が設けられるべきです。
別の言い方をすれば、個別の思い入れや情念のようなものを詰め込むには、点数制というのは余り向いていないシステムなのかもしれません。
もちろんこれは私の意見であって、点数にいろいろな要素を詰め込むことは可能だろうし、実際それを目指しているかたがおられることは理解しています。ただ、私は、システムに向き不向きがあるなら向いていることにシステムを使えば良いかなと思っているということです。
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実際、点数制には一定の限界はあるだろうと思います。作品の感想なんかを書いていると、「これは点数化できないなぁ……」というような要素がいくつも出てくる。思い入れなんていうのは、その最たるものでしょう。
この辺りは、学校のテストの点数なんかを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。歴史のテストで間違えた二人の生徒がいて、「源頼朝」と書くべきところを「源朝頼」と書いていた人と「推古天皇」と書いていた人がいたとすれば、前者はあきらかに「わかってる」感じがあります。でも、そういうニュアンスは点数では出せない。頑張れば出せるのかもしれませんが、かなりいろんな「工夫」が必要になります。
点数制というのは評価の方法の一つであり、ある切り口(視点)でものごとを捉えようとする試みです。そうである以上、切り落とされる部分、すくいきれない部分はどうしても出てきてしまう。そして、そこを無理に詰め込もうとすると、もともとあった良さを(「分かりやすさ」など)、かえって失うことにもなりかねない。私は、そんなふうに思います。
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とはいえ、わかり易けりゃなんでも良いかというと、そうでもないのが難しいところですよね。ものすごい極端な例を考えれば、エロゲー採点するとき、「CGが何枚あるか」という、誰にでもわかる基準で採点をして、「きれいきたない」のような主観要素は入れません、というのだと、やはり味気ない。ギチギチに定義を決めて、主観要素が少ない採点ほど素晴らしいなんて思う人はそんなに多くないでしょう。
いや、私は昔ガチガチの点数主義者で、点数ですべてが表現できる! とか思っていたんですけど、5年前くらいから宗旨替えしてます。
結局は中庸というか、「うまいバランス」を取ることが重要で、その方法をめぐって「点数のつけかた」問題が発生するわけですが、最近私は、いっそ分けてしまうのも手かなぁと考えています。これまでは、点数をつけたら点数の説明を文章がしていたり、文章をわかりやすく可視化すると何点になります、みたいな感じを意識していたんですが、別に文章内容と点数がチグハグでもいいんじゃないかと。
つまり、「点数」ではフォローできない部分を補うのが「文章」。あるいは文章の側をメインと考えるなら、主観的になりやすい文章評価の中で、客観的な部分を補うのが点数ということ。それで、文章と点数を足して、主観客観両面からのトータル評価にする、みたいな想定です。
別に片方で全部やらないとダメってことはないと思うんですよね。
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ちなみにこれ、私が創作した方法というわけじゃなくて、じっくり見ると既にやってる人がいっぱいいるような気がします。ただ、方法としてきちんとスタイル化されていないだけで(私の不勉強で、既にきちんとやってる人がいる、ということでしたら是非拝見したいので、教えていただけると幸いです)。
そんなわけで、この辺りを方法的に突き詰めていけば面白いレビューの形ができたりしないかなあと考えているのですが、なかなか良い感じの案は思いつかず……。また、批評空間さんの求めておられる「点数」とはちょっと変わってくるので、投稿を続けるなら分けて考えないといけなくてメンドクサイなぁと二の足を踏んだり踏まなかったり。
まあでも、これは以前から言い続けていることの繰り返しになりますが、点数制というのが何に向いていて何に向かないのか。点数が何を表現し得て、何をそぎ落としてしまうのか。そのあたりのことを、一度じっくりと考えてみたいなぁとは思っています。
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採点に関して確認になりますが、批評空間さんでは「点数」と「文章」によってレビューを書くことができます。正確には1)点数のみで文章なし2)文章のみで点数なし3)点数と文章の両方でレビューを投稿することができます。
「点数」のつけ方もさまざまで、加点方式や減点方式、1点毎や5点毎だったり、0~100点までの幅を生かして採点されている方や50点以下はつけないとか、100点はつけない、100点はひとつだけとか、多種多様です。
一方「文章」は一言だけだったり、文字数限界まで書いてある一言感想や短い長文感想、一万文字を超える長文感想などがあり、長所を褒める書き方や短所を指摘する書き方、ウケを狙ったり、考察したり、妄想したり、gimmickを仕掛けたり(そんな人はいませんよね!?)とこちらも多種多様です。
投稿のスタイルは1)2)3)の3種類ですが「点数」と「文章」の組み合わせにより、表現方法は無限大であるといえるかもしれません。
ただ「点数」に限っていえば0~100点までのひとつの数字で表します。OYOYOさんがおっしゃるように数字の良さに分かりやすさや比較のしやすさなどがありますが、ひとつの数字は「結果」のみを表し、その数字を決定するまでの「過程」を表現することはできません。これは紛れもなく数字の弱点だと思います。
例えば60点という評価をした作品があるとします。その過程をAとすると、A=60という式で表すことができます。Aにはいろんな種類があります。例えば10+15+15+20=60、90-30=60、30×2=60、(90+50+40)÷3=60など。言葉に置き換えると、いくつかの項目の合計で60点になった場合や加点と減点を加味して60点になった場合、客観的評価に主観をプラスして60点になった場合などになります。
どれがいい、悪いではなく、いろんな過程があって点数という結果につながるわけです。そして結果しか見えない「数字」を補えるのが過程を表現できる「文章」である、と私も思います。逆に主観が入りやすい「文章」の弱点を補えるのが客観的評価をした「数字」というのも納得です。ただ批評空間さんでは客観的評価を基本としながらも主観による点数の増減を認めている為、主観のよる点数の増減を完全に排除した客観的評価だけの点数は批評空間さんの求める「点数」とは違ってしまう、ということで良かったでしょうか?
個人的に気になったのは、『個別の思い入れや情念のようなものを詰め込むには、点数制というのは余り向いていないシステム』という点についてです。主観のみで表す0~100の点数「ラブ度」みたいなものを併記すれば、簡単で分かりやすい指標にならないかな?なんて思いました。もちろん補足で文章は必要だと思いますが。
最後にOYOYOさんのレビュー、『エッチから恋を引いても、友達にさえなれない。』66点についてですが、OYOYOさんとその友達の間で66点いう点数がもつ感覚基準が異なるというのがズレの大きな原因だと思いますが、OYOYOさんが66点という採点をつけるまでの過程と、OYOYOさんの友達が想像した過程が異なったのもズレの原因のひとつだと考えます。
OYOYOさんのレビューで『非常に楽しめた』というコメントから主観的ブラス要素が感じられ、『中だるみする』というコメントからシナリオ構成や表現上の問題によるマイナス要素が感じられました。トータルの結果が66点という数字になっていますが、私には点数と文章でズレがあるようには感じられませんでした。
OYOYOさんの友人にとって70点前後は微妙という感覚らしいので、OYOYOさんの感想を見る前に66点という数字から主にマイナス要素がクローズアップされた過程を思い描いたのではないでしょうか?そのうえで感想を見てプラス要素をあまり感じられなかったので、最初に思い浮かべた過程が修正されることはなく、OYOYOさんから聞いた面白いという話とズレがあると判断した、と想像しました。
私がOYOYOさんから面白いと聞いてレビューを拝見した場合、もう少しプラス要素が欲しいと考えますが、非ネタバレ感想のため、書きたくても書けないプラス要素部分があるのかなあ、なんて想像しちゃいますね~。
面白いレビューの形、期待していますね(はーと)