昔の○○は、もっと面白かった――。


私の場合、「○○」の部分には「エロゲー」が入ることが多いのですが、そういう言い方は、割りとそこかしこで耳にすると思います。私もたぶん、何度か言ったことはある。何度どころか、何十回かもしれません。

ただ、最近思うところがあって、あんまり言わないようにしています。いやまあ、昔を振り返ったり懐かしむことはある。また、「昔のやつだけど、○○は良かった」みたいなことは言います。でも、(いまと比較して)「もっと」という言い方はやめておこう、と。あくまで、私だけの話ですよ。他人様が言ってるのは別に、気になりません。

んで、私がやめてる理由は二つあります。

一つ目の理由は、これは単純に、事実かどうかわからないから。いわゆる「思い出補正」が入っている可能性は多分にある。おそらく、当時のものをいまに持ってきたら、満足できない可能性は高い。いや、満足できるのかもしれませんけれど、じゃあいまのものを当時に持って行ったら不満かというと、全然そんなことはないだろうという感もあります。

つまり、比較するのは良いけれど、基準が一定かどうか分かんないよなぁ、と自分で自信がなくなった。なので言わない。もし基準が違っていたら、生産的な話にはなりにくいですからね。自分でかみ合わない議論を生んでいるだけになってしまう。

もう一つの理由は、どっちかというとこれがメインなのですが、対象の問題ではなくて自分の問題ではないかという気がしてきたから。

個別に、この作品とこの作品を比べてこうだ、というなら別として、漠然と「昔の○○は……」みたいな言い方をするとき、私の場合たいていは、「昔はもっとワクワクしたのになぁ」という、雑駁な印象でモノを言っています。そしてそれは、単に自分の見方が硬直化してきてるだけなんじゃないかという気がする……とでも言いましょうか。

だから、「昔の自分は、もっと○○を楽しんでいた」というのが正解ではないか。わかりやすい例を挙げれば、教育テレビとかでやってた子ども向けの番組を見なくなるのは、番組自体が面白くなくなったからではなくて、それを見る側の好みの変化によるところが大きいでしょう。パターンは逆ですが、それと似たような感じです。

もしかすると、心持ちや見方を変えるだけで、「いま」は劇的に楽しく、面白くなるかもしれません。懐古趣味にかまけてとまでは言わないにしても、昔を懐かしむことに必死になり、いまの楽しみを見失ってしまったら勿体ない。

そんなふうに発想を切り替えて、できるだけ「いま」の楽しみを探していこうかなぁと思っています。なかなかに難しいですけど。

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