最近、ちょくちょく挨拶の手紙や文書を貰うことが増えたのですが、仕事の取引相手みたいな場合はともかく、ちょっと親しい関係くらいの相手から、「拝啓 新緑のみぎり……」みたいな手紙がくると、ちょっと寂しい気持ちになるんだなぁと実感しています。

自分が書く側だと、定形表現というのは「書かないと失礼」だと思うし、また「他に何も考えなくていいからラク」であるため、結構便利に使っていました。しかし、いざ貰ってみるとそういう文章からは、相手の顔が見えてこない。無機質な、というのは言い過ぎとしても、その文章で何を伝えたかったのか、さっぱりわかりません。

いやもちろん、「挨拶」がしたかったというのはわかりますよ。けれど、それがどういう挨拶なのか。たとえばお礼状だとすれば、心からの感謝なのかとか、どういう種類のうれしさがあったのかが、見えてこない。単に「礼状送らないと失礼だしな」というくらいの、形式的な作業というか、そういった対処として送られてきたのかなぁとか思ってしまったりもする。

「寂しい気持ち」とこの記事の最初で言ったのは、そんな感じです。書き手のモチベーションが、お礼を伝えることにではなく、礼状を書いて体面を保つことにあるように見える。礼儀ですから形式的な要素が全くないことはないとはいえ、そればっかりだったりすると、やはりどうも味気なく感じる私は、やはり古い人間なのでしょうか。

何れにしても、自分が何か書いて送る時は、やはりひとことふたこと、「自分のことば」を付け加えて送るようにしたいなと、そんなことを思ったのでした。


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