いわゆる「オタクあるある」みたいな話で、マイナーな時は熱心に応援していた作品や作家さんに対して、メジャーになると急にアンチになるとか、そこまで行かなくても応援熱が冷めるとか、そういうのがあります。自分だけのものでなくなったら手のひらを返す狭量さの証として、自虐ネタにもよく使われます。

私もテンプレ的オタクの例に漏れず、そういう習性が少なからずあるのですが、じゃあどうしてこれまで応援していたものが認められてメジャーになることに抵抗があるのかというと、単純に独占欲とか、(自分のほうが早く目をつけていたということを自慢したい)功名心だとか、そういったものだけではないという気がします。

もちろんそれらのものが無いとは言いませんが、それよりも大きいのは、自分の好きなコンテンツなり作家さんなりが「消費」されていくのを見るのが忍びないなぁという感覚。

「一過性の盛り上がり」みたいなのを経ると、想像もしていなかったような評価が根付いたり、あるいは妙な形でファン同士の対立が起こったりということは少なからずあります。たとえば、その作品についての「物知り」や「権威」と呼ばれる人が出てきて発言権を握ったり、ファンの間でもイベントやグッズを通して信仰の深さを競い合ったりする。そういうのを含めて、ヒットするということは、多くの人のコミュニケーションの手段になる、ということです。

それが一概に悪いことだとは言えないにしろ、そうやって好きなものが手段化され、疲弊していくというのは辛いものがあります。だから、いっときの喧騒を離れて、遠目から見るようなスタンスになってしまうのかもしれません。

まあメジャーヒットした作品のすべてが、消費されているだけだとは思いませんけれども、あの「なんとなく嫌な感じ」を説明するとしたら、こんな感じになるのかなと思ったのでした。

いや、単に狭量なだけってことでも良いんですけどね。

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