「長すぎる文章」(文章量が多すぎる文章)ということばがある。このとき、長すぎるというのは、何に(あるいは誰に)とって長すぎるのか。原理的には、二通りの解釈ができる。まず、読者にとって長すぎる。そしてもう一つは、文章にとって長すぎる。

ここでいう「文章」というのは、書き手のことではない、というのは一応ことわっておきたい。書き手にとって長すぎる文章というのは、原則存在しない。なぜなら、文章が存在しているということは、書き手は既にその文章を書き上げているのであり、つまりは書ききることができる程度の長さではあったのである。書き手が「長すぎた」と真に言えるのは、あまりの長さに書くことを断念した場合くらいだろう。

とまれ、ここでは表現された文章と、実際のその文章の書き手とを分けていることが伝われば良い。


さて、文章と読者という二者関係について考える場合、まず読者の立場から文章に出すことのできる感想は多い。たとえば、難しすぎるであるとか、句読点が不適切で読みづらいであるとか、文章に勢いがあって良いだとか。長すぎる、というのもそのような、読者にとっての主観の問題であることがほとんどである。

この時見落とされるのは、その文章にとって(文章というもの一般ではなく)、長さがどのような意味を持つのか、ということである。はたして、文章の内容と長さというのは、まったく切り離して考えることができるものなのだろうか。少し具体的に考えてみよう。