投票を間近に控え、選挙運動が活溌になってきました。皆さん、もうどの党に、あるいは誰に、投票するか決められましたか? 私はまだ迷っています。

私の地区は結構候補者が入り乱れており、現在連続当選を目指す民主党の某氏と、それを阻止せんと息巻く自民の若手の某氏とが激戦を繰り広げる中、間隙を縫って維新が議席を狙い、共産がブレない夢を語るといった混迷の様相を呈しております。果たしてどうなることやら。

それにつけても思うのは、街宣車で「お願い」に見える候補者のダメさ。

民主は自民の、その他政党は民主の過去の政策を批判・非難し、それだけを垂れ流して走っていきます。もちろん、過去への反省は必要ですし、また対立軸を明確にすることで自分の立場を明確にするという意図はわかる。

わかるのですが、問題はいまの街宣車はそのレベルに行っていないということ。具体的なことはほとんど語らず、語ってもおおざっぱなことだけで「こんなことをやった○○党に投票する気になりますか!?」って、単なる感情的なプロパガンダ以上の意味があるんでしょうか。そして、それをやって大失敗したのが前回の選挙じゃなかったんですか……。

大失敗というのは、民主党が政権握ったことでも、候補者の誰かさんが落選したことでもありません。政治不信が一層加速し、日本という国が混乱する原因をつくったという意味です。政治全体の失敗です。これは、どの党の責任とか国民が悪いとかいう責任追及以前に、日本の政治の問題として解決しなければならない、憂うべき事態です。

ぶっちゃけた話、大声で「アイツが悪い!」と罵倒を繰り返されても、何の判断根拠にもならない。しかし、そんな人しかいないなら、その中から一人を選ばざるをえない。あ、私は白票を投じるというのはしないつもりです(意思表示としては最悪の方法だと思っているので)。

もちろん、街宣車や演説で小難しいことをやっても誰もついてこられないのかもしれません。目先の当選を考えたら、わかりやすいアピールをすべきで、それは相手を罵ることだと言われりゃ、そりゃそうなんでしょう。そして、きちんと調べれば各候補者の方針や政策はちゃんとHPやビラ等にありますから、投票する側がそれを見れば良いという理屈もわかります。

でも、それに甘えて罵倒合戦を繰り返してきた結果が、いまのワイドショーみたいな選挙なんじゃないんでしょうか。もし、候補者の誰もが政策ベースで話を進め、もちろん過去への反省はするけれどそれが理性的なものであったなら、投票する側だってもっと積極的にそういう視点でものを考えただろうと思う。

逆に、投票する側がきちんと政策ベースで議論しようとしている候補者に投票すれば、候補者もそちらに重点をおいたスピーチをするでしょうから、鶏が先か卵が先かでどっちが悪いとかそういう話ではないのでしょうが、候補者は自分、自分の所属する党の前に、日本という国の政治を大事にするべきではないかと。選挙に負けて、ああ、コイツに負けたのなら仕方がない。彼ならこの国の政治をもっと良い方向に持っていってくれるだろうと、そんな風に思える戦いをしてほしいんですけど。え、夢見すぎですか? そうですね。

理想論は措くとして、今回の選挙の主要な観点は経済と原発。それにまあ外交・特に安全保障やTPPあたりがついてくるんでしょうか。私の場合投票基準としては経済と教育がベースになるんですが、その辺は人によってさまざまかと思われます。

肝心なのは、それぞれの党がどういうスタンスで政策を考えていて、そのメリットとデメリットは何なのかを国民が理解すること。そして候補者は国民が判断できるよう、きちんと情報を伝えることでしょう。(ややこしくなるので書きませんが、この点で最も責任重大なのはマスコミだと私は考えています)

たとえば、社会保障っていうけどそのお金はどこから出てくるの? とか。前回民主党政権になったとき、彼らは「ここにお金を新しく注ぎ込みます」と言ったけれど、じゃあその財源はどこからなのかを言わなかった(埋蔵金とは言っていましたが、それではまかないきれない量でしたし、そもそもあるかないかも解らないものに乗っかるのは選挙以前の問題です)。

お金の使い道が変わって、どこかが多くなると言うことはどこかが少なくなるのは当たり前。でも、どこが減らされるかを言っていなかった。だから、「仕分け」騒ぎのようなことが起きたわけです。キツい言い方をすれば後になって騒ぐなんてのはダマされたほうが悪いのであって、本当なら「どこを減らすのか」は投票前に確認しておかねばならないことであったと思う。もちろん、私を含めての反省です。

民主党政権が誕生したことの反省というのは、結果にではなく過程にこそ求められるべきです。それは、国民も、あるいは候補者も、十分な形で選挙という制度、民主主義という制度を活かせていないのではないかというところ。以前にも書いたかも知れませんが、民主が勝つにしても「僅差」で勝てばこんなことにはならなかった。民主党もいつ自民に追い越されるかという緊張感があるから下手なことはできないし、もっと緊迫した二大政党政治になっていたかもしれません。

投票する側は、「民主が圧勝しそうだ」ということであれば、多少意を曲げても自民にいれてバランスをとるとか、そういう感覚があっても良かった。それが選挙というシステムの活用法だと思う。

けれど、現実にはそうはならず、もたらされた結果はごらんのありさまであり、その原因の一つは間違いなく、「お祭り」のような熱狂と感情論で選挙が動いたためでしょう。

にもかかわらず、前回と同じようなスタイルで同じようなことを繰り返そうとしている候補者の姿を見て、私としては「まるで成長していない……」とのたまった安西先生のような気分になってしまったのでした。

とても候補者には期待できそうにもないので、これはもう、投票者が頑張るしかないですかね……。それとも、こんな事態になってるのはうちの地区だけなのかしら。

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