先日、読売新聞の夕刊に一面で掲載されていた「重症ネットゲーム依存」という記事。オンラインの方でも同じ内容が読めるので、ちょっと紹介しておきます。リンクはこちら。ただ、新聞記事はすぐ消えるので全文を引用しておきます。
 睡眠2時間、百万円使う…重症ネットゲーム依存 

若者を中心に“オンラインゲーム依存症”が深刻化している。

「どうしてもゲームをやめられない」「高額の金を使ってしまう」などと病院に相談する件数は急増。ネット依存の専門外来を設ける病院も現れた。

 ◆届いた督促状

 「まずい、2時間も寝てしまった」。午前6時。ソファで携帯電話を握りしめたまま眠っていた東京都内の男子専門学校生(19)は跳び起きると、また携帯をいじり始めた。ほとんど寝ないでゲームに没頭する日もある。

 携帯ゲームを始めたのは中学1年の頃。最初は通学中の暇つぶしだったが、次第に生活が変わり始めた。

 ゲームは原則無料だが、100~1000円の有料アイテムを使えば、キャラクターの体力や攻撃力を高めることができる。ゲームで知り合った「仲間」から、「強いね」とほめられると心地よかった。

 高校に入ると、アルバイト代など毎月8万円前後をつぎ込み始めた。お年玉の10万円は10日間で消えた。5万円の督促状が自宅に郵送され、親に発覚した時には、既に100万円以上を投じていた。寝不足で遅刻を繰り返すようになり、体重も数キロ減っていた。

 家族に連れられて民間団体のカウンセリングを受けたのは高校2年の冬。一時的にゲームから離れたが、今春、専門学校に入学すると再び別のゲームにはまってしまった。「もう限界。このまま死んじゃうんじゃないか」と不安を口にする専門学校生だが、やめられない。「将来に希望がもてない。でも、ゲームの中では着実にキャラクターが成長していき、現実社会にはない達成感がある」と話す。

 不登校の相談に応じる社団法人「不登校支援センター」(本部・名古屋市)によると、オンラインゲームへの依存での相談者数は、今年に入って7月までに327人に上った。全国webカウンセリング協議会でも、同種の相談はこの3年間で約150件に達した。

 今年5月にソーシャルゲームの規制に乗り出した消費者庁の幹部は「スマートフォンの普及で、外出先でもベッドでも四六時中ゲームにのめり込む環境になった」と指摘する。

(2012年10月10日18時08分 読売新聞)


という話なのですが……うーん、どうも違和感を覚えます。どういうことかというとこの記事、ソーシャルゲームとネットゲームを分けずに書いているんじゃないか? ということです。

最初の19歳男子専門学校生のエピソード。携帯電話で没頭するゲームって、いわゆる「ソーシャルゲーム」ですよね。アイテム課金で巨額の資金を注ぎ込むエピソードなんかも、あきらかにソーシャルのものです。

しかし、私の経験と知識と記憶が確かなら、ソーシャルゲームで「2時間も眠れない」というプレッシャーを受けることはあんまり無い。それは、「ネットゲーム」です。

いやちょっとまて、そもそもその二つは違うのか? という疑問を持つ人もいるでしょう。どっちもネット通信を利用した「ネットゲーム」として扱って良いではないか。現にこの記事のタイトルは、「ネットゲーム依存」ではないか、と。しかし、たとえば総務省HPの「〈6.ソーシャルゲーム等の中毒性がもたらす悪影響〉」(※PDFファイル)という項目を見ると、「事例6の1」は「ソーシャルゲーム上での金銭の浪費」。「事例6の2」は「オンラインゲームの長時間利用による日常生活への悪影響」となっており、携帯電話等で行う「ソーシャルゲーム」とパソコン中心の「オンラインゲーム」とを、その形式と特性とから一応区別していることがわかります。

ゲーム業界の言説を見渡してみても、オンラインゲーム側が「ソーシャルゲームとは別」と主張している例があるなど(「ソーシャルゲームは本人、オンラインゲームはキャラ――ゲームディレクター“しおにく”が語る両者の違い」)、一応両者に区別を設けようというのが主流であるように私には見えます。むろん両者はともに広義のネットゲーム(オンラインゲーム)であり、かつまたコミュニティを形成することからソーシャルな要素を含んでいます。MMORPGにSNS要素が「逆輸入」されたり、かつては存在した同期/非同期といった外見上の違いも通用しづらくなるなど、両者の間がボーダレス化しつつあるというのはその通りかもしれません。また、24時間監視体制に入っていなければならないような、大量の時間がコストとして必要なソーシャルゲームだって幾つかあるのかもしれない。

しかし、時間をリソースとするオンラインゲームとお金をリソースとするソーシャルゲームというのは、やっぱり基本的な性質が違うものでしょう。少なくとも、大量に時間をつぎこむ心性と、大量にお金をつぎこむ心性とは、似たようなものに見えてその実全く異なると思います。前者はゲーム世界における「労働」であり、後者は「博打」ですから。

細かいことを、と言われそう。気にしすぎ、神経質だと。でも、たとえば次のような記事を想像してみて下さい。「ストンと落ちる落差あるスライダーで三振に仕留めた」……。これを読んで野球ファンなら、「あれ?」と思うのではないでしょうか。縦スラかもしれないけど、普通はこういう書き方しないよな……ストンと落ちるのはフォークだろ、みたいな。こういうのはどうも、あんまり良くわかっていない人が無理にひねり出した記事のように見える。今回の記事についても同様です。

新聞の一面やオンライン誌上に掲載されるわけですから、何も知らない人がこれを読んで、オンラインゲームやソーシャルゲームに対する知識がおかしなことになっていくかもしれません。報道ってそれで良いのかな? と思わないでもない。

もちろん印象操作――すなわち、「重課金しつつ睡眠時間も奪い身体がぼろぼろになるのがネットゲーム」という印象を植え付けたいだけなら止めはしません。ただそれ、報道機関の仕事ではないですよね。やっぱりそこはきちんと、「and」ではなく「or」だよ(お金を使うタイプのものと、時間を使うタイプのものとがある)、というお断りがあってもよかったかな、と思うのですが、どんなもんでしょう。少なくとも「依存症」として、つまり「現代病」的な症例として扱うというなら、その症状についての言及には精度と責任とが求められるのではないでしょうか。

現代の深刻な「病」として「ネットゲーム」を扱ったこの記事が、「現場」のネットゲーマーたちほどもその問題の深刻さを受けとめ切れていないように思ったのでした。

……あとこれは単なる愚痴で、ホントになんでも「病」になりますね。そりゃ儲かるんだろうけどさー、とナナメから見たい気分になる。まさかゲーム依存症で外来があるとは思いませんでした。ただ、こちらの記事(「睡眠不足症候群」)なんかを見ると、ゲームは単に生活が不規則になるだけではなく、「夜間のネオン、ゲームの映像、携帯画面は強い光を発しており、否応なしに目に入ります。これが睡眠障害の原因にもなります」ということなので、単なる精神論で終わらさず、医学的見地からのアプローチがあるというのは悪いことではないのかも知れませんが。「フィギュア萌え族」とか「ゲーム脳」みたいなことにだけはならないように祈るばかり。

というわけで、本日はソーシャルゲームとネットゲームのお話。それでは、また明日。

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