sing yesterday08
冬目景『イエスタデイをうたって』 8巻
(集英社、2012年7月19日)

新 刊 キタ━━(゚∀゚)━━!!!

というわけで、私が大好きな漫画のひとつ、冬目景さんの『イエスタデイをうたって』、待望の新刊が発売されました。

7巻がでたのが2010年11月。6巻が2008年11月でまるまる2年かかったことを考えると、ビジネスジャンプ誌の休刊などがあった中で無事に発売されたことを喜ぶべきなのでしょう。ちなみに、1巻が出たのは1999年3月19日。もう13年も続いているということより、13年経ってもまだ巻数が1ケタであるということのほうがオドロキです。

さて今回、8巻の内容の話はいたしません。

本作はあらすじには何の意味も無いと同時に、あらすじが全てでもあるからです。

「あらすじに何の意味も無い」というのは、本作では登場人物たちの具体的なエピソードとそれにまつわる心情描写こそが面白さなので、その具体性に踏み込むこと無しに語られる筋は抜け殻のようなものであるということ。

一方「あらすじが全て」というのは、この作品の筋立てはそれぞれに片思いをする登場人物たちがどういう関係を結ぶか、というところにあるので、「誰と誰が良い感じになってデートしたけど結局別れた」みたいなことを書いたら、ほとんどネタバレ状態になってしまうということです。

しかも、大変な遅筆に加えて物語の展開も亀の歩みなので、何巻かまとめて買う、という人がリアルにいる。そういう人にとっては、7巻読んでるのが前提となるようなことを言ってしまっても大変なことになりかねないわけで、そんなの気にするなと言われてもそれこそ4年、5年待った楽しみをおじゃんにするというのはさすがに寝覚めが悪いし……などと考えているともうめんどくさいから具体的な話はせずに「とりあえず読め」でいいや、と。

シリーズをご存じない方の為にちょっとだけ説明すると、この物語の軸となる登場人物は、フリーターの魚住陸生(うおずみ りくお)、リクオの大学の同級生で都内で化学教師をしている森ノ目榀子(もりのめ しなこ)、陸生を好きな少女・野中晴(のなか はる)の3人。ちなみに、表紙はずっとハルちゃん(7巻のみ陸生が登場)。

これまでの展開を見ると、この3人「友達以上恋人未満」の関係の中に周囲の人が入ろうとしたり、あるいは3人の外で起こっている恋愛が描かれたりする中で、結局陸生たちが自分の心の在処を探る、というような話になっています。

単に恋愛だけの話というわけでもなく、それぞれ自分がどう生きるか(リクオはカメラの仕事をやりたい、ハルは家庭の事情、榀子は他界した想い人のことで、それぞれ彼らなりに深刻な事情を抱え、「前にすすめ」ずにいる)ということも同時に描かれています。

ただ、私が本作を好きなのはやはり恋愛絡みの部分。

奥華子さんの名曲「恋」ではありませんが、「どうして あたしじゃ駄目なの? どうして あなたでなくちゃ駄目なんだろう」という感じです。あきらめることもできた。自分を好きだと言ってくれる人もいる。それでも、「あなたでなくちゃ駄目」という想い。それを、燃え上がるような強烈さとしてではなくて、本当に些細な日常の1場面だったり、あるいは他の人との付き合いの中で感じる違和感だったりという小さな感情の揺れとして捉えているのが、たまらなく魅力的です。

燃え上がるような恋というのは、「この想いだけは本物だ!」という勢いで押し切れるところがあるのですが、本作のように静かで微妙な心の動きとして描かれる恋というのは、「この想いって勘違いかもなあ……」という感覚が常にまとわりついている。そうやって疑いを積み重ねながら、やっぱりどうしても消えない想いを手探りで見つけようとする。

「万葉集」を研究した伊藤博は、「恋ふ」というのは目の前には存在しないものを求める気持ちだと説明しています。そして、「恋」は「孤悲」(コヒ)と書いた。誰かを想う気持ちは、その相手がいない孤独・悲しみの中においてこそ、最も強く見出される。「恋」の観念ってそんなものかもしれないなあ、と思います。だからこそ、「この人じゃない」ということによって自分の想いを確かめているリクオたちの煮え切らない不器用な「恋」が、逆に強く輝いて見えるのかもしれません。

というわけで、本日は『イエスタデイをうたって』の話でした。また明日。

このエントリーをはてなブックマークに追加