本日は七月七日。七夕です。

しかし、あいにくの雨。このままじゃ、織り姫さんと彦星くんも浮かばれないにゃあ……。

そういえば「七夕」の風習って日本ではいつからはじまったのでしょうか。気になって、Wikipedia先生に聞いてみました。先生曰く。

日本では、雑令によって7月7日が節日と定められ、相撲御覧(相撲の節会)、七夕の詩賦、乞巧奠などが奈良時代以来行われていた。その後平城天皇が7月7日に亡くなると、826年(天長3年)相撲御覧が別の日に移され、行事は分化して星合と乞巧奠が盛んになった。
のだそうで。「たなばた」の語源については、次のように書かれています。
『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。
へー。

内容の裏はとってないのですが、『国史大辞典』からの引用・参照になっているので、それなりに信憑性はあるんじゃないかと思います。(いい加減)

元々は旧暦の7月7日(現在だと8月7日ごろ)のイベントで、その日は月が早く沈むので天の川が見えやすい。新暦だとその辺まちまちなので天の川を見るには旧暦のほうが良いのだ、という話はよく耳にします。Wikipedia先生によると、「新暦では、晴れる確率は約26%(東京)と低」いそうで、イマイチ新暦の七夕はイベントに向いてないんじゃないかという疑惑も……。東京だけ旧暦にしたらどうでしょう(笑)。

もともとは中国の祭事で、
織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされているが、まだ7月7日との関わりは明らかではない。その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠と織女・牽牛伝説が関連づけられていることがはっきりと分かる。
のだとか。

日本・中国だけではなく東アジア全土に広く伝わっている行事のようです。

スゲエ、Wikipedia先生のお言葉を丸パクリするだけで記事が出来つつある……! いやまあ、七夕っていつから始まったのか、という疑問から出発してググった時点でこうなることは目に見えていたわけですが……。思ったよりWikipedia先生の資料がしっかりしていたのが嬉しい誤算でした。

このまま旧暦の話にうつったり、「八月十五日」と書いて「なかあき」と読む名字の人がいるんだぜ! とかいうトリビアにつっこんでも良いかなと思いつつ、余り面白い話にはなりそうもなかったので退散。

子どもの頃は笹に短冊をつけてお祈りしたものです。子どもは多いはずなのに、うちの近所では全く七夕イベントをしている気配がなくて、ちょっと寂しい。皆さん、家の中とかに飾っているのかな。私も秘かにオモチャの笹をかってきて、願い事を書いてみようと思います。

世界が平和で 健康にエロゲーができますように。

それでは、また明日。

このエントリーをはてなブックマークに追加