オタリア4
村上凛『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ』4巻
(富士見ファンタジア文庫、2012年6月20日、イラスト:あなぽん)

4巻が発売されました、『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ』。どうも略称は『オタリア』と言うそうで。「オタリア」といえば普通、チリ、ペルー、ウルグアイ、アルゼンチンなどの沿岸に生息する、ネコ目アシカ亜目アシカ科アシカ亜科オタリア属の海棲哺乳類を思い出すところなのですが……。

オタリア(動物)
オタリア。一夫多妻制社会で、ハーレムを作って暮らすそうです。意味深な。


さて、前回やや気まずくなった柏田君と桃ちゃんですが、今回はその関係の改善を目指すために、柏田君があちこちに時限爆弾をセットしてまわるような展開になっています。

ストーリーの軸は3本。1本目が桃と柏田の協力関係の行方。2本目は鈴木と桃の恋愛関係(鈴木の「彼女」疑惑について)の行方。そして3本目が、小豆と柏田の恋愛関係の行方。それぞれが入り乱れ、絡み合いながら、より関係が複雑化していく見所の多い巻です。そして相変わらず、カラオケボックス(柏田のバイト先)での山本さんは素敵に伏線だけばらまいて去っていきます。前回チョイ役だったムラサキさんは、今回はメインに近いアドバイザーとして引き続き登場……というか「リア充」ポジションだった桃が「オタク」サイドに引きずり下ろされてきた穴を埋めるべく、だいぶ便利に使われていました(笑)。

面白い巻ではあったと思いますが、ちょっと緊張感高め。それも、派手に爆発して解決が見える類のものではなく、これから何か良くないことが起こるかも、という静かで先が見えない雰囲気を漂わせています。一応ラブコメ的な展開ではありつつも、その裏には常に「自覚していない桃への想いのために、他を踏み台にしている」というメッセージが流れているように見えて、そのせいでとても重苦しい。いよいよ、本格的に物語が動き出す。そんな予感がします。いやいや、楽しみですね!

できれば長谷川さんには幸せになってほしいなあ……。

さて、ここへ来てこの作品が言うところの「オタク」が何であるか、なんとなくイメージが変わってきた気がします。

連載開始当初の表現としては、「オタク」は眉毛を整えていないヤツだとか何だとか色々言われていました。これはつまり、「流行」(周囲の人々の視線)に敏感であり、また自分がどのように見られているかという自己把握がしっかりできている、ということです。女の子にモテるとか、会話が弾むとかいうのはその結果もたらされる副産物でしかない。

その逆を行くのが、「オタク」として描かれる柏田や鈴木ら。彼らの最も本質的な特徴というのは、「自分を外側から見る目を持たない」と言うことなのでしょう。他人からの視線に鈍感であり、それゆえ自分のことについても頓着しない。

今巻で柏田は、小豆に対してある行動を取ってトラブルの引き金を引きますが、これは小豆が自分をどう見ているか(小豆にどう思われるか)に無頓着で、しかも自分が桃のことをどう思っているかを意識していないからです。

ただ、ここ最近描かれる「オタク」の性質はこれだけではないのかもしれません。というのは、同じく「オタク」であるはずのムラサキさんは非常に自己を客観視しているし、それゆえ他人が何を考えているかということに敏感です。今巻でも、さまざまな配慮を見せる。

一方、柏田や桃が傷つけられるのは、いわゆる「リア充」と呼ばれる連中の心ないひと言であったり、態度であったりします。カラオケボックスのやりとりはその典型だし、今回もその「リア充」が桃を傷つけようとする。これは単に「オタク」の側の歪んだ嫉妬ではなく、やはり「リア充」側に起因する問題点であるように思われます。

つまり、流行に敏感で他人の視線を常に意識しているはずの「リア充」たちもまた、他人の視線・思惑に対して本質的なところでは関与できていない。ここで、「リア充」と「オタク」の本質的な違いが無くなっているとも言えます。変な言い方ですが、たとえばこの小説を読んだオタクが、「あるある……やっぱ俺オタクだわ! 刺さる!」と思って身悶えたとしたら、少なくともその人には自分を外側から見る目が備わっているということになるはずです。桃というきっかけを得たことで、柏田もまたそのような視点を手に入れている。

この4巻までで、柏田の柏田たる所以というのは明らかに「鈍感」ということ――自分の気持ちもきちんとわかっていなければ、他人にどう見られ・思われているかもわかっていない――あるいは、自分が勝手に想定した「自分」の枠の中に閉じこもっているというところにありました。それが柏田の自意識の強さのような形で描かれている。

しかし、その彼の視点からすれば、「リア充」と呼ばれる連中もまた、自分にも他人にも配慮しない人間であったはずです。「オタク」の自意識は自分が何をしたいかであり、「リア充」の自意識は自分がどう見られたいか。いずれにしても、その強い自意識こそが他人との距離感を崩してしまっているのです。

そして、柏田の長谷川さんへの憧れは、彼女が自分にも他人にも適切に振る舞えている(リア充っぽい外見でありながら、子どもに優しい笑顔を向けていた)ということへの憧れである、と説明することができるでしょう。

この手の話を、「オタク擁護」あるいは「オタクを実は叩いている」のような図式から説明するというレビューが増えているようで、それは大いに構わないのですが、本作においては現状、最初に導入した一般通念としての「オタク」-「リア充」という図式は消滅しつつあるように見えます。

では、この作品の中では何が問題にされるのか。あるいは、この作品で言われる「オタク」や「リア充」は、私たちが作品の外側で使っている言葉だと何と呼ぶのが相応しいか。そんなことに関心を持ちながら、柏田と桃の関係の行く末を、楽しみに見守りたいと思います。

いやもう個人的には『れでぃばと!』よろしく(アニメほんとに最高でした)、な~んも考えずにハーレムルートでもいいんですけど、これまでの展開とかタイトルとか、柏田の自意識とか考えるにそれは無理でしょうしねぇ……(´・ω・`)。

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