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タイトル:『群青の空を越えて』(light/2005年9月30日)
原画:黒鷲/シナリオ:早狩武志
公式:http://www.light.gr.jp/light/products/gunjou/index.htm
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ注意
定価:8800円
評価:A(A~E)


批評空間さまにて、感想を投稿しております。内容について興味のある方は、上記リンクから拙文をご覧下さい。

二万字オーバーの感想を書いて、さすがに今日は文章を書く気になれないので、私の感想の導入をそのまま貼り付ける形でお茶を濁します……。
切なく悲しい物語の基調に、どこか胸躍る興奮が加わる、何とも言えない昂揚感。難解な用語や複雑な背景がバンバン登場し、プレイ当時は掴みきれなかった要素も多かったのですが、そんな些々たる事実にはとらわれず楽しませる力がこの作品にはあると思います。実際多くのエロゲーマーが、本作の魅力を捉え、表現しようとそれぞれに力の入ったレビューや考察を書いている。その一事をとっても、『群青の空を越えて』という作品がそうさせるだけの力をもっている(あう・あわないは措くとして)ということは、疑いようもない事実でしょう。

「架空航空戦記」。そう銘打たれた本作は多くの場合、確かにその名に違わぬ出色の戦記物として評価されています。しかしレビュー・感想を見ていると、そればかりではありません。作中細かく視点人物が入れ替わり、登場するそれぞれのキャラの心情が細かく描かれる独特の手法に加え、ライター・企画者である早狩氏の「架空戦記ありきで立ち上げた企画ではない」、「本質的には人間群像劇」といった発言(ビジュアルファンブック)の影響力もあってか、まずは群像劇として見なす評もたくさんあります。また、数は少ないうえに賛否が大きく分かれるのですが、戦争という主題を扱ったテーマ作品として評価が下されたり、エロゲーらしく恋物語として(社会や時代に翻弄されながらも個人の想いを貫くことを描いた作品として)受け取った、という人もいたようです。

ここで、色々な角度から光を当てて楽しめるこの作品は凄い! と褒めたいところですが、普通こういうのは作品に統一感が無い、と言います。エロゲー作品に対する評価が異なるということはそれほど珍しくありませんが、しかし、何を描いていたかという評価軸がここまで見事にバラバラになるというのは、実は結構珍しい。ただこのように、作品の評価以前の解釈が大きく別れる原因は、わりとはっきりしているように思います。

先に挙げた用語の難解さなどもその一因でしょう。けれど、本質的にはそれではない。

作品解釈に多くの基準が乱立する一方で、共通する見解もあります。それは、「どうもはっきりしない終わり方をした」ということ。本作の最後、主人公である社は「何の為に戦うのか」という問いを発し、その答えをまさに言おうとしたところで、唐突にEDに突入します。この終わり方については賛否両論ありました。しかし、社が結論を出さずに終わったがゆえに、この作品が何を言わんとしていたかということや、作品の位置づけ――社たちは幸せだったのかそうでないのか、その根拠はどこでどう描かれているのか――に対する判断が難しいという点では、誰もが一致している。つまり、この作品は結末が曖昧なままに受け入れられているわけです。明らかにこのせいで、統一的な作品解釈に関して混乱が生じていると言えるでしょう。

いくつかのレビューには、本作を「ポストモダン的」だと評していたものがありました。このような評価はまさに、統一的解釈が可能でない作品であるという、そのことを作品の本質と見なそうという立場です。作品全体を通してさまざまな価値が相対化されていき、最後は作品そのものの意味や価値も相対的なものとしてユーザーに投げられた。以上のような考えは確かに、「答えを出さないことが答えだ」という形で、本作の結論を提示しています。しかし、そうなると今度はポストモダンの課題である、「それって何の意味があるの?」という別の――しかもより深刻な問いに晒されることになる。なぜ深刻か、詳しい説明は省きますが、ひとつだけ本質的なことを言うならば、「答えをださないこと」が作品の結論だったと仮定すれば、本作で描かれている社たちの生き方や苦しみや戦いは、すべて「他人」にすぎない私達ユーザーにとっては無意味なものとなり、切り捨てるしかなくなるからです。それはそれであり得る解釈かもしれませんが、私自身がこの作品を通して味わった思いを、そのように切り捨ててしまうことには少なからぬ抵抗があるし、まあ実際プレイ後の印象としても、そんな身も蓋もない不毛な話ではなかったと思うのです。

なるほど、ポストモダン的な――少なくとも「国家」や「民族」、「正義」といったモダンを相対化するという視点は、この作品に描かれていました。けれどその先に、社たちは戦う意味や生きる意味を喪失したのでしょうか。「ならば、今一度、俺は問いましょう。何故、我々は戦い続けてきたのだろうか、と」。社のこの問いかけは、本当に意味のない問いだったのでしょうか。私は、そうではないと思う。社は戦う意味を見出しているし、それは作品の中にきっちりと描き取られていると思うのです。

本レビューはいま述べてきたような前提に立って、「戦う意味は何か」という問いへの答えを、言い換えれば社たちが目指していたものが何だったかということを、作品から読みとることを目指したものです。その為に、少し長くなりますが個別ルートの検証なども行います。そういった丁寧な理解のうえに作品に対する感想はあるべきだと思うからです。そしてまた、内容を整理することで複雑なこの作品の見通しを少しでも良くし、作品への解釈や感想を他の多くの人が紡ぐ参考になればいいと、そのようなことをひそかに期待してもいます。前置きが長くなりましたが、それでは本論に入っていきましょう。

という感じで、感想を書きました。狙いとしては思想がどうとか物語の構造がどうとか、そういう話よりは社たちが何をして、結局この物語は社たちにとってどういう結末だったのか、というのを考えたかったということがあります。

この物語、戦記物であるのは当然として、政治の話として読んでも経済の話として読んでも、歴史の話として読んでも、もちろん恋愛話として読んでも、結構どこからでもきちんと読めるというのはエンターテインメントとして凄く秀逸だと思います。

ただ、それだけにあの「宙ぶらりん」な終わり方が、いっそう作品の意味を拡散してしまった感じがある。私なんかがいろいろ書くまでもなく、すぐれた視点のレビューはいっぱいあったのですが、個人的に社たちが何をしたかったかということ、作中でいえばあの最後の演説は何を訴えていたのかということに対して、満足できる解釈なり説明なりというのは、見ることがありませんでした。特に、あの部分を作品がユーザーに投げた(言えなかった)というのは、作中で「戦後」の描写がある以上、私としては同意できない。

そういうわけで、「社の演説」から『群青の空を越えて』という作品をもういちど捉えなおしてみたい、というのが今回のレビューでした。はっきり言って古い作品ですし、分析好きの人しか読まないだろうという気もしているので、かなりくどくどしいことを書いたりもしています。

全部言い切った、という感じは全然ないのですが、視点を一箇所に絞って掘り下げる、という作業は一応、途中までかも知れませんがやったつもりです。『群青』やったし語るの好きだ! という人に読んで、あれこれご感想なりご指摘なりお叱りなりを頂ければ幸いです。

今日明日はさすがに無理ですが、そのうち個別ルートについてもっと細かくとか、包括的な話はするかもしれません。いまの投稿文も、まだ練り直していくと思いますので。

というかぶっちゃけ、『群青』の話しながらお酒とか呑みたい……! 誰かいませんか(笑)。別にウーロン茶でも良いんですが、とにかく私の周りではやっている人があんまりいないんですよね。残念なことに。

というわけで、やや手抜き気味ですが本日はこれで。また明日、できたらお会いしましょう(ちょっとややこしい予定が入りそうなので)。

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