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冴木忍『メルヴィ&カシム』1~6巻
(1991年~ 富士見ファンタジア文庫 イラスト:幡池裕行【1,2】→竹井正樹【3~6】)
シリーズ一覧
『幻想封歌』:1991年
『銀の魔女』:1993年
『いかなる星の下に』:1994年
『未来は君のもの』:1995年
『明日はきっと晴れ!』:1996年
『六花の舞う頃に』:2000年

以前紹介した『カイルロッド』の作者、冴木忍さんのデビュー作。それが、『メルヴィ&カシム』です。また古い本、しかも未完というダブルパンチで需要が低い気もしますが、こういうほうが逆に新しいだろう! という意味のわからない言いわけをしつつ、紹介させていただきます。

全世界に名を轟かす大魔法使いメルヴィと、その弟子・カシムが主人公。語りは、カシムの一人称です(冴木氏の作品の中では結構めずらしい)。魔法使いというのは基本的に誰かの依頼を受けて厄介事を解決するなどして生計を立てており、メルヴィは容姿端麗なうえに並ぶもの無しの実力者。さぞや繁盛しているだろう……と思いきや、二人は毎日塩スープ(要するに具が無い)をすするしかないような貧乏ぐらしを強いられていたのでした。

それもこれも、原因はメルヴィ。なにせ、傲岸不遜、美女には優しいが男に対してはゴミ以下の扱いというフェミニスト。ひとたび動けば強大な魔力で気に入らないものを全て吹き飛ばすというありさま。おかげで、轟くその名は悪名ばかり。依頼人もほとんど来ない。曰く、「依頼しに行くときの暗い表情が、帰る時はさらに暗くなる」、「最悪が二乗になる」、「依頼しないほうがマシ」……。本当にどうしようもなくなって、大博打に出た人か、とんでもない陰謀にメルヴィを利用しようとする人しか依頼には訪れない、という状況。カシムはそんなメルヴィに拾われて弟子入りしたものの、魔法は一切教えてもらえず、専業主夫として家事にいそしむ毎日を送っているのでした。

そんなメルヴィ一家ですから、ひとたび依頼が舞い込むと、さぁ大変。とんでもなく厄介な依頼だったり、とんでもなく胡散臭い依頼だったりと、行く先行く先で金田一少年やコナン君も真っ青のトラブル連発。基本的には全てメルヴィが解決するのですが、その過程で、「なんでもできる」魔法の力というのが決して無邪気に幸せをもたらすものではないということや、魔法では解決できない(してはいけない)問題があるということなどをカシムが学び、少しずつ成長していく、という物語です。

シリーズものではあるのですが、基本的に1話完結の物語が続いていて、全てを紹介してもうっとうしいだけ(私としては苦痛ではないのですが)でしょうから、デビュー作である『銀の魔女』(単行本2冊目ですが、第一回ファンタジア大賞で佳作をとったのが『銀の魔女』)のお話をしておきましょう。

発端は、都市国家《青の都》の大臣からの依頼。王子二人による王位争いのさなか、シルディールという謎の美女が突如あらわれ、王の遺言状と王冠を手に王位を簒奪。王子ともども大臣をたたき出した……。と、そこまで聞いたところでメルヴィがぶち切れ。「お家騒動なんぞにつきあってられるか!」と、大臣を殴り飛ばし、酒場を吹き飛ばしての大惨事。挙句の果てに大臣のふところから金銀宝石を盗んでいたということで警備隊に囲まれ、あわや大捕物の大ピンチに。その後なんだかんだあって、シルディールに面会したカシムは、《青の都》にまつわるある大きな秘密と、彼女の意外な正体を知ることになるのでした。

50ページほどの短編で、(加筆修正されているとはいえ)デビュー作。テーマ先行というか、途中経過や心理描写がすっとばし気味で唐突なのは否めません。他の作品や、2巻に収録されている「月の雫の降る都」や「君に吹く風」と比べても、完成度はやや劣るというのが正直なところです。

しかし、それにもかかわらずなのか、それゆえになのか、後半怒涛の展開に含まれるエッセンスは、いかにも「冴木節」という感じ。全てを見届けた後のシルディール。カシムの叫び声。そして、「俺だとて夢をいつまでも残してはおけん」という、メルヴィの重く、悲しい一言。

人は誰もが、どうしようもないできごとに直面して、どうしようもない想いを胸に生きて、結局どうすることもできないままに死んで行く。冴木忍の描く世界は、そういうやりきれないキャラクターたちが大量に出てきます。本作には、そういう「冴木ワールド」のエッセンスが、びっしりと詰まっている。

昨今のエロゲーだったら、「鬱エンド」とか言われていたかもしれません。けれど、『メルヴィ&カシム』が人気なのは、鬱だから、というわけではないでしょう。多くのレビューが「悲しくも美しい」という表現を好んで用いているように、この物語は、どこかで「救い」があって、綺麗に落ちがつく。確かに悲しくて、哀しくて、やりきれない想いが渦巻くのだけれど、どこかでこのキャラたちは救われたという感じがする。

それ(救われた感)はたぶん、メルヴィが「なんでもできる」魔法使いと称されているからこそ、それでもどうしようもないできごとを前に本気で苦悩していることと、無力なカシムが自分の無力と世の理不尽に対して本気で嘆き悲しんでいることとが、読んでいる私たちに伝わるからだと思います。カシムやメルヴィは、きっとこのどうしようもないことを、ずっと覚えているだろう。そして、読み手である私たちも同じように、このできごとを悲しみ、記憶にとどめておこう。そう思えるということが、作中のキャラクターにとって何よりも強い慰めや救いになるのだと思います。

ここまでしてきたような説明からだとちょっと青臭いというか、冴木作品の引力が劇的に働く年代というのは、思春期の真っ只中という印象をうけるかもしれないのですが、そんなことはありません。私自身の経験で言えば、昔はカシムやメルヴィに重ねていた想いを、いまは依頼人のほうに重ねて読むことができる。違った視点で読むことで、また違った面白さが見えてくる作品です。

今回は『メルヴィ&カシム』のお話でした。一部同年代のオッサンとか、コアなファン狙い撃ちと言われそうですが、実際その通りなので言いわけはしません。でも、手に入るならぜひ読んでみてほしいなーと思います。富士見さん、復刊してくれませんか……。というか、続刊はもうでないかなあ(泣)。

というわけで、本日はこれにて。また明日、お会いしましょう。それでは。

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