しかし我々はこれらの一切を排除してもなお人を思い浮かべ得るが、ただ顔だけは取りのけることができない。(中略)そうしてみると、胴体から引き離した首はそれ自身「人」の表現として立ち得るにかかわらず、首から離した胴体は断片に化するということになる。顔が人の存在にとっていかに中心的地位を持つかはここに露骨に示されている。 (和辻哲郎『面とペルソナ』)

2月24日の記事に、「全く関係ない話ですが およよさんって「アヘ顔」についてどう考えておられるのですか?」というコメントを頂きました。記事は『セーエキ!ぶっかけ牧場! ~お汁いっぱい、精霊達をHに飼イク!~』の攻略と感想だったので、本当に全く関係のない話なのですが、しかし、これは大変興味深いお題を頂きましたので、ご返答がてら記事を書いてみようと思います。

さて、「アヘ顔」についての考えと言われまして、「アヘ顔、良いですね、最高だ! 顔射なんて顔が白くなるだけのクズだよ!」とか、そういう話では無いだろうと。おそらくご質問の主旨は、アヘ顔とは本質的に何であり、どうして今これほど支持を集めているのか、とかそういうお話であると考えました。想像の域は出ませんが、思いつくことを述べてみます。

まず、アヘ顔がエロゲー・エロ漫画界隈でこれほど浸透したということは、何らかの性的な表現として受け取られている証拠だと言えるのは間違いないでしょう。では何が表現されているのかというと、快感の飽和であり、そこから派生する無力さが表現されている、というのが私の考えです。

アヘ顔というのは、快感によって表情が制御不能になり、涙やら涎やらを垂れ流し、白目を剥く、みたいな状態です。多分。つまり、その意味では失禁や痙攣、気絶といったものと本質的には同じラインの上に乗るのではないかと考えます。自分でコントロールできないほどの快感を受けて征服される=無力になるということですね。

それでは、失禁やら何やらとの違いは何かということが次の問題になりますが、これは、「顔」であることかなと思います。冒頭に、『面とペルソナ』を引用しましたが、これは半ばギャグですが、半分は本気です。つまり、「顔」というのは人(キャラ)にとって、最も分かりやすい特徴であり、言うなればその人の象徴です(世の中にはおっぱいで人やキャラを見分けるおっぱいマイスターもおられるようですが……)。つまり、「顔」が制御できなくなるということは、自らの象徴・本質的な部分を支配されるということで、大変強いキャラの支配をイメージさせるのではないでしょうか。そうしてそのことが、ユーザーの征服欲を満たし、興奮へと繋がるのではないか。最もそのキャラクターの本質的な部分を押さえたという達成感が表現しやすいのが、顔だ、ということになる。だいたい、そんな感じです。

あとは、いささか雑談めいた話になりますが、昔のエロゲーはそれほどグラフィックで表情が変化しませんでした。DOSで大人気を誇った『同級生2』などは目パチ、口パクがありましたが、表情的には頬が赤らんだり、目をつぶったりするくらいだった。また当然、音声もありませんでしたから、直接あえぎ声などが描かれることも少なかった。どちらかといえば性行為の状況を描写してHシーンを演出するものが多かったように記憶しています。

しかし、次第に直接的な要素をHシーンに盛り込み、刺激に想像力が不要なものが増えてきました。最近出た某作品のUSBオナホールなどは、ネタ的に捉えられていますが、Hシーンでの刺激という視点で捉えれば非常に先駆的な仕掛けかもしれません。

と、このような内容でもって、一応の回答とさせていただきますが、お答えになったでしょうか。

「アヘ顔」について、考えたことも無かったのですが、言われてムム、ナルホド、と唸りました。いささか思いつきで述べた部分が多く、議論としてはまだまだ膨らませられるかと思いますし、もしかすると私の知らないところで既に多くの「アヘ顔」論があるのかもしれません。だとすると大変恥ずかしいことを言っているかもしれないです……。

繰り返しになりますが、不勉強なうえ、周辺的な話をよく調べもせずに書きました。もし一家言あるという方や、「アヘ顔」についての既存の議論などをご存知のかたがおられたら、是非いろいろと教えて頂きたく存じます。

といったところで、今回はここまで。それでは、また。

このエントリーをはてなブックマークに追加