さて、以前少しツイッターで話題になった「エロゲーにおける純愛とは何か」論争。私自身は「純愛」という言葉の定義にそれほど関心は無かったので本筋とはあまり関係ないことを発言したのですが、友人とちらりそんな話になったので、少しだけ書いてみたいと思います。ただ、「純愛とは何か」について考えるのがこの記事の目的ではなく、「エロゲーにおける純愛とは何かと考えるにはどうするか」というほうが近いと思います。ナンダソリャと思われるかも知れませんが、ストレートに「純愛とは何か」と考えたい方にとっても、それなりに意味のある内容にはなるかな、と思います。

たしか「純愛とは何か」の話が持ち上がったとき、私は言葉の歴史的変遷を追いたい、みたいなことを言ったと記憶している(その旨を呟いたら、@highcampusさんから丁寧に色々な情報をまとめて頂きました。その節はありがとうございました)のですが、ややこしい語義の検討をする場合には、割と昔からある手法だと考えています。

そういう手法を地でいっておられて、しかもかなり面白い格好の例があったので紹介しますと、ご存知の方も多いでしょうか。「ちゆ12歳」さんのこちらの記事。「おもむろに「おもむろに」の意味を考える」と題されたこの記事は、現在人によって使われ方がだいぶいろいろと変わってしまった「おもむろに」という言葉についての分析です。人によって使い方が違う「純愛」の元の意味は何か、というのと、何となく似ていますね。

決定的な違いは、「おもむろに」には辞書という強い味方がいるので原義をほぼ確定させて検討を始めることができますが、エロゲーにおける「純愛」に辞書的な意味が無い、ということでしょうか。しかし、ちゆ12歳さんでとっておられる手法というのは非常に有効です。

当該記事で行われているのは、地道なリサーチであり、現状さまざまな使われ方をしている「おもむろに」をピックアップし、その微妙な意味の違いを分析し、それによって腑分けを行う、という作業です。もちろん一人でこの世界の全ての「おもむろに」を検討するわけにはいきませんから、選別は恣意的にならざるをえません。ただ、それでもひとつの判断を示すことに大きな意味があるのです。たとえば、「ちゆさんはこういっていたけど、この使い方はどれとも違う気がする」のように、次々に新しい使い方が報告されるかもしれません。基礎研究というのは、一発で完成させるのが目的ではなく、次の人の積み重ねのための礎になることが重要なのです。たとえ結論が誤っていたとしても、しっかりした視点と方法を提示していれば、後人がそれを参考にできるという意味で、たいへん優れた研究と言えます。

作品に対するレビューや感想も実は同じようなところがあって、他の人に何か作品を読むきっかけとなる視点を与えることができれば、それはそれで成功していると私は思うのですが、ここでは関係無かったですね。失礼しました。

ともあれ、結論の成否はさて措き、「礎になる」という意味で「おもむろに」の分析は興味深く、また分析内容自体もたいへん妥当に思われるのですが、現在さまざまに使われている「純愛」も、おそらくこれと同じか、あるいはもっと複雑な意味の違いを孕んでいると思われます。私が注目したのは、90年代中葉から「凌辱」「鬼畜」の対義語のように用いられ始めた「純愛」という言葉でしたが、それ以前から「純愛」という語はあったでしょう。ということはその当時は別の意味で使われていたわけですし、現在また、「純愛」という言葉を独立の意味で使う人も増えていると思われます。

ハッキリいえば、半ばマジックワードのようになっていますから、「純愛」という語が本来どのような意味であるべきかを問うのは、意味が無いように思います。それよりは、自分が使う「純愛」というのはこのような意味だ、ということを意識し、相手に伝えられることのほうが重要で、また有用でしょう

けれどその為には、自分の「純愛」が他の人の言う「純愛」とどう違い、どこが同じなのかを説明しなければなりません。ただ自分の主張だけをくり返していても、もともとが分かりにくい言葉ですから、相手も自分と同じように深く理解しているとは限らない。むしろ相手も「俺流の純愛」というのを強く持っていて、それを振り回してくる可能性が高い。そうなると、単なる宗教戦争で、コーランと聖書の殴り合いにしかならないことは目に見えています。

ですから、たとえばレビューに使うとか何とかの事情で、説明概念として「純愛」を有効に使いたいということであれば、「純愛」という語が現在どのくらいさまざまな意味で使われているのか、その相対的な位置関係をはっきりさせるのが良いし。「あなたの純愛はこういう意味だけど、私はこういう意味で使っていて、それによってこれこれのことを強調しているのだ」と言えば、わかりやすいし喧嘩にもなりにくいハズ。そのためには、「純愛」という語が辿ってきた変遷をおいかけると分かりやすい(その歴史から現在の解釈が生まれたわけですから)、とこういう話をしたつもりでした。

もちろん、俺には俺の「純愛」があるからそれでいいのだ、というスタンスはまったくありだと思います。その場合、こういう話はあまり響かないかもしれませんね。

では、エロゲーにおける「純愛」という語の歴史的変遷はどうなってるんだ、という話をしようかとも思ったのですが、ちょっと長く為りすぎるしタイトルにもあわないので、今回は区切りよくこの辺で終わることにしましょう。実際問題、その辺の地味な話題ってあまり読みたい人もおられないでしょうし……。アクセス数はそこまで気にせずに書いていますが、エロゲー話書いたときと、こういう堅い話書いたときとで倍くらい反応が違うと、さすがにこういう話が望まれてないのかなぁ、という自覚はできます。まあ、それでもやりますけど、ダラダラとはやらん! ということで。

それではまた。

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