少し前のことですが、これもツイッターでリツイートが回ってきた時にちらりと考えたことです。元々の発言はこちら。一応、全文を引用しておきます。

まあを多用する人は、 自己防衛の本能が強く、自分のテリトリー(領域)を荒そうとする相手には攻撃的な態度で接するタイプ。自分自身に科する理想は高いのだが、同時に劣等感も持ち合わせているので、心の葛藤に悩みやすい。

▼これってバーナム?
さて、「あるある」と思わず納得しかけて、あれ、何かおかしいな、と思いました。「まずは疑ってかかれ」という言葉にしたがって、批判的検討を加えてみましょう。

まず、「自己防衛の本能が強く」という部分。まあを多用しようがしまいが、大抵の人は自己防衛本能が強いと思います。本能、という語の意味は気になりますが、さしあたり《自分を守ろうとする無意識の働き》くらいに考えておきましょうか。人間社会で生きている以上、自分から傷つきたがる人というのは少ないでしょうから、自己防衛本能はほとんどの人が持っています。そして、ここのミソは単に「強い」としか書いていないこと。誰かより強い、何かより強い、という基準が存在しないため、読み手が「自分は結構自分を守りたがるな」と思えば、この部分は該当することになります。読み手が自分で掘って埋まる穴を用意できるような書き方になっているわけです。

次に、「自分のテリトリー(領域)を荒そうとする相手には攻撃的な態度で接する」という部分について。これなどはわかりやすいですね。自分の領域に踏み込んでくるだけならまだしも、「荒らそう」としてくる相手に対し、攻撃しない人のほうがレアでしょう。逃げるにしても、敵意くらいは抱くハズです。攻撃する、ではなく攻撃的な態度、ですから、イラッとくるとか、カチンと着た程度でも該当しますね。ここは、ごくごく一般的な、誰にでも該当するようなことを述べているに過ぎません。

話を進めましょう。「自分自身に科する理想は高い」という文言。これも実は、非常に曖昧で幅広く解釈できます。理想が高いということは、現状では叶っていない理想を持っているということです。普通に考えればこれは、「向上心が高い」という意味。しかし、それだけではありません。現状が思い通りになっていないということは、「現状に不満がある」ということです。つまりこの「自分自身に科する理想は高い」という文言は、現状に納得していない人であれば誰でもあてはまる可能性があるし、現状に納得していても、更に向上しようと考えている人にもあてはまります。このカテゴライズから逃れられる人、そうそうたくさんいるわけない。

更に、「同時に劣等感も持ち合わせている」という部分。劣等感がどの程度のものか述べられていないのがポイントですね。小さな劣等感すら抱かずに生きている人などいないでしょう。つまりこれもまた、殆どの人にあてはまる内容、ということになります。

こうして見ると上述したツイート、もっともらしく言っているけれど肝心の内容は「誰にでも当てはまること」ばかり。いわゆる「バーナム効果」か、それに限りなく近い発言であると言ってしまって良いと思います。十分条件は満たしているけれど、肝心の内容が余りにも幅広すぎるわけです。つまり実質、「まあを多用する人は人間である」と言っているのと大して変わらないのではないか、ということでした。

(ただしここでは、この発言者の方が意図的にそうした、と言うつもりはありません。140文字という制限の中では複雑なことは言えませんし、余計なものをそぎ落とした結果、こうなってしまった可能性は十分にあります。単に、こうして流通した発言の性質は、バーナム効果を孕んでいるということを言っているだけです。もっとも、これが狙ったものだとしたら、字数制限も含めて恐るべき計算に基づいた、もの凄く完成度が高いトラップのような気がします)

▼蛇足
とは言ってみたものの、「まあ」のような語が、何らかの意味を持つことも確かにあるように思います。原理的にはこの文章は「ささくれを向く人は~」でも「爪を噛む人は~」でも、「チョココロネをお尻から食べる人は~」でも同じなのです。しかし、これでは多分、たくさんの人が「おっ?」と思うことは無かったでしょう。

実際問題、少なくとも100人以上の人がリツイートする程には(そのうち、これを信じた人がどのくらいいるのかという問題もありますが)、「それっぽい」感じがする。「まあを多用する人」という問題設定が巧いわけです。ではここにある「それっぽさ」は何に起因するのでしょう。

「まあ」という語は一般に、曖昧さを示す場合があります(それが全てではありません)。『広辞苑』では、「①(かなりの程度であることを表す)まず。まずまず。「-よい方だろう」」として紹介されていました。なんとなく程度が高いのは高いけれど、はっきりとは言えない/言いたくないとき、「まあ」と言うわけですね。「まあいいです」とか、「まあそういうわけで」とか。

もちろん、「まあ」には他の意味もある以上、「まあ」を多用する人がどんな人か、ということは言えません。けれど、曖昧にぼかしたいときに、「まあ」を多用しがちである、ということは言えるかもしれない。あるいは、曖昧に言うための「まあ」を多用する人は、という限定をつければ、人の性格について何か特別なことは言えるのかもしれません。

この辺は、私のようながさつな人間には厳密な考察ができませんので完全に投げますが、「まあ」に限らず「なんか」とか「ちょっと」のような語が用いられやすくなる心理状態について検討した本があれば、読んでみたいかなという気はします。

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