エロゲーやってると時々、「信者」ということばが出てきます。ライター信者、ブランド信者……etc。ここで言う「信者」というのは、それが好きで無条件に買う人、みたいなニュアンスだと思っていたのですが、先日友人たちと話をしていて、「「信者」は批判をするのか?」みたいな疑問が出てきました。

私は常々、「信者だからってなんでもかんでも全肯定ということはなくて、ダメなものはダメというのが(ちゃんとした)信者なんじゃないの」みたいな風に思っていたのですが、別の友人が言うには、「そんなのは信者ではなくてファンである。信者というのは全部鵜呑みくらいのヤツを言うんじゃないのか」と。

その後あれこれ盛り上がったんですが、結論としては「どっちでも良いのかもね」みたいな感じに落ち着きました。

その時、ちょっと話題にしたのは、「信者」を「忠誠」に置き換えてみるとわかりやすいかもしれないね、と。たとえば、三國志をもとにした『蒼天航路』という漫画で、呂布の軍師をつとめた陳宮という男がいます。この漫画の陳宮はかなり忠義の人として描かれている印象でした。

呂布軍が下邳に籠城すると決めたとき、陳宮はその選択が愚かであると悟りながら、君主である呂布に従います。それは、呂布に惚れ込み、呂布が呂布らしくあることにこそ価値を見出していた陳宮の忠誠でした。

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滅びを悟っても、主君のやること、やりたいことを全力でサポートする。「信者」の話に置き直すと、私の友人が言っていたような、「全部鵜呑み」パターンにあたるかと思われます。

いっぽう、三國志つながりでいくと、対照的なのが袁紹配下の軍師、田豊。彼は曹操との決戦を前にした主君・袁紹の方針にことごとく異を唱え反対し、その結果疎まれて投獄されてしまいました。結果的には田豊の読みがあたり袁紹は大敗をするのですが、そのことで田豊が内心自分をあざ笑うであろうと考えた袁紹に殺されてしまいました。三國志の注釈者である裴松之は、「主君を誤ったがために忠節を尽くして死ななければならなかった」
と書いているそうです。こういう諫言コースも、また1つの忠誠のパターンであり、私の考える「ダメなものはダメ」という「信者」像に近いところがあります。

ただ、いずれにしても共通するのは、自分が惚れ込んだ(これと決めた)対象に最期まで付き合うということであり、またそれを自分の信念に基づいておこなっているというところ。陳宮にしろ田豊にしろ、何も考えずに主君のいうことを鵜呑みにするキャラだったらせいぜい「狂信者」か「太鼓持ち」ですし、単に不満症で主君に喧嘩売ってるだけの人物だったなら「アンチ」扱いだったでしょう。

そう考えると「信者」というのは、自分のある種の偏りを自覚しながら、どんなことがあってもその対象を見捨てない覚悟を決めた人、ということになるのかもしれません。少なくとも、批判をしたら「信者」じゃないとか、駄作を褒めるのは「信者」じゃないとか、そういう表面的な態度として簡単にあらわれる部分の問題ではないのかな、と。もし態度としてあらわれることがあるなら、それは最期のときだけでしょう。

ただまあもちろん、そういう態度が良いか悪いかは別問題ですけどね。