これももう何度目の話になるのかって感じですが、定期的に出てくる「リアリティ」の話。

ことの発端は、某マーニーと『リアリティのダンス』を観た友人が、「マーニーにはリアリティがない」みたいな話をし始めた。まあマーニーの監督はホドロフスキーじゃないしね、とかそういう話ではなくて、マーニーはリアリティがないから面白くなかった、というのです。

で、毎度言っているのですが、この「リアリティがないから面白くない」というのはわかるけれどわからない。少なくとも、作品のある価値については言いとれているのだろうけれど、それが何なのかがよくわからないんですよね。

経験上、「リアリティがない」という批判の意味するところは、およそ次の4つくらいに分かれるかなと思っています。

(1)自分にとって、リアリティは物語の重要な要素である。それがないと自分は楽しめない。

(2)物語というものの価値は、リアリティにあると思っている。

(3)単に「ピンとこない」とか「理解できない」のような感想を、「リアリティがない」ということばに託している。

(4)作品にとってリアリティが重要な要素のはずなのに、欠けている。 

(1)は、たとえば『テニスの王子様』や『キャプテン翼』のような漫画が、ルールを無視していたり物理法則を無視していることが気になってしょうがない場合などを考えればわかりやすいでしょうか。そもそもフィクションなのだからある程度現実にそぐわないのは仕方がないとしても、あまりにも現実離れしていると興が冷めてしまう、というパターンですね。

(2)は、(1)と似ているようで違います。たとえばかつては、「政治小説こそ最高」にような主義主張がありました。あるいは「小説で革命を起こす」だとか。そういうのと同様に、物語というのは現実に近ければ近いほど価値がある、という考えを掲げるのが(2)のパターンです。これは、(1)のような主観的な話ではなく、客観的な価値付けとセットにして考えるというもので、滅多にいないと思われるかもしれません。確かに自覚的にこの立場をとっている人というのはあまりいないのですが、たとえばギャルゲーのヒロインに対して「こんな女実際にはいねーだろwww」みたいなことを言う人は、無自覚的にこの立場に立っていることがあります(現実に「こんな女」がいないことが、なぜフィクションを楽しめない原因なのか説明はできていませんよね)。

(3)は、おそらくもっとも多いタイプ。自分にとって真に迫るものがない、訴えかけるものがない、ということを、「自分には実感がわかない」というくらいの意味で「リアリティがない」と使っている。(1)と同じく主観的な話ではあるのですが、違っているのは、(1)の場合事実に即していないことを面白いと思うか思わないかが主観的なだけで、「事実に即しているか否か」は客観的に判断ができます。

たとえば、『テニプリ』でいえば、ネットの横から入ったボールがフェアかアウトかは、きちんとルールで決まっているので、それに照らしあわせて「リアリティ」が判断できます。そして、そういうルール無視が気にならないか気になるか、というのが(1)の話。これに対して(3)は、「別れようと思ってる彼氏のために弁当はつくらないでしょ」とか「ほんとうに好きなら、私だったら反対を押し切ってでも告白した」のように、そもそもの「リアリティ」の判断自体が主観に委ねられている場合。だから、(3)の意味で「リアリティ」を問題にする人は、明らかに物理法則を無視した話でも「リアリティがある」と褒めることはありえるわけです。

ただそれは、「ピンとこなかった」ということばを「リアリティがなかった」と言い換えただけで、あんまり説明にはなってないんですよね。もちろん、具体的にこのシーンのここが……と説明されることで「リアリティ」の正体が見えては来ますけれど。

ことわっておくと私は別に、「リアリティ」云々ということばを使うな、と言いたいわけではありません。「リアリティ」だけが絶対的な価値だ、といわれたら反論しますが、(1)や(2)のように立場の1つとして「リアリティ」なるものに価値を置くというのはありえるだろうし、むしろ作品側からの要請としてそういうこだわりのもとに読むほうがいい場合もあるでしょう。それが(4)です。

たとえば野球漫画の『ONE OUTS』。これは、現実の野球の細かいルールを駆使して頭脳プレーで勝つ、という要素が入っています。こういうタイプの作品で、ルールが実は違っていた、というようなかたちで「リアリティ」が損なわれると厳しいでしょう。「膝の裏ペロペロさせてくれって頼んでOKだす美人の先輩なんかいねーよ!!」という批判を受けて『アマガミ』の善さなり面白さなりが些かも傷つくことはないと私は思いますが、作品自体が「リアリティ」を売りにする要素を含んでいるのにそれが無かったとしたら、それは深刻な瑕疵になり得ます。


で、私の友人の「マーニー」批判はおそらく(3)です。要するに、彼自身にとってどうも真に迫るものがなかった、ということだろうと。私はマーニー見てないから、マーニーが「リアリティ」を売りにしていたのかどうかまではわからないんで、話を聞いている限りはですけど。

まあただ、彼は何が気に入らなかったのかがよくわからない。ゆりゆりしい展開がダメだったのか、なんか後半一気に駆け足になるのが物足りなかったのか、「成長」が描けていないように見えたということなのか……。そういうもろもろの、もっとハッキリさせられる部分を適当にごまかしてまとめる「便利なことば」として「リアリティ」が使われる傾向がある、というのは個人的に少し危惧するところではあります。

なので、自分で使うときには慎重に。また、他の人が使っているのを目にしたら、いったいどういう意味の「リアリティ」なのかを見定めてから話に入ろうと(あるいは見定められるように話を聞いていこうと)、そんな風に考えた昨日なのでした。