よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

インド人を右に

今日のお昼のこと。

喫茶店で海外から来たとおぼしきお客さんが「ヘヤツオイヌです、ヘヤツオイヌ」って繰り返し言っていました。女性の店員さん、訳がわからず困惑気味困惑。

日本語わからない相手は大変やね、マクドナルドよろしくメニュー提示しないと、とか思ってたら「今日のオススメの一番下です。ヘヤツオイヌ」って流暢な日本語で言ったからこちとらビックリですよ。思わず振り返って黒板を確認。するとそこには……「ハヤシライス」って書いてありました。

どこがヘヤツオイヌやねん、とがっくりきたんですが、よくよく目をこらすと、……おお、おお!! 確かに文字は「ヘヤツヲイヌ」に見える! わかりにくい人は、殴り書き風にハヤシライスって書いてみて下さい。「ラ」のときに、うえの「-」をちょっと下に傾けて、「フ」とひっつけるのがコツ(?)です。

文字って普段は思い込みというか予測で見ている部分があるので意識しないときは全く他の風には見えない。けれど、別にゲシュタルト崩壊なんぞしなくてもふとしたきっかけで、違った「何か」に見えてしまうから不思議です。日常の裂け目とかそんな難しい話ではなくて、私たちが普段、いかに思い込みでモノを見ているかという。

今回の場合だと、その外国人の方のほうがカタカナの形に忠実に文字を見ていた。日本語わからないとか言ってしまい、まことに失礼いたしました。

ちなみにこの記事のタイトルは、泣く子も おか 黙るエロ漫画・エロゲー紳士、imota師匠(@imota_eromanga)のこの発言から頂きました。そういやそんなのあったなぁ、と懐かしく。


意味が分かんないぞ! という方は、ニコニコ大百科参照のこと。

今日はそんなお話。それでは、また明日。

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思い入れ

過去何度か、革のブックカバーが好きだ何だという話をしてきた通り、私は革製品が好きだったりします。というか、革に限らず「長く使える」もの、理想を言えば「使い込むほど味が出る」ものが好きです。

単なる貧乏性のように聞こえるかもしれませんが、あながちお金の話だけのつもりはない。たとえば、新品を買うのと修理をするのとで後者のほうがお金がかかると聞いても、私は修理を選ぶ場合があります。もちろん、パソコンのような類だと新品買いますよ、そりゃ。でも財布や時計、鞄なんかだと修理に出すことが多い。

もう使えないようなら、あるいは使い続けるメリットが無いならば、私だってさすがに替える。電気関係について言えば新機能がついているついていないという問題もありますが、そういう積極的な理由で買い替えるよりは、パーツの寿命による継続利用の断念のほうが多い。別にマイナスイオンが出ようが出まいが、髪の毛乾かすのに使えればわざわざ新しいドライヤー買おうなんて思いません。

話がちょっとズレたので戻しましょう。使い続けることで、単に製品としての寿命をすり減らして行く。それは「消耗品」です。「消耗品」はただ劣化するだけで、成長することがない。

一方、靴や鞄や財布や……時には時計やパソコンだってそうかもしれませんが、使い込むほど物理的に良さが出てくる品というのがあります。革製品なら経年で色合いが変化して艶が出たり、柔らかくなって手に馴染んだり。

もちろん劣化する部分はありますが、耐久性は落ちていくものの使えなくなることはない。少なくともそうなる前に、修理や手入れで対応できます。事故で再起不能とかは知りめせんよ。でも大したトラブルがなければ、20年30年と使い続けられる。そうして使い続けたものたけに宿る「味」のようなものが、私は好きです。

ぶっちゃけ、革の色変化とか、古色の良さとか、そういうのの良さがはっきりとわかるほどツウではありません。でも、時間がものに宿る、というのはわかる。自分が何年も使い続けてきたというそのことが、オリジナルの価値となってそのモノに付与されるわけです。買ったときはただの市販品でも、そうやって使うことで自分だけのものになっていくというのは、何だか楽しいし、ロマンを感じます。

そんなわけで、別に高価でなくても良いからずっと使えるもの、使っていて飽きないものを私は好んで買う。ちなみに、使わずに飾っておくというのはあんまり好きません。使ってナンボ。

ただ、私は根がズボラなので、メンテナンスが苦手。革製品にこまめに油を塗ったりとか、とても無理。最悪専門店に頼んだりもするのですが、やっぱり自分でキチンとメンテできるのが一番だよね……。ということで、無理をおして今回、革製品メンテ用の油とかかってみました。果たしてこのビンが空っぽになることはあるのでしょうか(笑)。まあちょっと頑張ってみようと思います。

では、また明日。

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エロゲー批評空間さんの投稿から一年経っていた話

私はちょくちょくエロゲー批評空間さんにエロゲーの感想やら紹介やらを投稿していますが、初めて投稿してから昨日で一年が経過していました。どうして昨日書かなかったかというと、すっかり忘れていたからです。ヤバい、いきなりオチに持っていっててしまった。

このブログを開設してから丁度300日(記事を本格的に書き始めたのはもう少し後ですが)という表示が出ていたので、「あー。もうすぐ一年か。そういえば私が批評空間さんに最初に投稿したのいつだっけ?」と思って見に行ったら、1年前の昨日だったという。初投稿は『らぶ2Quad』の感想。何もかもが懐かしい……。

しかし、65点とは高すぎず低すぎず、実にビミョーな点数がついていますな。特にこの作品について何かが書きたかったとは余り思われない。何でこれで書こうと思ったんでしょうね。自分のことなのにあんまり覚えてない……というか、あんまり何も考えていなかった。

まあでも敢えていえば、「エロゲー時評」的なことをやろうという意識があった気がします。要するに、ある時期の作品全般を見渡して何か言おう、と。「ループもの」とか「サスペンス」とかの枠で作品について何か言うようなことばっかりしてきた、というのが一種悩みでもあったんです。そこでたまには、用意された視点にあてはまるものを選ぶのではなくて、あるがままにざっくり見るところから出発してみたかった。もちろん全部は無理なので手の届く範囲になりますが、ずらっと見渡す視点を持ちたいな、という。

上で言ったように、気に入った作品とか、好きな作品にだけ何か言うというのがそれまでの私のスタイルでした。そして一般に批評というのはこの類が多い。嫌いな作品について言う場合もありますが、いずれにしても何か論ずるに値すると思うことがあった作品、積極的に語りたいと思った作品について語る。

別にこれ変なこと言ってないですよね? お仕事頂いて無理に何か……とかいうのでなければ、普通はモチベーションのあるものについて書くでしょう。批評とか感想という場合のメインストリームはそちらにあると思う。

ただ、そうでない感想というのも幾つかあって、その一つはいわゆるレビュー系。購入者の参考になる、ということを目当てに、データとして感想が求められている場合です。この場合、「特に書くべきことが思いつかなかった」という感想自体がレビューを見る人にとっては意味を持つようになります。エロゲー批評空間さんはこのパターンですね。

「批評」、「レビュー」というのは一般的な意味とズレるかもしれませんが、この記事での想定としては、前者が自分自身の主張のために書かれるもの、後者が他の人の参考データとして書かれるもの、くらいの意味にしておいてください。厳密な区別は困難ですけど。

レビュー系の感想というのは、選択の判断材料として非常に需要があります(Amazonレビューとか)。10人中8人が70点くらいの評価ということは、そこそこ面白いんだろうとか、無理してやらなくても良いかなとか。

けれど書く側からすると、他人の需要に引きずられて書いてしまうのだとも言える。しかし書いたは良いけど、たくさんのデータの中の一つとして自分の感想が扱われるわけで、それはいささか辛い。極端な話、用紙を配られて書く無記名のアンケートみたいな感じもあるわけです。もちろんエロゲー批評空間さんには投稿者の作家性みたいなのを拾うシステムがあるのを存じてはいますが。

もうちょっと違う言い方をするなら、一般的な批評や論文のようなスタイルというのは、「なぜその題材を選んだか」という必然性が問われます。書き手にとってどういう意味があって、そして読み手にどういう意味があると思って書いたのか、と。題材のチョイスと言説の内容は直結していて、だからこそ題材選びに心血を注ぎ、細心の注意を払う。

エロゲーの場合購入選択の時点でそのプロセスが一部終わっている感もありますが、購入を検討するのと面白かったから何か書こうというのとの間にある感情は、やはり違いますよね。

で、やってみたは良いけどつまんなかった。その時、「つまんないから買うな」以上のことが言えないなら、批評としては微妙です。つまらない理由を分析して、改善案を出してみたり、そのつまらなさを産んだ原因について考察したり、あるいはそもそも作品にとっての面白さとは何か、みたいな独自の主張が言えたりして初めて、表に出すべき内容になる。

つまらないならまだマシで、「普通でした」という感想ならもうこれは、書かない方がマシかも知れない。批評本を買って「普通で特に何も言うことがないです」と書いてあったら、私ならその本をぶん投げると思います。

しかし(批評ではなく)レビューなら、「とりあえず買ったから」とか、そういう理由で書いて良いんで、その辺気楽です。というか、むしろバンバン書くことに最も大きな意味がある。それは、書き手の伝えたいことや意味は(大げさに言えば)どうでもよくて、最終的に読み手にとってのデータに還元されるからです。

あ、もちろん、「本当に気に入った作品についてしか書かない」とか、「自分だけが別の視点を出せることについてしか書かない」というようなやり方で、エロゲー批評空間内でも独自の輝きを放っておられるレビュアーさんがいらっしゃることは重々承知しています。批評空間さんのフォーマットというのはその辺融通がきいて、いろんなスタイルを許容しているすぐれたものだと思う。

批評とレビューのどっちが良いとか悪いとか、そういう話をしたいわけではありません。ただ、普段私は気に入ったものについてだけ書く、書く意味があると思っているものについてだけ書く、というスタイルだったので、それだと視点がどんどんミクロになっていく。もうちょっと幅広く視点をとって、自分の視点を全体の中で位置づけるには、別のことを書いてみたらいいんじゃないかなーとか思った。好き嫌い言わずに、出てくるものを見る、という。

それで、どうせ買った作品をある程度選別せずに書くなら、購入者の参考としてデータ的な価値も出るところで書けば良いんじゃないかと投稿を始めた……ような気がします。そこまで考えてなかったかな。かなり後付けくさい(爆)。でもまあ、全くの嘘というわけでもないです。一応、スタイルについて悩んだりはしたので。

そんな思惑がうまくいくどころかあんまり関係ない状態になってしまっていますが、なんだかんだで一年続いて、一つの目標は達成かな。あとはレビュー数を100に載せるとか、そういうのをちょっとずつやっていこうと。本当はPOVですか、ああいうのも書いた方が良いとは思いつつ、根が面倒くさがりなので……。

ともあれ、こんな私の感想でも読んでくださり、参考になったよと言ってくださる方がいるというのは大変ありがたいこと。本当に感謝です。やっぱり、ご意見とか頂けると励みになりますし。今後もぼちぼち続けていくつもりでいるので、よろしくお願いします。

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MF文庫のブックカバーキャンペーン

毎月25日はMF文庫Jの新刊発売日。各専門店ではよくフェアなどが開催されており、新刊に店舗特典がつきます。どうせ買うならちょっとでもお得感があったほうが良いなあということで、好きな本についてはそういうのをチェックして特典をもらってくるのですが(使い道無いのもおおいけど)、今回は新刊に限らない「MF文庫Jフェア」のお話。

メロンブックスさんの告知(OHP参照)で特製文庫カバーの配布が掲されていました。

メロンブックスでは、10月の新刊発売に合わせて『MF文庫Jフェア』を実施!
「しゅらばら!」「俺が彼女に迫られて、妹が怒ってる」「機巧少女は傷つかない」
「失敗禁止!彼女のヒミツはもらさない!」「精霊使いの剣舞」「僕は友達が少ない」
「魔法戦争」「瑠璃色にボケた日常」と、なんと8タイトルもの
スペシャルイラストによるオリジナルブックカバーをご用意しました!

ポケット付でカバー付けがとっても簡単。
メロンブックスが贈る≪MF文庫J専用≫の特製文庫カバーです。

新刊既刊問わず「MF文庫J」レーベル作品を一冊につき一枚もらえちゃう!
配布は完全先着、無くなり次第終了なので、ご入手はお早めに!!

だそうです。

配布期間が「7月25日 ~ 無くなり次第終了」となっていますが、これはおそらく「10月25日~」の誤りだと思われます(そのうち訂正されるかも)。『はがない』とか『精霊使いの剣舞』とか、割と欲しいブックカバー多いので、新刊買うついでに貰ってこようかな。ちなみに、旧刊でもOKのようなので、まとめて全部貰うのも一応夢じゃない……。これを機に、ちょっと気になっていたヤツの1巻とかつまみ食いさせようってハラですね! ちくしょう、卑怯なッ!

そういう誘いにホイホイ乗っちゃう私もどうよって話ですが、まあ折角なので『101番目の百物語』とか『あそイク』とか『お兄ちゃんだけど以下略』とか、気になっていたのを買いに行くつもりです。

回転率的に無理だろうけど、ライトノベル専門の漫画喫茶とかあればいいのになー。

それでは、また明日。

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ネットゲームに関する報道のあれこれ

先日、読売新聞の夕刊に一面で掲載されていた「重症ネットゲーム依存」という記事。オンラインの方でも同じ内容が読めるので、ちょっと紹介しておきます。リンクはこちら。ただ、新聞記事はすぐ消えるので全文を引用しておきます。
 睡眠2時間、百万円使う…重症ネットゲーム依存 

若者を中心に“オンラインゲーム依存症”が深刻化している。

「どうしてもゲームをやめられない」「高額の金を使ってしまう」などと病院に相談する件数は急増。ネット依存の専門外来を設ける病院も現れた。

 ◆届いた督促状

 「まずい、2時間も寝てしまった」。午前6時。ソファで携帯電話を握りしめたまま眠っていた東京都内の男子専門学校生(19)は跳び起きると、また携帯をいじり始めた。ほとんど寝ないでゲームに没頭する日もある。

 携帯ゲームを始めたのは中学1年の頃。最初は通学中の暇つぶしだったが、次第に生活が変わり始めた。

 ゲームは原則無料だが、100~1000円の有料アイテムを使えば、キャラクターの体力や攻撃力を高めることができる。ゲームで知り合った「仲間」から、「強いね」とほめられると心地よかった。

 高校に入ると、アルバイト代など毎月8万円前後をつぎ込み始めた。お年玉の10万円は10日間で消えた。5万円の督促状が自宅に郵送され、親に発覚した時には、既に100万円以上を投じていた。寝不足で遅刻を繰り返すようになり、体重も数キロ減っていた。

 家族に連れられて民間団体のカウンセリングを受けたのは高校2年の冬。一時的にゲームから離れたが、今春、専門学校に入学すると再び別のゲームにはまってしまった。「もう限界。このまま死んじゃうんじゃないか」と不安を口にする専門学校生だが、やめられない。「将来に希望がもてない。でも、ゲームの中では着実にキャラクターが成長していき、現実社会にはない達成感がある」と話す。

 不登校の相談に応じる社団法人「不登校支援センター」(本部・名古屋市)によると、オンラインゲームへの依存での相談者数は、今年に入って7月までに327人に上った。全国webカウンセリング協議会でも、同種の相談はこの3年間で約150件に達した。

 今年5月にソーシャルゲームの規制に乗り出した消費者庁の幹部は「スマートフォンの普及で、外出先でもベッドでも四六時中ゲームにのめり込む環境になった」と指摘する。

(2012年10月10日18時08分 読売新聞)


という話なのですが……うーん、どうも違和感を覚えます。どういうことかというとこの記事、ソーシャルゲームとネットゲームを分けずに書いているんじゃないか? ということです。

最初の19歳男子専門学校生のエピソード。携帯電話で没頭するゲームって、いわゆる「ソーシャルゲーム」ですよね。アイテム課金で巨額の資金を注ぎ込むエピソードなんかも、あきらかにソーシャルのものです。

しかし、私の経験と知識と記憶が確かなら、ソーシャルゲームで「2時間も眠れない」というプレッシャーを受けることはあんまり無い。それは、「ネットゲーム」です。

いやちょっとまて、そもそもその二つは違うのか? という疑問を持つ人もいるでしょう。どっちもネット通信を利用した「ネットゲーム」として扱って良いではないか。現にこの記事のタイトルは、「ネットゲーム依存」ではないか、と。しかし、たとえば総務省HPの「〈6.ソーシャルゲーム等の中毒性がもたらす悪影響〉」(※PDFファイル)という項目を見ると、「事例6の1」は「ソーシャルゲーム上での金銭の浪費」。「事例6の2」は「オンラインゲームの長時間利用による日常生活への悪影響」となっており、携帯電話等で行う「ソーシャルゲーム」とパソコン中心の「オンラインゲーム」とを、その形式と特性とから一応区別していることがわかります。

ゲーム業界の言説を見渡してみても、オンラインゲーム側が「ソーシャルゲームとは別」と主張している例があるなど(「ソーシャルゲームは本人、オンラインゲームはキャラ――ゲームディレクター“しおにく”が語る両者の違い」)、一応両者に区別を設けようというのが主流であるように私には見えます。むろん両者はともに広義のネットゲーム(オンラインゲーム)であり、かつまたコミュニティを形成することからソーシャルな要素を含んでいます。MMORPGにSNS要素が「逆輸入」されたり、かつては存在した同期/非同期といった外見上の違いも通用しづらくなるなど、両者の間がボーダレス化しつつあるというのはその通りかもしれません。また、24時間監視体制に入っていなければならないような、大量の時間がコストとして必要なソーシャルゲームだって幾つかあるのかもしれない。

しかし、時間をリソースとするオンラインゲームとお金をリソースとするソーシャルゲームというのは、やっぱり基本的な性質が違うものでしょう。少なくとも、大量に時間をつぎこむ心性と、大量にお金をつぎこむ心性とは、似たようなものに見えてその実全く異なると思います。前者はゲーム世界における「労働」であり、後者は「博打」ですから。

細かいことを、と言われそう。気にしすぎ、神経質だと。でも、たとえば次のような記事を想像してみて下さい。「ストンと落ちる落差あるスライダーで三振に仕留めた」……。これを読んで野球ファンなら、「あれ?」と思うのではないでしょうか。縦スラかもしれないけど、普通はこういう書き方しないよな……ストンと落ちるのはフォークだろ、みたいな。こういうのはどうも、あんまり良くわかっていない人が無理にひねり出した記事のように見える。今回の記事についても同様です。

新聞の一面やオンライン誌上に掲載されるわけですから、何も知らない人がこれを読んで、オンラインゲームやソーシャルゲームに対する知識がおかしなことになっていくかもしれません。報道ってそれで良いのかな? と思わないでもない。

もちろん印象操作――すなわち、「重課金しつつ睡眠時間も奪い身体がぼろぼろになるのがネットゲーム」という印象を植え付けたいだけなら止めはしません。ただそれ、報道機関の仕事ではないですよね。やっぱりそこはきちんと、「and」ではなく「or」だよ(お金を使うタイプのものと、時間を使うタイプのものとがある)、というお断りがあってもよかったかな、と思うのですが、どんなもんでしょう。少なくとも「依存症」として、つまり「現代病」的な症例として扱うというなら、その症状についての言及には精度と責任とが求められるのではないでしょうか。

現代の深刻な「病」として「ネットゲーム」を扱ったこの記事が、「現場」のネットゲーマーたちほどもその問題の深刻さを受けとめ切れていないように思ったのでした。

……あとこれは単なる愚痴で、ホントになんでも「病」になりますね。そりゃ儲かるんだろうけどさー、とナナメから見たい気分になる。まさかゲーム依存症で外来があるとは思いませんでした。ただ、こちらの記事(「睡眠不足症候群」)なんかを見ると、ゲームは単に生活が不規則になるだけではなく、「夜間のネオン、ゲームの映像、携帯画面は強い光を発しており、否応なしに目に入ります。これが睡眠障害の原因にもなります」ということなので、単なる精神論で終わらさず、医学的見地からのアプローチがあるというのは悪いことではないのかも知れませんが。「フィギュア萌え族」とか「ゲーム脳」みたいなことにだけはならないように祈るばかり。

というわけで、本日はソーシャルゲームとネットゲームのお話。それでは、また明日。

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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