よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

大阪大学SF研究会『滅亡SF』の感想など

冬コミ3日目に、udkさん(@udk91)が来ておられるというブースへお邪魔して、同人誌『滅亡SF』をゲットしました。その節はお世話になりました。無理矢理呼び戻す形になってしまい、本当にスミマセンでした……。

本当は感想など簡単にツイッターでポストしようとしていたのですが、思いのほか長くなったのと、ある程度前後関係を説明しないと私自身の言説が伝わりにくいものになってしまうことを恐れ、簡単にではありますが「書評」のようにスタイリッシュなものではなくて、ダラダラ書いた「感想」のかたちでブログの記事とさせていただきました。

雑誌全体の内容は、2012年という第二の(第一はノストラダムス)滅亡ブームを敏感にキャッチし、それにちなんだSF作品の紹介をしようというもの。1ページ目から「(今年も)地球は狙われている」などウィットに富んだフレーズが飛び出し(これはあれでしょうか、レイズナー?)、ニヤリとさせてくれます。自覚しながら大真面目にバカをやるという感じの、私の大好きなノリが素敵。

ざっと冊子の内容を説明すると、以下。

・「滅亡SF作品紹介」
滅亡作品を、(1)「滅亡が起きる(た)」、(2)「滅亡が回避される(た)」、(3)「滅亡とその回避とが同時に描かれる」という3類型に分け、ループものなども第三の類型として滅亡作品に含めますよ、ということを宣言した全体のイントロダクション。特に(3)の作品(「<滅亡>と<滅亡回避>の二重性を持つ作品群」)について詳しく紹介したものとなっています。「ドラゴンボール」などもこの類型に入れると言うのはなるほど、と面白く読みました。SF界隈ではスタンダードなのでしょうか。

ただ一点不満もありまして。まさに「二重性」として滅亡と回避とが同時に描かれるというのは、端的には滅亡は描かれていない(最終的に無化された)という解釈も成り立つと思います。それなら、滅びの事実性と虚構性とを分けるものは何なのか、もっと端的にはそもそも「滅亡」とは何の謂いなのかという疑問をかきたてる面白いイントロなのに、そういう話にはならなくて、個人的には残念でした。

・滅亡レビュー16作品(前編/後編)
実際に「滅亡」を扱った作品群の紹介。個別に「規模」「勢い」「減少率」「滅亡度」などの評価項目が設けられて、だいたい1Pから半ページで作品を紹介しています。個人的には『火星年代記』、『日本以外全部沈没』、『岸和田博士の科学的愛情』あたりが入っていたのは好印象。エロゲー枠は『穢翼のユースティア』で、書いておられるうえもり氏の愛情が伝わってくる(歌詞の抜けを指摘されたエピソードなど含め)良い記事なのですが、このラインアップだとニトロの『Hello,world』の紹介を読んでみたかったなという気がします(SFっぽいし)。

・終ノ空・素晴らしき日々 論
udkさんの記事。楽しく読ませていただきました。詳細は後述します。

・大特集 アルマゲドンシリーズ
19ページから35ページまで。本当に「大特集」でした。これめっちゃ面白い。

私は全く知らなかったのですが、どうも『アルマゲドン2007』とか『アルマゲドン2008』のような映画があるのだそうです。で、シリーズものかと思いきや実は全然違っていて、「アルマゲドンっぽいB・C級映画に日本の配給会社がアルマゲドン云々をつけただけ」の「パクリ映画」なのだとか。どうやら、宇宙から何かが降ってきたらとりあえずアルマゲドン、というのが日本の配給会社のお約束のようで……。それを阪大SF研究会(OUSF)のみなさんが部室で延々鑑賞するという 苦行 楽しい企画。

合計9つの作品をあらすじ紹介・感想と細かくレビューしておられて興味をそそります。ページの下には一言コメントがついていて、そちらがまた笑える。ちなみにネタバレがあるんですが、まあ絶対みないだろうという前提のもとに読んでみたところ、むしろ観たくなってしまて困った。特に『エイリアン・アルマゲドン』。だいたいタイトルからしてぶらさがり商法ってレベルじゃねーぞって感じですが、熟女同士の百合シーンがあるとかベクトルがしあさっての方向に向かってるのが素敵すぎて、もう話を読んでいるだけでワクワクが止まりません。誰かDVD借りて一緒に観て下さい。

・滅亡人物伝 村井秀夫 出家への路
旧オウム真理教のナンバー2であり、マスコミ取材の中刺殺された村井秀夫についてのレポート。彼の足跡をたどりながら村井とはどのような人間だったかというところに、スポットライトをあてています。オウム事件は私の中でも大きな事件として心に残っていますし(若い人にはピンとこないかもしれませんが、本当にすごい事件でした)、麻原の「一番弟子」であり、教団を実質的に指揮していた彼の死によって多くのことが闇に消えたというのも事実でしょう。そのあたりの事情もあいまって、興味深く拝読しました。

新たな分析というよりはこれまでのデータを整理して読みやすくしてくださったという感じで、大変参考になります。これ目当てで手に入れても良いかなと言う気がする。

▼udkさんの「終ノ空・素晴らしき日々 論」の感想など(C83・大阪大学SF研究会『滅亡SF』所収)
さて、udkさんが常々扱っておられる『終ノ空』、『すば日々』関連の論考について。せっかくお会いしたし、本も買わせていただいたので、一番のお礼はきちんと読んで感想を申し上げることだろうというわけで(私らの業界的には)、即日拝読いたしました。といっても、書評とか論考への反論といった大きなものではなくて、ほんとうにただの感想になるのですが、何点か疑問などもあったので少しずつそのことにも触れてみようかなと。

私の個人的な関心もあってか、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(以下、『論考』)と『終ノ空』の接続の部分が興味深いところでした。

udkさんは『終ノ空』でたびたびとりあげられる『論考』本文を実際に引用しながら、『終ノ空』は「語り得るもの」と「語り得ぬもの」とを明確に分かとうとする作品であった、と結論づけておられます。udkさんの論旨を雑駁にではありますがまとめると、およそ以下のようになるでしょう。

(1)作中で視点が相対化され、個々の人間による「認識の違い」が明示される。
(2)語り得るものというのは「自分の世界」だけ。もっと厳密には「この瞬間」のみである。(<いま・ここ>のみが「語り得る」もの。絶対性)
(3)人間の世界は思考=言語の限界に縛られている。(人が語り得るのは所詮主観にすぎない)

私は1999年当時にこの作品をプレイして、実際難し過ぎてよくわからないなーという印象を持ったまま今にいたるわけですが、udkさんの解釈は『終ノ空』を相当程度きちんと整理されているものと思います。私自身も、似たような、つまり主観の交流の断絶みたいな問題を強くうけとった記憶がある。しかし、だとすればウィトゲンシュタインとは決定的にかみ合わない気がするのです。

(『論理哲学論考』の内容について)
そもそも、ウィトゲンシュタインはめちゃくちゃ厳密に論理を展開しているのでいろんな前提を共有しないといけなくて、それが哲学屋でも論理学プロパーでもない私には無理ゲー状態なのですが、一応できるところまで頑張ってみますと、まずウィトゲンシュタインの言う「語り得るもの」というのは「命題の総和」として表現されるような言語です。これには、たとえば「可能的な事態」も含まれています。たとえば、<明日世界が滅ぶ>とか、のような命題文も含まれる。命題が本当か嘘かということは、「語り得る/得ない」には関係ありません。

では、「語り得ぬ」ものとは何か。直接的にはそれは、「矛盾」や「トートロジー」(恒真命題)のように、論理に反していたり語られても意味をなさないもののことです。

たしかにウィトゲンシュタインは「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」(5・6)と述べています。これは一見するとudkさんがおっしゃっているように主観の絶対性こそが言語によって表現されるということを示しているようでありながら、考えてみると実は全く逆の意味で言われているということになります。すなわち、もしも「私の言語」によって個々の人間の世界が表現されているのだとしても、そのことは論理的には、ひとりひとりの人間の「表現」が異なっているということにすぎず、実際に見えているものが違っているかどうかは証明のしようがない。「私の言語」の「私」性は、まさに「語り得ぬ」分類になるわけです。

udkさんの議論では、(1)と(2)がつながっている。というよりは(2)が(1)の前提となっていて、人は自分の世界のことしか語ることができない「から」、「語る」ことばは共約不可能な、絶対的なものにならざるを得ない、というわけです。しかし管見では、その方向性はウィトゲンシュタインの論理から離れてしまっている。ウィトゲンシュタインはむしろ、すべての人が等しく「私の言語」で語るからこそ、だれも「私」の唯一性や絶対性を「語る」ことはできないのだ、と言うのです。

「草稿」のことばを引くならば(udkさんも引いておられましたが)、「私の生は比類ないものであるという意識」=「「生」そのもの」。それについて語ることは、言語という論理の力を超えている。絶対的なものを語ることはできない。ここにこそ、言語という論理の「限界」がある、と。「内側から思考不可能なものを限界づける」(4・114)作業は、かくして達成されたことになるわけです。

つまり「語り得る」ものとは人間の主観ではなく、主観を離れた形式論理であり、ウィトゲンシュタインが示そうとしたのは思考や言語の領域に、「私」のような絶対性が存在しえない(存在したとしても意味がない)ということであったはずです。ウィトゲンシュタインはしかし、そのような「語り得ないもの」が存在しないとは言いません。それは「神秘」の領域にある、と言うのです。「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、そのことが神秘なのである」(6・44)。

(「語り得ぬ」存在の神秘)
世界という絶対的な存在の、その存在理由については人は語ることができない――。言語や思考、「語り得るもの」とは理論的な仮構物、世界の「模型」にすぎないのであって、それはあくまでも相対的なものである、というのがウィトゲンシュタインの言わんとしたことであるように思われます。私はあの精緻な議論にとてもじゃないけどついていけませんので、決定的に重要なポイントを切り落としてしまうことを恐れるのですが、それでも敢えて一言で括るなら、ウィトゲンシュタインは徹頭徹尾認識の論理を語ろうとしていたのであって、そこに存在の論理は入り込む余地が無い、ということを「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」ということばで語っているのだと思います。

「私」という存在は、いかなる語を尽くしても決して語ることはできない。「沈黙」は諦めであると同時に、神秘の領域への迂闊な侵入を避けよという警告でもあったはずです。

だからもしも、『論考』を引きながら一足飛びに存在の論理(たとえば、この「私」の「幸福」や「善」とは何かといったような)について語っているのだとしたら、それは単に誤謬か、あるいは牽強付会であると言われても仕方ないのかな、と私は考えていました。もちろん、私の解釈が当たっていればですけれども。しかし今回udkさんのお話を読んで色々考えているうちに、もう少し掘り下げどころがあるようにも思えてきました。

(再びudkさんの議論へ)
udkさんの論を拝読して思ったのは、まず『終ノ空』自体がudkさんのおっしゃるような、認識の絶対性・主観性こそが「語り得る」唯一のものだと言っているのかどうかということ。これは、なにぶん細かい描写や表現を忘れてしまい、あんまりまともなことが言えそうにありません。またやり直さないと私自身検証できないので宿題にしようかなと思っています。

次に、udkさんは一体「語り得ない」ものとして何を想定されているのかということ。論の中では「間宮卓司はその語り得ないものを探ろうと空に還ることによって世界の限界を得ようとしたのである」(p.15)と書かれており、その後『すば日々』での「幸福」の考察に移るわけですが、私の読解力が追いつかずいまいちきちんとつかめていないままです。「言語化不可能な「神」や「生」」(p.17)とおっしゃっているので、その後の話も含めれば「信仰」のようなこと、あるいは「意味」や「価値」といったものでしょうか。だとすれば、「語り得ぬ」ものの内実というのはウィトゲンシュタインの言わんとしたことと重なるように思います。ただ、ウィトゲンシュタインは自らの絶対性を担保することができない言語によってそれらを説明することは原則不可能だと言っている(言語でない形でならできるのかという問題は別の話になるので措いておいて)ので、やはりどこかでズレが生じる気もします。

その路線でもう少し考察を進めるならば、自分の絶対性に基盤をおくことができるのに、「意味」や「価値」が「語り得ない」。だとすればその場合の「意味」や「価値」というのは、社会における公共的価値、対他的な関係によって生じる価値のような意味になるかもしれません。すると、「信仰」とは「神と私」という一対一の関係ではなくて、同じ神を信じる者たち、といったニュアンスを帯びるのかな……などと考えておりました。でも、論の最後のudkさんの結論からこの路線はないかな。

「30人30説」のほうの議論を拝読した限りでは、やはり個的な「生」ということ、それも「幸福に生きる」ことというのがキーになっているのだという印象。ただそうなると、『論考』の直接の内容からそういう個的な絶対性へ行くというのは私にはかなり壮絶な迂回路が必要なように思われるんですね。あと、「幸福」とは何か、ということに対しての答えがでないような気がします。ただ生きているだけで「幸福」と重なるのだとすれば、動物と何が違うのか。思考による「私の世界」は「幸福」にとって無用なものか、もっといえば単なる邪魔になってしまうのではないか……等々の疑問も出てきます。

最後に、これは私の上記議論が妥当ならという前提にたちますが、ウィトゲンシュタインと『終ノ空』がズレているのだとしたら、それは否定されるべきことではなく、むしろそのズレの部分が面白いのではないかな、ということ。

認識の理法を存在の理法ととりちがえたというのは、たとえば専門の哲学屋さんからすれば許すまじきことなのかもしれません。しかし素人の読み手としてはむしろ、認識の話が存在の話に矛盾無く繋がっていくということのほうが自然だ、ということもありえるわけです。たとえば日本近代文学で有名な「自然主義」も、本来は「自然科学」の意味の自然(つまり認識の話)だったのが、「人間の本性・天然」のような意味の自然へと変化して日本では受容されました。その辺からもうかがえるように、日本的な思想の流れというのはどちらかというと、認識と存在を地続きのものと捉える傾向が強いように思います。

確証はありませんが、これはたぶん、仏教の影響なのかなと思います(※仏教は「無明」のように認識が誤っていることによって存在そのものが影響される、という立場をとるからです)。ウィトゲンシュタインを引いているからウィトゲンシュタインと同じことを言わないといけない、あるいは言っているハズというのではなくて、作品とウィトゲンシュタインがズレているなら、そのズレから見えてくるものがあるという読み方はできるのではないかな、と。むしろ「幸福」とか「善」のかたちは、そのズレによって浮き彫りになる気配も(私には)します。

まあ『終ノ空』はほぼ忘却の彼方、『すば日々』もそこまで気合い入れてやらなかったしウィトゲンシュタインは難解すぎてちんぷんかんぷん(※ぶっちゃけudkさんが参考文献に引いておられた本が、ほぼそのまま私の参考文献でもあります)という私の意見なので全然的外れ、そもそもudkさんの論をきちんと読めていない可能性は大いにあると思うのですが、以上で感想とさせていただきます。

正月早々読み応えのある論で楽しく過ごすことができました。ありがとうございました。

さて、アルマゲドン観るか……。

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ようこそ2013年

通常更新とは別途、本日は新年ということでご挨拶など。みなさま、明けましておめでとうございます。

なんだかんだでブログを開始して一年がたちました。本格的な更新を始めてからはまだ一年未満なのですが、開設したのがおととしの12月だったので、まあだいたい一年ですね。

三日坊主を旨とする私のブログがどんだけ続くのかと不安でもありましたが、書き込みをくださるかた、感想を呟いて下さる方などおられ、なんとかだらだらと更新できております。本当にありがとうございます。この場を借りて感謝申し上げます。

日記代わりのようなブログのつもりだったので色々な記事をごちゃまぜにしていますが、あるていど絞ったほうがいいんでしょうかね……。でも情報サイトをやるようなリサーチ力も根気もありませんし、考察系だけだと一カ月に一回更新くらいしかできそうにないし……。雑談ばっかりだと誰が読むのって話ですし、うーん、難しい。

とにかく記事の数をうりにする方向で、もうしばらくこんな感じで続けるつもり。統一感ありませんけど、なんか絞るべき的がでてきたら絞ってまいります。

最初の頃は文章が長すぎたり、妙なことを書いていろいろと突っ込みを頂いたりしまして、最近方針を変えている部分もあるのですが、まあぼちぼち様子を見ながらかじ取りしていこうかな、と。

あと、うちに「人妻 犬 孕みたい」という検索で時々来られている方、ずっと気になっております。あまりプライベートな検索ワードを申し上げるのもどうかと思ったのですが、何度グーグルで検索かけても当ブログはヒットしないので、この機会に一度だけ。一体どうやってお越しになっているのか是非ともお聞かせ頂きたく……もちろん無理にとは申しませんので、気が向かれたら。

それではみなさま、お体にお気をつけて楽しいお正月をお過ごしください。本年一年が、みなさまにとって幸多き年となることを心より祈念申し上げます。

平成二十五年 元旦  御夜 宵子 拝

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さようなら2012年

三國志レビュー更新したので、もう今年を締めくくっても良いかなと思ったのですが、まあ日記代わりというか、この年のことを後で思い出せるように、最後の最後にちょこっとだけ更新します。1日に2度更新は本当に久々というかそもそも滅多にやってなかったですが、大晦日記念に。

今日はコミケ3日目に行きました。サークル参加でほんとに雑用していたのですが、途中でちょこっと企業に並ぶ機会がありまして、だらだらと外の待機列に並んでいました(そのときにめっちゃかっこいい外人さんがいたんですが、あれはいったい……)。

その後はいろいろな方のところをまわってご挨拶に。then-dさんは本当に律儀というか腰が低いというか頭を垂れる稲穂というか、朝に会いに来てくださって、私が行くべきだっただろうと申し訳なく思いましたが、今年の最後にお会いすることができてよかったです。ありがとうございました。

あと、今年私がプレイした中で最高の同人ゲーだった『柊鰯』(18禁じゃないのにとりあげるってのは結構よっぽどのことだと思ってください)関連で夕街昇雪さんのブースへご挨拶に。新刊の柊さん本をはじめいくつかの作品を手に入れることができました。

ポスター(メイド柊さん)もそのときにゲットしたのですが、なんだか割と予想外だったようで、しかもほかのお客様も並んでおられたのに手間と無理をおかえしてしまい、大変失礼しました。でも、すごくきれいな出来なのでうれしいです。大事に飾ります。

なかばやし黎明さんはブログを拝見したところコミケには参戦されていないということで、それだけが残念です。「柊鰯」で一発で惚れてしまったので(特に瞳の表情とか、髪の感じがすごく好き……なんですがほんとに好きなものってなんかあんまり理由とか関係ないだろっていう気もします)、画集とかあったら買っちゃっただろうなぁと。私はエロゲーマーですが、それは単に私の趣味であってすばらしいものにはエロだろうがそうでなかろうが関係ないわけで、まあ何というか、もっと見たいわけですよね。サイン会とかあったら沖縄だろうがアメリカだろうが行ってしまいそうな気はします。いやまあ、資金と日程的なことはあるから現実にはハードル高いですけど、勢いとしては。

その後もいろいろ知人・友人関係を巡り、最後はツイッターでお知り合いになった方何人かとお会いすることができました。

皆さんおもしろい(もちろん良い意味で)方で、私はお話を聞いてばかり(しゃべるはしゃべったけど意味のあることはあんまり言わなかった気がします)。非常に刺激的でした。でもまあそれ以上に、ツイッターでしかお会いしていなかった関係の枠組みが広がった感じがして、すごくうれしかったというのが一番です。

ネット関係での交遊って実際に会うとなるとハードルがある程度高くなるし、そういうのを嫌われる方もおられるのでどうしようか迷うこともあるのですが、ウザがられたり、いやがられてもそのときはそのときだ、とばかりに思い切ってお声かけして良かった。声をかけていただいたかたは、貴重なチャンスをいただいて感謝です。

最後はお食事にも誘っていただき、今年最後の夕飯を最高に楽しく締めくくることができました。いろいろあったけど、ブログとかツイッターとかをやりはじめてよかったなぁと思えた。本当にありがとうございました。

おし、なんか綺麗に〆られた感じがするのでこれでおしまいにしましょう。

それでは皆さん、改めて良いお年を。来年もよろしくお願いします。

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プレイレポート『三国志12』遼東プレイ(2)

関連記事:プレイレポート『三国志12』遼東プレイ(1) (2012年5月1日)

随分久々になってしまいましたが、年内に更新する! と宣言したこともあって、今回久々の「プレイレポート」です。どういう話だったかちょっとだけおさらいします。

KOEIさんから発売された『三國志12』の中でもマゾ君主と評判の、公孫度を使ってゲームクリアを目指そうというのが企画の主旨。その中で、以下のような条件を付けました。

・ 基本的にバグ利用を除く禁止行為は無し。(外交や秘策もフル活用する。縛りは無し)
・ セーブは中断時と、1年に1回、1月のみ。(登用等ランダム要素の吟味行為は無し)
・ ゲームオーバー時にはロードしてリトライあり。

実はこの作品、オンライン認証ということもあって細かい仕様がどんどん変更されているので、もはや「どのパッチがあたったときか」を説明しないことには細かい部分の違いがガンガンでてきてしまうのは避けられないのですが、プレイ中にも何度か仕様変更がかかっていちいち検証していると話が進まないので、だいたいのイメージで捉えていただけると幸いです。

主要登場人物は、君主である公孫度(父)、公孫康(兄)※武官、公孫恭(弟)※文官、の三名。

公孫恭: 「随分と久しぶりの登場になりますが、父上」
公孫度: 「おう」
公孫恭: 「いままでやっていたことを覚えておられますか」
公孫度: 「忘れいでか。目の上のタンコブ、公孫瓚を始末しようと企てたところだ」
公孫恭: 「さすが父上。左様でございます。我が兄、公孫康も帰還しました。
公孫康: 「我等親子三人、手を携えて中華の覇権を握る足がかりを手に入れましょうぞ」
公孫度: 「その意気や良し! して恭よ、公孫瓚を倒す妙案はあるか」
公孫恭: 「はっきりと申し上げますと」
公孫度: 「ふむ」
公孫恭: 無 理 でございます」
公孫度: 「(;´Д`)」
公孫恭: 「ちょっと戦力差あるくらいならよかったんですけどねー。圧倒的ですから」
公孫康: 「具体的には、将の質・能力・経済力・軍事力、全てにおいて公孫瓚軍が上です」

※三國志12の「国力」要素としては、まず経済力があります。都市には「商業都市」(金が多くはいる)、「農業都市」(兵糧が多くはいる)、「大都市」(兵士が多くはいる)、「通常都市」(ノーマル)があり、公孫瓚は農業都市を押さえていて、しかも内政建築数が多い。一方公孫度は通常都市で特に経済的メリットを受け取れないうえに、そもそも武将の人数が3人から増えないので内政に人数を割けず、ただでもショボい国力をフルに活かすことすらできません。

公孫度: 「むむ……能力的には我が軍もそれほど悪くないと思うのだが……」
公孫康: 「我等が公孫瓚の軍に加わったとしたら、二軍がせいぜいでしょう」
公孫度: 「(´・ω・`)」
公孫康: 「恭なんか武力30台ですよ……正直申し上げて、戦いでは役に立ちません」
公孫恭: 「悔しいですが兄者の仰るとおりです。しかも公孫瓚は本人が相当強いだけでなく、盧植、田豫という有能な部下を抱えています。この2人だけで我が軍は兵士が倍以上いても蹴散らされるでしょう」

※盧植、田豫の2名は能力がバランスよく高い上、「火計」「大打撃」という全体攻撃スキルを所持しており、兵士数が少ない序盤においては圧倒的な強さを誇ります。特に盧植の「火計」は、 アホばっかり 余り知力が高くない公孫度軍には致命的。迂闊に飛び込むとゴリゴリ兵士が削られて、「ぎんもぢいぃぃ゛ぃ゛ぃ゛」状態を味わえます。

公孫度: 「なんということだ……では、我が軍は絶望的ではないか。どうやって公孫瓚を倒せば良いのか」
公孫恭: 「なに、簡単な話です」
公孫康: 「然り。一人で倒せないなら、援軍を呼べば良い。それだけです」
公孫度: 「ほう……援軍とな。となると、どこかと同盟を結ぶわけか」
公孫恭: 「スタート時の状況を考え、公孫瓚攻めを行えるような隣接国となると、西の劉虞か南の袁紹でございますが、ここは袁紹と結ぶのが得策でしょう」
公孫康: 「劉虞は弱国なので援軍を頼んでもロクな相手が来ませんし、そもそも早急に袁紹に滅ぼされる可能性がありますので、結ぶ意味がございません。同盟を組むなら、袁紹一択です」
公孫度: 「なるほど。つまり、大国である袁紹と同盟し、彼らに兵をださせて、我が軍は弱った公孫瓚を叩いて漁夫の利を得ようというわけか」
公孫恭: 「イグザクトリィ(その通り)。我々が公孫瓚を滅ぼすには、正面から戦うのではなく袁紹軍の優秀な将と兵とを公孫瓚にぶつけることが不可欠というわけです」

※ちなみに公孫度軍の将の使い勝手の悪さというのは相当で、まず兵科が結構バラバラ。恭は弓、度と康は馬。なので、兵科の開発をしても全員が強くなるわけではありません。しかも、城門の破壊力がある槍兵がいないので、攻めにはかなり不利。また、せめて騎馬の兵科開発をしようとしても、公孫康の武力が68とギリギリ70に届かず、「修行」で武力を上昇させないと満足に兵科を開発できません。また、このゲームには武将三人で「秘策」を開発することができ、戦闘や内政で非常に役に立つ(たとえば全国から在野武将を登用できる秘策などもあります。公孫瓚軍はこの秘策を開発して、優秀な武将を自軍に引き入れることが多いです)のですが、能力が帯に短し状態の公孫度軍では、ロクな秘策を開発できません。踏んだり蹴ったり。

▼同盟を結ぶ
公孫度: 「しかし恭よ、そうなるとひとつ問題があるぞ」
公孫恭: 「なんでしょう?」
公孫度: 「袁紹は、わが国と同盟を結んでくれるのだろうか? 相性データを見ると、私は相当嫌われているようだが……」
公孫恭: 「それはまあ、そうでしょうね……。わが国はどちらかといえば曹操寄り。一方袁紹は、その曹操に滅ぼされているので相性が良いハズは無いかと」
公孫度: 「ならば、同盟など夢のまた夢ではないか!」
公孫恭: 「アイテムなどを貢げば手っ取り早いのですが……父上、何かアイテムをお持ちですか?」
公孫度: 「ない」
公孫恭: 「デスヨネー」

※実はこのシナリオでは、孫堅が所持していた「古錠刀」が「探索」によってランダムで手に入ります。ただ、そもそも遼東に古錠刀が来る率が低い上、公孫度軍のメンバーの知力ではアイテムの発見はよほど運がないと難しいので、「アイテムに頼る」という選択肢は捨てたほうが無難です。

公孫康: 「しかし父上、心配召されるな。ハッキリ申し上げると、世の中のことは金で大抵なんとかなります」
公孫度: 「この年齢になって息子にそんなことを諭されるとは思わなかったが、なるほどそれは尤もだ。では、金を貢げば良いのか」
公孫恭: 「ところがそう単純ではありません。戦争につぐ戦争が起きているこの世界では、金よりも兵糧のほうが価値が高い。ぶっちゃけ、金をいくら積んでも同盟してくれない相手でも、兵糧の現物をちらつかせると飛びついてくることがよくあります」
公孫度: 「なるほど……」
公孫康: 「しかし問題は、兵糧はこちらの兵士を動かすのにも必要だということですな。いくら必要だからといって貢ぎすぎると、今度はこっちが兵を動かせなくなって滅びかねない」
公孫恭: 「我々は政治力が低いですから、兵糧収入もそれほど高くはなりませんしね」
公孫康: 「そんなわけで父上、兵糧というカードはできるだけ最後に切るほうがよろしいでしょう」
公孫恭: 「それまでは地道に、金を無償提供することで好感度をあげておきたいですね」

※上に書いた通り、このゲームでは「兵糧」だと無理が効く場合が多いです。或いは内部計算的には兵糧とお金の関係は適当なレートが設定されているのかもしれませんが、金よりも兵糧のほうが手に入りやすいという意味で、兵糧のほうが有効活用しやすいです。「外交」コマンドで「金」を無償提供して好感度をあげて、MAXになったら「兵糧」を条件にして同盟を組む、というのが最も効率的で成功しやすいパターンでしょう。ただし、兵糧を外交に使いすぎると兵糧不足になって攻め込まれたり、あるいは援軍要請が成功して合同攻めになっても、こちらが満足な軍を派遣できないということになりかねません。ご利用は計画的に。

公孫度: 「なるほど……では、恭よ。お前が袁紹のもとへ赴いて、仲を仲介してくれるか。」
公孫恭: 「かしこまりました。お任せ下さい」

※というわけで、ここからは政治力の高い公孫恭に外交に行って貰います。基本的に1度目の外交で1000~2000の金をプレゼントして好感度を100に。その後は兵糧がある程度たまったところで同盟を結びましょう。20000くらいで結べる場合が多いのですが、その後の戦闘のことを考えると、35000くらいはためてから外交にいかないと兵糧が尽きてひどいことになります。

ちうわけで、この後、恭の外交がうまくいくのか……。外交が成功したあと、公孫度軍はどのような攻め方をするのか。序盤の山場を迎えるあたりでいったんおわかれ。またぼちぼちと更新していきたいと思います。

今年中にはギリギリでしたが、何とか続きをかけた……。

それでは、また明日お会いしましょう。

って今日は大晦日だからちょっと違うこと言った方が良いのかな。

皆さま一年間ありがとうございました。どうぞ、良いお年をお迎え下さい!

場合によっては今日中にあと1度更新するかも?


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雨のコミケは地獄の話

2日目もコミケ参戦してきました。あいにくの雨模様ということもあってか、初動の人はかなり少なかった。七時ごろにつく電車でも、企業ブース余裕で間に合いました。

昨日取り損ねた「3rdEYE」さんブースでのサイン会整理券をゲットしたあと、返す刀でリリスさんの「対魔忍セット」を購入(イベント整理券はもう間に合いませんでした)。その後エウシュリーブースへ向かい、本日のミッションは完了。なぜか午後から仕事が入ってしまった(もともとの人がノロでやられたようです)ので早めに退散しなければならなかったのですが、13時からの大野哲也さんサイン会と、14時からの3rdEYEサイン会には出席しました。

しかし、雨のコミケは悲惨です。今日はそれほど雨が酷くなかったので「濡れる」心配はあまりありませんでしたが、対処を誤っている人も少なくない。まず、水を弾くパーカーとかレインコートを用意してきていないと、基本傘禁止ですので服が水を吸って悲惨なことになる。あとは帽子ですね。パーカーのフードとかが最高。とにかく頭を守るアイテムが無いときつかっただろうなと思います。布系の帽子は水すっちゃうからよくない……。

無理繰り傘をさしている人もいましたが(スタッフが「閉じろ」といってもさし続けているのはさすがに閉口しました)、やはりどこかでは閉じて並ばざるを得ないし、そうなるとあとはヌレヌレ状態でクソ寒い中何時間も過ごすハメになりますので、雨の日の対策はしっかり……と終わった後で言っても意味ありませんが、昔はなんか周り見渡すと「プロ」っていう感じで対策完璧な人が殆どだったけど、今日はむしろ「その格好は無茶やで……」という(ツイードのコートに布のシューズ、頭の防具無しとか)人が結構多くて、今は雨対策とかあんまり浸透してないのかなーとちょっと思ったのでした。

濡れたまま戦いを続けたみなさんは、どうぞくれぐれもお体にお気をつけて。しょうが湯など飲んでゆっくりと暖まってください。

あと、整列時私の前でずっとイチャついてたカップル(ずっと手を繋いでいて、男の子のほうが「顔かゆい~。かいて~。目のした~」とか言いながら、女の子のほうがかくというプレイをしていました。お前の空いている左手はかざりかと。自分でかけと)は、ただでも寒い中輪を掛けて寒くなったので爆ぜてくれて良いです。

まあ普段いかない2日目に行ってしまってさすがに疲れてきたので、今日はゆっくりやすんで、明日に備えようと思います。

それでは皆さん、今年もあと1日、頑張っていきましょう!

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エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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