よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

凌辱の秋、触手の秋

昔のエロい人は言いました。「春は寝取られ。夏は百合。秋は凌辱。冬はフタナリ。」

……いや、言ってませんけどね。

ただ実際問題気分的にも、クソ暑くてバテ気味の夏にはあんまりシコシコ抜きゲーにいそしむ気持ちにはなりづらく、涼しくなる秋頃からエンジンがかかってくる人も多いのではないでしょうか。少なくとも、私はそう。というわけでこのところ抜きゲーばっかりやってるOYOYOです。

で、色々やった中、今月の触手ゲーはこんな感じ。本当は『桃色くノ一忍法帖』があるのですが、DL版を購入したので写真におさめることはできませんでした。『リヴォルバーガール☆ハンマーレディー』は触手ものに分類して良いか微妙なところですが、ギリギリOKということにしておきます。

触手ゲー
左から『リヴォルバーガール☆ハンマーレディー』『MONSTER PARK2』『快楽恥帯』。

『リヴォルバー』と『快楽』は終わって後は『モンパ2』を残すのみとなったものの、その間にも『HOTOTOGISU』やら何やらが挟まっていて、ぶっちゃけ干からびそうです。いくら涼しくなったとはいえ、このペースは危険。身がもたない……。

前作からの流れもあって『モンパ2』にはとても期待しています。予想外に良かったのが『リヴォルバー』。前哨戦のつもりだったのが嬉しい誤算です。巷では、KAI作品の中でも初心者向けだとかトーンダウンしたとか言われていますが、個人的にはそうでもない感じ。グロさや残虐さは確かに減ったかも知れませんが、むしろ今まで以上にエロくなっていたと思います。その辺はちょっと感想をきちんと書きたいな。

KAI作品って本家アモルファスさんも含め、どの作品も「初心者にはハードル高いけど上級者には物足りないかもしれない」みたいなコメントをされている気がします。実際ちょっとググるとだいたいそんな感じですので、一部の嗜虐属性特化みたいな作品と比べると薄く見えるところはあるのかもしれません。ただ、じゃあ一般人ウケするようにデチューンしているかというと決してそんなことはなく、尖らせつつも裾野を拡げる努力をしている感はあります。特殊な属性に尖らせれば尖らせるほど、ちょっとした違いでユーザーにそっぽを向かれる可能性があるから尖らせすぎると危険だ、というのは良く言われること。作品を尖らせることを考えるなら、同時にいかに安定させるかというのも考えなくては商業作品としては成り立たないのかもしれません。その点、KAIさんはうまくバランスをとりつつあるようにも見えました。

一方、バランスなんぞ華麗にプッチしてる感じがする『モンパ2』。異種姦とかは需要が大きいから多少尖らせても大丈夫、ということなのでしょうか。でもぶっちゃけ、蠱大好き! みたいな人ってそう多くないと思うんですが……。まあ、今のところ個人的には結構良い感じなので存分に味わうことにします。

ちなみに全く触れていない『快楽恥帯』ですが、いろいろ察して頂けると幸いです。これについても後日、感想を書くつもりなので詳しくはそちらで。

では、本日はこれにて。週末まで体力が持つか、心配です……。

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ツゴウノイイコトバ

会話をしていると、相づちの上手い人がいるというのがわかることがあります。話を聞きながら、あれやこれやとこちらの気分を乗せて、どんどん話を引き出してくれる人。しかし私はあんまり聞き上手ではないので、どうもリアルでもチャットでも、相づちを打つとパターン化してしまう。「fmfm」とか、「ほうほう」とか、まあそんな感じです。

そんな私が、微妙な居心地の悪さと共に「せやな……」と大いに納得したのが、便利な言葉四天王「なるほど」「まじか」「たしかに」あと一つは?というスレタイでした。

なるほど、コミュニケーションにおいて便利なことばというのはたしかにあります。早速左の一文で二つを使ってしまいましたが、単に「使う頻度の多い言葉」ではなくて「便利な言葉」というのがポイントですね。「ホントにその三つが便利かぁ?」と思って色々考えたのですが、考えれば考えるほどなかなか優秀なチョイスに思えてきます。

スレにはたくさんの「四つ目」候補が挙がっていて、それはまあそれなりに納得できるのですが、ランダムに挙げていったのではキリがありません。そこで、どういう意味で「便利」なのかを確定させるところから入りましょう。「なるほど」「まじか」「たしかに」という語がどのような意味で「便利」なのかが見えれば、四つ目の語もまだ絞りやすくなるはずです。

「なるほど」というのは、自分が相手に説得された、あるいは自分の知らないことを相手が教えてくれた、ということを端的に伝えてくれます。そして「たしかに」というのは、自分も知っていた、わかっていたことを相手が言った、ということの表現です。そして「まじか」というのは、自分が知らなかったことを相手が言ったけれど、それに対して納得しかねる、という意思表示です。つまりこれは、会話における情報伝達を簡便に行う語、という風に考えるのが良さそう。

会話を相手との情報のやりとりであると仮定するなら、考え得るパターンは以下です。

(1) 相手も自分も知っている
(2) 相手は知っているが自分は知らない
(3) 相手は知らないが自分は知っている
(4) 相手も自分もしらない

「たしかに」は(1)の場合に。「なるほど」と「まじか」は(2)の場合に使います。(3)の場合は相手に詳しく伝える必要があるので、そもそも「便利な言葉」で端的に解決することは困難です。ということは、(4)に該当する語があれば良い、ということになるでしょうか。つまり、相手から訊ねられて自分も知らない、というシチュエーションですね。「さあ……」はちょっと無愛想。素直に「知らない」とか「わからない」とかがベターかもしれません。

しかし、「知らない」というのは何か思考放棄っぽくてあんまり「便利」という感じがしない、と友人に言われました。「便利」なことばですから、求められるのはまず、色々な局面で使える幅広い応用力。そして誰に対してもあまり角が立たないこと(あたりさわりがない)。そして短い(使いやすい)こと。その路線で三つの語を考えてみると「わからない」は優秀だと思うのですが……。しかし言われてみると、「知る」という動詞が入っている時点で著しく範囲が限定されるというか、使える局面が限られすぎている感もあります。

ちなみに友人があげた「便利な言葉」は「すみません」。まあ確かに謝罪から挨拶まで使える最も便利なことばの一つだし応用力はありますが、他の三つと並べるのはちょっと浮いていると私は思いました。

しかし、他に便利なことばというと……。ちょっとシミュレートしてみましょうか。

A「~ということなんだって」
B「なるほどー」
A「で、~らしいよ」
B「あ、たしかにねー」
A「でも、~という話もある」
B「マジか!」

「知らない」を言いそうな流れは、こんな感じでしょうか。

A「ところで、~の話って知ってる?」
B「いや、知らない」

うん、自然。でも、これじゃ駄目だとおっしゃる。となると、もうこの三つの言葉を使い切ったシチュエーションであると決めうちしましょう。こういう展開の後で、このあとAが言いそうな台詞といえば……。

A「お前、人の話聞いてる?」

こんなのかな(笑)。だとすればBの返答はこうですね。

A「お前、人の話聞いてる?」
B「もちろん!」

おお、これならいけそうだ。「もちろん」。なんか便利そうですね。短いし。他の三つの語ではフォローできない部分を補ってるという意味でも優秀な感じがする。御礼や謝罪はできませんが、その辺はそもそも「便利な」ことばで済ませる内容では無いと考えれば、そもそも選択肢に入ってきません。

ってなわけで個人的には「もちろん」を推したいんですけど、どんなもんでしょうね。

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レビュー:『僕らはみんな河合荘』3巻

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宮原るり『僕らはみんな河合荘』3巻(少年画報社、平成24年8月30日)

関連記事: レビュー:『僕らはみんな河合荘』(2012/04/18)

『河合荘』の3巻が発売されたので早速購入。良かったです! 「コミックナタリー」さんの記事によれば、「ヤングキングアワーズ10月号(少年画報社)では単行本3巻の発売を記念して、巻中カラーページにて「僕らはみんな河合荘」の特別企画を実施。同誌の表紙や単行本のために執筆されたが、使われることのなかったラフイラストを一挙に公開している。」とのこと。人気出てきてるのかな……。気になっている方はこれを期にチェックしてみるのも良いかもしれません。

ぱっと見は何というかもう、ラブコメと言って良いのかどうか微妙な内容になってきました(笑)。宇佐くんと律先輩の仲は一応描かれるものの、進んだような進んでないような、実に微妙な感じ。むしろ、二人を取り巻く人々の日常というか生態が話の中心となっている巻のようにも思われます。特に今回は、河合荘の中でも特に謎おおきあのお方の過去が少し明らかになります。まさかアッチ系の人だったとは……。

あと、前巻でちょっと後腐れの残りそうな別れ方をした宇佐くんのお友達も再度登場し、一応大団円のような形を迎えていました。優しい展開ですね。

ただ、「ぱっと見」と変なことわりを付けたように、どれだけ周りの人々が出てきてもそれはスパイス。やっぱりこの物語の中心は律と宇佐――というか律でしょう。

今のところは、ですけど、律の「一人でいたい」というのは臆病であり甘えであると思います。基本的には寂しがりだし、構って欲しい。けど必要以上には構って欲しくない。彼女が一人でいたいのは、結局そういうの考えるの面倒だから。

でもやっぱり根っこの部分は寂しいから、時々無性に人恋しくなる。それで、自分の都合の良い時だけコミュニケーションとれる(必要以上に踏み込んでこないし、踏み込まなくてもやっていける)宇佐や河合荘の住人が好きなんだけど、それってただのワガママじゃないか、という自覚もあって、そういう自分に自己嫌悪……みたいなめんどくさいメンタリティ。これが外れていないのだとすると、私にはとても良くわかる……気がする。

自分が求めるもの、欲しいものがあるけれど、それを手に入れようとしたときの面倒くささや、自分が傷ついてしまうことを考えて結局求めるのをやめてしまう。律はたぶん、そういう生活を送ってきた。彼女が本を好きなのは、そこに何か求めるものがあるというのも確かなのでしょうが、それ以上に、本は能動的に彼女を傷つけることが無いからだと思います。少なくとも律は、そんな風に本を「利用」している。

対する河合荘の住人たちはどうか。彼らは律と比べるとバカをやっているようにしか見えないけれど、自分が求めるものに正直で、そして傷つくことを恐れない。彼らはノー天気なお馬鹿さんに見えるけれど、でもそれは何も考えていないからではなくて、自分自身に対してバカ正直だからじゃないかなあ。傷ついても傷ついてもまっすぐ向かっていく「かわいそう」な住人たちと、傷つくことを恐れて立ち止まっている「かわいそう」な律と。どちらも「かわいそう」ではあるのだけれど、その意味は微妙に違っている。そんな風にも思います。そして、そんな律の微妙な変化がこの巻でははっきりと描かれていて濃密な内容。

いずれにしても、まったり日常系でありながら俄然面白くなってきた3巻。あんまり密度が高くなりすぎると長期連載は難しいかもしれませんが、ダラダラやって盛り上がる話でもないと思うので、引き続きこの調子で引き締まった展開を期待したいです。

といったところで、本日はこれまで。また明日。

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情報ソースは案外気にされないという話

そろそろ時効というか嵐も過ぎ去ったと思うので、そのうち書こうと思っていたネタを。

だいぶ前になりますが、駄文にゅうす様で「ハッピーエンドとは何か」という当ブログの記事が紹介されていました。で、その後なんか「tumblr」とかいうURLからいらっしゃるお客様が異様に増えた。まあ、異様にってもトータル20人とかですが、うちのブログからすると1日のアクセス数の1割程ですから結構な数です。

「つんブラって何ぞ?」と思っていたのですが、どうやらタンブラーという新手のSNSが…………って、タンブラーくらい知ってる? そもそも新手じゃない? そりゃまた失礼いたしました。私はつい最近まで全くその辺のことを知らなかったもので。いや、さすがに名前は知っていましたが、Tumblerだと思っていました。あれはグラスでしたか。

……何の話でしたっけ。ああそう、記事の話です。で、まあ私の記事はエロゲーの話なわけですが、タンブラーの方では記事の中の、私の先生の発言だけを拾って掲載、コメントをつけておられました。それ自体は別に問題にすべきことでもないし、また私の記事へのリンクも貼ってあったので、引用そのものについてどうこう言うつもりはありません。むしろ、とりあげて頂いて嬉しいくらい。

ただ面白かったのは、そのタンブラーの記事にはもの凄い数のリブログが着いていたこと。100以上だったと思います。「本を読んで、自分の尺度でしか測らないのであれば、君はもう本を読まなくても良い。」で検索するとタンブラー関係がトップにくる程度には広がっていました。紹介系の拠点に取りあげられると拡散する、というのは体験済みだしハブがどうのこうのという記事でも書いたこと。なので、人のふんどしで相撲をとってと怒るとか、私をリスペクトしろ! とかそんなセコいことを言うつもりは全くありません。元記事より抜粋のほうが便利で目立つというのは、2ch系のまとめサイトさんとかが典型でしょう。そもそも私の記事だって、先生が言っていたことをうろ覚えで書いただけですからね……。元ネタで言うなら先生に帰属です。

私が面白いと思った――もう少し正確に言えばちょっと驚いたのは、それだけの数の人がリブログしたにもかかわらず、ソース元を確認に飛んできたのは20人しかいなかったという、そっちのほうです。情報ソースを見たり掲載したりするっていうのも存外常識ではないんだなぁ、と。オチを先取りしちゃえば、なにかものを読んで「自分の尺度でしか測らない」ということに対して批判した文章をお気に入り(とは限らないので注目、くらいが良いのかな)した人が、ソースは確認せず自分の尺度で内容を斟酌して満足しているというのが、シュールなギャグっぽくてええじゃないか音頭。

自慢じゃないけど私もソースチェックしっかりはしていません! ただ少なくともお気に入り登録するときとかは確認するなあ。でないと、どういう文脈で言われた内容かわからないじゃないですか。昨日の記事とも絡む内容として言えば、相手が何を言っているか、きちんと考える前に自分のところにひっぱりこんで解釈しちゃう人が多いっていうのは、こういうところにも出てるのかもしれません。

もちろん、とても丁寧に私の文脈を追いかけて引用してくださっている方もおられましたので、それは「読んでくださってるんだ!」と嬉しかったです。ただ同時に、そういうことをする/できる人というのはやっぱり限られているというのも実感しました。毎日山のような情報がはいってくる今の時代、たとえ断片的であってもぱぱっと入ってきてすぐ実用できる情報のほうが重宝される。考えてみると私もそうです。日々、考えることなく使えるネタを探している。

わかりやすくあれ。端的であれ。文脈なんていうのはいまの時代、めんどくさいコース料理のようなもので、ごく一部の人しか気にしないのかもしれませんね。だからといってインスタント食品ばかりになってしまうと、私はちょっと寂しい気がしますけれど。

そんなわけで本日は、情報ソースは案外気にされないという話でした。それでは、また明日。

(2012年9月19日、少し文章に手を加えました)

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議論を「引きつける」やりかた――とある『はつゆきさくら』感想を拝読して思うことなど

先日のことになります。kaikokaikoさんの『はつゆきさくら』の感想について、ツイッターでちょっと呟いたら思った以上に色々なご意見を頂きましたので、割と今更なんですが少しだけこの件について書いておくことにしました。まあこの件では私のような考えの人は少数派だと思うし、周りの人はとりわけこのご感想で盛り上がっていたので水をかけるというか、逆に前回のツイート等でご不快を与えていたら火に油を注ぐことになるというか、そういうのがちょっと怖いですが、それでも書いておく意味はあるかなあ、と思ったので。

といっても、批評空間さんでの採点がどうあるべきかとか、投票やコメントのつけかたがどうあるべきかとかそういう問題とはあんまり関係ありません。その辺は人の自由だと思いますし、ぶっちゃけ私が興味あるのは作品の内容と言説のほうで、点数はどうでもいいかなっていう……。いや、点数をデータとしてどう読むかには興味ありますけどね。

今回わざわざ記事として書くのは、言説に対するスタンスが私自身にとって重要だと思ったからです。しかし、いきなりその話をしはじめても話が飛びすぎますかね……。ひとまずは今回の件をどういう問題として捉えるか、そのことを検討するところから入りたいと思います。(※以下、「良作」・「佳作」というのはkaikokaikoさんのユーザー情報欄の定義に準拠)

kaikokaikoさんの主張の内容
とりあえず、kaikokaikoさんのご感想がどのような内容だったかキチンと把握しないと話になりません。まとめると次のような感じでしょうか。

(1) 『はつゆき』は中央値84点だが、平均的で飛び抜けた作品ではない。(「普通」の一言)
 ・理由:「エロゲテンプレの良くいるキャラという印象」

(2) 中央値80点以上の作品というのは、飛び抜けたところがある。
 ・具体例:『こんにゃく』『月姫』『ひぐらし』『G線』『つよきす』『大悪司』『AIR』『かにしの』『うたわれ』『あやかしびと』『加奈』『プリンセスうぃっちぃず』『大番長』『痕』『群青の空を越えて』
  ・80点というのは「一つの壁」(コメント欄)

(3) よって佳作の『はつゆき』に84点はおかしい。
 ・80点以上の作品には「勢いというか魂というか、そのようなもの」がある。
  →「尖った作品が少なくなった」(コメント欄)
 ・「80点未満の作品に感じる「良いところもあった」感を非常に強く感じた」
 ・「感覚的には75点周辺の作品たちと並ぶのがしっくり」くる。
  →具体例:『CloverPoint』『いつ空』『こみパ』『姉しよ2』『秋色恋華』『とらハ』『青空の見える丘』

(4) これに84点の中央値をつけている最近の批評空間の基準は甘くなった。
 ・今後出るであろう名作(+荒削りな迷作)までスルーするようにならないことを懸念(コメント欄)


疑問点
さて、上記の意見はわかりやすくて、かなり解りにくいと私は思いました。どういうことか? 簡単に言えば結論はすごくハッキリしてるんですが、どうしてその結論が出てくるかはよくわからないということです。たとえば、「はつゆき」に84点付けるのが甘いというのが、どうして「今後出る名作をスルー」することになるのか。名作なら、別に「はつゆき」とは関係なく良い点数がつくんじゃないの? と思います(この辺は後で解消します)。また、中央値80点以上の作品の「飛び抜けた」ところも良くわかりません。私の知る限り『CloverPoint』は妹ルートでもの凄くハジけていたし、『姉しよ』シリーズも属性特化のとんがった内容。『こみパ』も、当時出来たばかりのLeaf東京開発室デビュー作ということでもの凄い気合いが入った斬新な作品でした。

私はそれらが80点を超えるべきだと言うつもりはありません。いや、むしろ私の中では妥当であるとさえ思われます。ただ、それはあくまで私の考えです。多分、kaikokaikoさんのお考えとは違うはずです。そしてその違いを無視して、私の考えをkaikokaikoさんのご感想に押しつけてしまうのは拙いんじゃないかなと思うわけです。要するに、私はkaikokaikoさんが考える「85点前後」の飛び抜け具合が何なのかを知りたくなる。でも、たぶんそれは書かれていない。だから「かなり解りにくい」と思うのです。

というわけで、ちょっと解りにくいところを整理しながら話を進めます。ただ、私自身の考えをまとめるのが大変面倒なので、私が疑問に感じたことをトレースするという形で進めさせてもらいます。

[0] なんで80点がラインなんだろう?
まず不思議だったのはここでした。私の場合75~84を満足ラインに設定しています。80点を境に佳作と良作を切り分けるというのとはスタンスが違う。また、批評空間さんでブランド別作品リストを選ぶと、中央値75点以上で色が変わるようになっていました。ということは、75点以上が「壁」と読むのがシステム的には妥当である……というような話も成り立つはず。ただ、その部分は叩いてもひたすら不毛でしょう。そもそもkaikokaikoさんは、実感として批評空間さんには80点前後に中央値の壁があったはずだと述べておられる。だから、得点は80点が境界になるべきか否かのような話として読むとつまんないと思います。よって、この思考はここで一旦打ち切り。

[1] 「最近の評価は甘い」ってホントに言える?
これは実証性とか手続きの問題。要は、結論ははっきりしているけどホントに妥当なの? ということです。たとえば『はつゆき』を高く評価している最近のユーザーの多くが、『AIR』に70点をつけていたら、過去の良作は厳しく評価されていると言えます。このように、「昔なら評価が低かったような内容の作品が高評価」であることと、「最近の評価が甘い」こととは必ずしもイコールではない。たぶん「最近の評価が甘い」ことを言うなら、一番単純なのはここ2、3年の中央値の平均(平均値ではなく)を計算して過去の中央値平均と比べるとか、そういう手続きが必要のはずです。この点は全くしっかりしてないよな、と思っていました。

[2] 「甘い」ってどういうことなんだろう?
さて、次。私の中では「最近は評価が甘い」というと、どんな作品にでもポンポン高得点がつく、というイメージです。ところが、どうもkaikokaikoさんはそういうことが言いたいわけではなさそう。

kaikokaikoさんのご感想は、「テンプレキャラ」しか出てこなくても良作扱いになるのが「甘い」という風に読めます。確かに、明らかに劣っていると思われる部分があるのに高く評価されていたら、それは「甘い」。ですが、たとえば『加奈』や『月姫』のグラフィックはやはり最近のCGクオリティから見れば劣って見えます。しかし、これが高く評価されるのは「甘い」と言わないらしい。つまり「甘い」というのは、評価基準がゆるくなっているという意味だけではなさそうです。

では、どういうことなのか。まずkaikokaikoさんは、キャラやストーリー、ゲーム性など「特定の部分の評価」に限って「甘い」か否かを判断しているように見えます。たとえば、演出(CV・音楽)やCGは判定基準として入れていない感じがする。それら「特定の部分」が飛び抜けていれば高得点、ということなのでしょう。まあこれは、人によって評価を重視するポイントが違うというだけの話なので大したことではありません。重要なのはむしろ次のこと。つまりkaikokaikoさんがおっしゃっている「甘い」というのは高得点がつきやすいかどうかではなくて、一流認定が出やすいか出やすくないか、ということだったのではないか、ということです。

私の説明がわかりにくいですよね。私もわかりにくい(爆)。ちょっと例を使って説明しましょう。

たとえば野球で、現役のA選手(打3、守3、走3、気3)という12点の選手がいるとします。一方、引退したB選手(打5、守2、走2、気3)という12点の選手がいた。kaikokaikoさんが80点がどうのという話をなさっていたので、私はトータルの点数の話をしていると思っていたんですね。だから、「いや、A選手への評価が甘くなったなら、B選手の評価もついでに甘くなって、15点くらいになるから良いんじゃないの? 実質変化してないでしょ」とか、「今と昔は環境違うから、B選手は今なら10点だなー」となったら別に甘く無いじゃないか、とか考えていました。で、kaikokaikoさんもそういう話を多少はされてるんですが、それだけじゃない。プラスして、「オールスター(80点越え)に出すのはAよりBが相応しい」という話をしている。点数だけではなくて認定の話をしているのだと思います。80点というラインへのこだわりが意味を持ってくるわけですね。

つまり、「80点というのはオールスター枠で、そこに入る資格があるかないか」というのがkaikokaikoさんの議論の中心であって、採点がどうこうみたいな話は実質余り関係ない。「甘い」というのはオールスター選出基準が甘くなったということ。そしてその基準というのは飛び抜けた要素の有無ということなのでしょう。スターと呼ばれてる選手のスター性がさがった、みたいな話でですね。

突出していなくても80点というボーダーを超えてしまうような――あるいは、80点というボーダーが意味を失い、過去の作品の価値が相対的に下がってしまうような、そういう「採点基準の変化」。これこそが問題意識だった。うん、そう考えるとだいぶスッキリした感じがします。

最初この部分がよくわからなかったのですが、賛同する多くの方にはきちんと伝わっているようです。たとえばコメント欄を見てみると……。k-qさん曰く「クセがない無難な作り」。mezamashiさんなら「小粒感」。SANEATUさんなら「飛び抜けた部分がない」。feeさんは「優等生的で、大きな欠点もない」……なるほど、突出した部分の有無について皆さん話をしてらっしゃいますね。私がアホだっただけか! ただ、純粋に採点論と考えている方もおられるようですから、言葉の意味のズレは他の方との議論で少々混乱の原因にもなっている感。

とりあえず以上が正しいなら、kaikokaikoさんのご関心は中央値の平均とは特に関係無いので、私の「疑問1」は無意味な疑問ということで良さそうですね。

[3] どうして『はつゆき』はダメなのだろう?
さて、それならポイントは絞られました。kaikokaikoさんのご意見では、『はつゆき』はキャラがテンプレで、「尖った」ところが少ない、ということになる。しかし、では具体的にどこでそう感じたのでしょうか。これが読めればkaikokaikoさんのご感想を一通り読み切ったと言って良さそう。

しかし、うーん。これ書いてあるのかなあ? 「尖った」ところが無いことを証明するのは悪魔の証明みたいなものですから、訊ね方としては「じゃあどうすれば尖っていたことになるの?」と訊くのが妥当でしょう。キャラ。キャラなのか。キャラのどこなんでしょう……。解明の鍵を握るのはおそらく、kaikokaikoさんが挙げておられる具体例です。

kaikokaikoさんは中央値85前後の作品を全部挙げているわけではなく、割と恣意的にピックアップしておられます。ご自分がプレイされたものをチョイスされたのかもしれません。ただ、それらに共通する「勢いというか魂」が具体的に何なのか見えればOKのはず。『鬼畜王ランス』に100点をつけておられるので、『大悪司』や『大番長』はシステムで評価しておられるのでしょうか。いやでも、もしかするとキャラかもしれない。先ほども言いましたが、佳作(75点クラス)の代表に挙がっている『こみパ』は、当時としてはアイディアもシステムも非常に斬新でしたが、これはなぜ「飛び抜け」ていないことになってますからね。……と考えていくと、どうもやっぱり私には分かりません。チョイスしておられる以上kaikokaikoさんご自身の中では繋がっているのだとは思いますが、その繋がりが見えるかと言われると、否。

そして、その「繋がりが見えない」ことは、やっぱりあんまり良くないように思えます。たとえばですが、こんなことが書いてあったと想像してみてください。
イタリアは世界の2004年度観光名所ランキングでトップ10に入っているけれど、他のトップ10の国、フランス、スペイン、アメリカ、中国、イギリス、ドイツなどに比べて良いとは思えない。メキシコの風景はどこにでもありがちだ。メキシコには突出した「勢い」が無い。観光客の評価が甘くなったのではないか。
構造としては全く同じですよね。「勢い」のような語も、あえてそのまま使ってみました。で、私はこれじゃあわからんだろと思う。風景が問題なのは良いけど、じゃあ具体的にどこを回ってきたのか。他の風景との違いはどこなのか。そもそも「勢い」って何なのか。実際にメキシコの風景を見てその通りだという印象を持てば良いのだとしても、その印象が論者の言っていることと一緒なのかを気にする必要は無いのでしょうか。

「メキシコ」の部分に、自分の名前を入れて想像してみてください。私なら、言いがかりをつけられたと感じる。この言い方では、メキシコ観光協会が気の毒です。

kaikokaikoさんの感想に対する周囲の否定的な反応として、「『はつゆき』と関係ないことを書いてる(批評空間批判、採点基準批判でしかない)」。だから、そもそも感想として成立していない、というのがあります。もしそうだとすれば、それは作品に対してとても失礼なことでしょう。「はつゆき」ファンは怒るべきだ、くらい言っても良い。だって、理由があるんだかないんだかわからないのに「キミはちょっと良作じゃないよね」「ありがちだよね」とレッテル貼られているわけですから、これは私が作り手やファンならキレます。いやまあ、逆に特に理由もないからスルーでいいか、となるかもしれませんが、私なら具体的に指摘があってケチョンケチョンに貶されたほうが気持ちは楽かなあ。

他にもたとえば、『はつゆき』は飛び抜けたところがある、と考えている人が反論できないことは問題でしょう。『はつゆき』に80点以上を付けている人がいて、その採点は「甘い」という前提ではじめられたkaikokaikoさんのご感想は、意図しているにせよしていないにせよ、そのような人たちに対する論争的なところがあります。もしかすると80点以上つけている人たちは、『はつゆき』に突出したところを読み取っているのかもしれない。実際それがわかる感想を書いているかたもおられるでしょう。それに対して「佳作」どまりだと言うのなら、その根拠をきちんと提示しないと、反論も議論もできないただの言いっぱなし無敵論法で終わってしまうのではないでしょうか。

なお誤解の無いようにことわっておくと私は、判断した根拠が無いと言っているのではありません。そのことは次に述べますが、たぶんあるのだろうけど、伝わる書き方がされていないから「わからない」と言っているつもりです。ここは重要なのできちんと説明しておきます。

この感想は『はつゆきさくら』の感想として妥当なのか
実は、kaikokaikoさんに肯定的な人の中にも、このご感想は作品と無関係な批評空間さんの採点論・点数論として読むべきだと言う方はおられます。そっちはそっちで解らなくもないのですが、本当にそれで良いのでしょうか? 万一kaikokaikoさんがそれで良いとおっしゃっても、「この感想は『はつゆき』と関係ない」と簡単に言ってしまうのは、感想の読み手としては拙い気もします。

kaikokaikoさんは感想の最初にこう書いておられました。「この作品をプレイした時に最初に思ったのは「普通」の一言」だった、と。そして、長年ROMをしてきたけれど「思うところがありまして、初めて書き込みを」したわけです。ということは少なくとも『はつゆき』に、そう決意させるだけのきっかけがあった。単に量的な(『はつゆき』がたまたま我慢の飽和限界だった)ことかもしれません。しかし『はつゆき』が、kaikokaikoさんが考えておられる「佳作」の典型であることは間違いないでしょう。

その意味で、この感想は『はつゆき』の感想として必然性があるはずです。この作品を例に取ればきちんと伝わるはずだからこそ、選ばれたはずです。ですから、kaikokaikoさんの考える「佳作」が何で、「良作」が何であるかをきちんと考えた上で『はつゆき』が選ばれた理由を考えるのがkaikokaikoさんのご感想に対する誠実な賛同であり、そこをスルーして「俺も同じことが言いたかった!」と言うと、下手をすれば我田引水というか、今度はkaikokaikoさんのご感想・ご意見とは関係なく自分の主張をしているだけになるのではないでしょうか。

たとえばコメントを書いておられる方々が、kaikokaikoさんの言っておられる「勢い」とはどんなもので、どこを見てなぜそう思ったのかを考えることなしに、みんな自分の好き勝手言っているのだとしたら、それは先ほどの「メキシコ」の例と同じような気の毒さを感じます。否定的だったら悪くて肯定的ならまあ良いか、ということは多少あるにしても。

言い方を変えるとこうです。「kaikokaikoさんが『はつゆき』と直接関係ない話をしているのはまずい」というのはそのまま、「kaikokaikoさんのご感想と直接関係ない話(批評空間の採点論)をしているのはまずい」という意見として返ってくるのではないか、と。もちろんこれは、kaikokaikoさんが『はつゆき』を選択して今回のことを述べた積極的な理由がある、という前提に立っていますが、それが無いとなると、そもそも「作品の感想なのだからそもそも議論すべきことじゃない」、「コメントは余所でやるべき」で感想全否定、はいおしまい。場違いな感想に場違いな反応をしているだけ、となって余計自分の首を絞める感じになりかねないと思います。

結局私は何が言いたいのか
kaikokaikoさんの感想に意味を見出さないというのなら、「『はつゆき』の感想ではない」とか、「この感想は抽象的一般論であって何も内容が無い」と言ってしまうことも可能です。ただ、私自身は上述したように、「手掛かり」は感想の中に書かれているとは思う。しかし、同時にそれが十分ではない、とも思います。だから、「俺の思った通りのことが書いてある!」という意見に対しても、「ホント……?」と思います。要するに私は、kaikokaikoさんのご感想に対しては「よく分からない」ときちんと発言することが、一番ご感想に対して誠実な態度ではないかと思ったのです。

はじめにも述べましたが、別に批評空間さんで投票するなとか、コメントつけるなとか、そういうことを言いたいわけではありません。批評空間さんの使い方等について議論をするほど私はきちんと規約等について理解しているわけではないので語る資格も無いし、個人的な問題意識は全くそこにはない。私の意識が言説のほうにあるということは、本ブログをお読み頂いている方ならご理解いただけると信じます。

私が言いたかったのはたぶん、次のようなことです。誰かの発言をダシというか材料にして自分の言いたいことを言うという、それ自体は普通のこと。でも、それはダシにする作品なり感想なりをまずきちんと読み込み、解釈した後での話になるのではないかな、と。

失礼を承知で申し上げれば、kaikokaikoさんのご感想を含め、今回の件で盛り上がっている内容をじっと見ると、対象をきちんと把握しようという過程をすっとばしている印象を受けました。いや、実は皆さんきちんとコンセンサスが取れていてそれを私が見られていないだけ。私こそが誤読している、と言われればそうかもしれません。ただ、根拠はここまでで示してきた通りです。

私の見ている限り、kaikokaikoさんのご感想の内容は相当な部分の説明がカットされていると思う。でも、kaikokaikoさんに「この言葉の意味はどういうことですか?」と訊ねている人も、「ここはkaikokaikoさんのおっしゃる意味とは違うかもしれないが」と留保を置いている人もいない。割とみんな速攻で、自分の問題に引きつけている。kaikokaikoさんの言う「尖った部分」がどんなものなのか、皆さん具体的にイメージできているのかなあ。それとも、私がどんくさいだけなのでしょうか。真面目な話、少なからずその可能性はあると思います。同じような問題意識を共有していたり、同じコミュニティにいるとツー・カーで意思疎通ができるということはありますから。ただそれなら、もう少しコメントの内容が噛み合っても良いと思うんですよね。

もちろん多くの人が自由に発言した理由は、kaikokaikoさんが曖昧で、「どうとでも取れる」ようなことを――偶然か意図的にかは判りませんが――書かれたことに原因があると思います。しかし、それならまずその部分を確認するところから入っても良い。何故こんなことを言うかというと、私が批評空間さんに『無限煉姦』の感想を投稿し、工作員扱いされたときのことを思い出したからです。

意見・感想に対する肯定的な評価と否定的な評価というのは、一見全く逆に見えるかも知れませんが、私は質的な構成において今回の件と似たようなところを感じてしまいました。つまり、私を工作員認定した方というのは恐らくですが、「90点つけた」「曖昧なことを言っている」という結論を自分の自由に解釈して、私の感想とは直接関係のない自分の意見を表明したかったのだろう、と。書いてある内容を精査せずに自分に引きつけて好きなことを言って良いというのは、一歩間違えばそういう方向(言いがかりとか)にも行きうることだと私は思います。褒めるか貶すかというのは結果論であって、内部の構造は変わっていない

あるいはそれすらも、感想を書く者の自由だ、というラディカルな自由論はありえます。それなら納得はしないけど理解はできる。ただ、私は対話というのはお互いにとって意味があるからやるものだと思っています。ラディカルな自由論は最後には対話にならず、独り言を延々言い続けるような空しい行為になるのではないでしょうか。それは、私にはちょっとしんどいかな。

とはいえよくよく考えてみると、こうして直接kaikokaikoさんご本人に申し上げることもなくグダグダ言ってる私よりは、積極的に書き込んで対話をしにいった方のほうが立派だし誠実ですね。そして、私のここまでの解釈が壮大な言いがかりになっている可能性ももちろんある。うん、議論を自分の俎上に引っ張り込むって難しいです……。ただ曲がりなりには、非常にまわりくどい説明をしながら、どうしてこのような解釈になったかという説明はきちんとしたつもりです。おかしいところや異論反論があれば、おっしゃって頂ければ議論いたします。

では、長くなりましたがこの辺で。また明日お会いしましょう。

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