よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

WA2のカードケースキーホルダーを買った話

先日(3月24日)発売された、「WHITE ALBUM2 カードケースキーホルダーW」をアクアプラスの通販で購入しました。両面窓のカードケースに、リール付きキーホルダーがついています。ミニフォトカードが収納できて、というかそっちのほうがメインで、このカードケースには峰城学園の校章シールが2枚(それぞれデザインが違う)入っています。

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ミニフォトカードもついでに購入。

グッズなのに2000円弱ですから、正直結構チャチい作りなのは覚悟していたのですが、意外としっかりしている感じ。嬉しい誤算です。手触りも悪くないし、これなら普段使いの品にできるかな。丁度キーホルダーがぼろぼろになっていたので、取り替えることにします。ただ、リール部分は何度か引っ張ってみた感じ、すぐに回らなくなる気がしたのであんまり過信はできそうにありません。そうなったらただのカードいれにでもしますか。

普段、あんまりこの手のグッズは買わないタイプなのですが、『WA2』はやっぱりとても好きな作品でこれからもつきあっていきたいのと、カードケース・キーホルダーはどっちも丁度欲しかったので、タイミングが凄く良かったですね。運命を感じる……。ちなみにこの商品、現在売り切れ状態みたいですが、まあすぐに補填されると思います。

さすがにキャラクターのフォトカードを入れると人前では出しづらいかもしれませんが、校章のほうならわからない人は全然わからないでしょう。わかる人は「ニヤッ」とできるという、踏み絵機能というか同志検索機能というか、そういうオプションもついたなかなか気の利いた商品です。

しかし、クッションカバーも買っちゃったし、使えるモノは買っちゃう病気に。抱き枕カバーとか出たら抱き枕ごと買っちゃいそうで怖い……。さすがにかずさが吹いていたサックスとかでても吹けないから買わないと思いますが、春希ギターとかだと買いそうだなあ……。Leafさん、お願いですからあんまり高い品はださないでください。ありえないでしょうけれど、ピアノとか出たら、泣きながら貯金とにらめっこになるので。せめて小春の使ってるシャーペンとか、千晶の寝袋とか、麻理さんのピr……コップで勘弁してください。

というわけで、キーケースのお話でした。それでは、また明日。

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レビュー:『群青の空を越えて』

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タイトル:『群青の空を越えて』(light/2005年9月30日)
原画:黒鷲/シナリオ:早狩武志
公式:http://www.light.gr.jp/light/products/gunjou/index.htm
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ注意
定価:8800円
評価:A(A~E)


批評空間さまにて、感想を投稿しております。内容について興味のある方は、上記リンクから拙文をご覧下さい。

二万字オーバーの感想を書いて、さすがに今日は文章を書く気になれないので、私の感想の導入をそのまま貼り付ける形でお茶を濁します……。
切なく悲しい物語の基調に、どこか胸躍る興奮が加わる、何とも言えない昂揚感。難解な用語や複雑な背景がバンバン登場し、プレイ当時は掴みきれなかった要素も多かったのですが、そんな些々たる事実にはとらわれず楽しませる力がこの作品にはあると思います。実際多くのエロゲーマーが、本作の魅力を捉え、表現しようとそれぞれに力の入ったレビューや考察を書いている。その一事をとっても、『群青の空を越えて』という作品がそうさせるだけの力をもっている(あう・あわないは措くとして)ということは、疑いようもない事実でしょう。

「架空航空戦記」。そう銘打たれた本作は多くの場合、確かにその名に違わぬ出色の戦記物として評価されています。しかしレビュー・感想を見ていると、そればかりではありません。作中細かく視点人物が入れ替わり、登場するそれぞれのキャラの心情が細かく描かれる独特の手法に加え、ライター・企画者である早狩氏の「架空戦記ありきで立ち上げた企画ではない」、「本質的には人間群像劇」といった発言(ビジュアルファンブック)の影響力もあってか、まずは群像劇として見なす評もたくさんあります。また、数は少ないうえに賛否が大きく分かれるのですが、戦争という主題を扱ったテーマ作品として評価が下されたり、エロゲーらしく恋物語として(社会や時代に翻弄されながらも個人の想いを貫くことを描いた作品として)受け取った、という人もいたようです。

ここで、色々な角度から光を当てて楽しめるこの作品は凄い! と褒めたいところですが、普通こういうのは作品に統一感が無い、と言います。エロゲー作品に対する評価が異なるということはそれほど珍しくありませんが、しかし、何を描いていたかという評価軸がここまで見事にバラバラになるというのは、実は結構珍しい。ただこのように、作品の評価以前の解釈が大きく別れる原因は、わりとはっきりしているように思います。

先に挙げた用語の難解さなどもその一因でしょう。けれど、本質的にはそれではない。

作品解釈に多くの基準が乱立する一方で、共通する見解もあります。それは、「どうもはっきりしない終わり方をした」ということ。本作の最後、主人公である社は「何の為に戦うのか」という問いを発し、その答えをまさに言おうとしたところで、唐突にEDに突入します。この終わり方については賛否両論ありました。しかし、社が結論を出さずに終わったがゆえに、この作品が何を言わんとしていたかということや、作品の位置づけ――社たちは幸せだったのかそうでないのか、その根拠はどこでどう描かれているのか――に対する判断が難しいという点では、誰もが一致している。つまり、この作品は結末が曖昧なままに受け入れられているわけです。明らかにこのせいで、統一的な作品解釈に関して混乱が生じていると言えるでしょう。

いくつかのレビューには、本作を「ポストモダン的」だと評していたものがありました。このような評価はまさに、統一的解釈が可能でない作品であるという、そのことを作品の本質と見なそうという立場です。作品全体を通してさまざまな価値が相対化されていき、最後は作品そのものの意味や価値も相対的なものとしてユーザーに投げられた。以上のような考えは確かに、「答えを出さないことが答えだ」という形で、本作の結論を提示しています。しかし、そうなると今度はポストモダンの課題である、「それって何の意味があるの?」という別の――しかもより深刻な問いに晒されることになる。なぜ深刻か、詳しい説明は省きますが、ひとつだけ本質的なことを言うならば、「答えをださないこと」が作品の結論だったと仮定すれば、本作で描かれている社たちの生き方や苦しみや戦いは、すべて「他人」にすぎない私達ユーザーにとっては無意味なものとなり、切り捨てるしかなくなるからです。それはそれであり得る解釈かもしれませんが、私自身がこの作品を通して味わった思いを、そのように切り捨ててしまうことには少なからぬ抵抗があるし、まあ実際プレイ後の印象としても、そんな身も蓋もない不毛な話ではなかったと思うのです。

なるほど、ポストモダン的な――少なくとも「国家」や「民族」、「正義」といったモダンを相対化するという視点は、この作品に描かれていました。けれどその先に、社たちは戦う意味や生きる意味を喪失したのでしょうか。「ならば、今一度、俺は問いましょう。何故、我々は戦い続けてきたのだろうか、と」。社のこの問いかけは、本当に意味のない問いだったのでしょうか。私は、そうではないと思う。社は戦う意味を見出しているし、それは作品の中にきっちりと描き取られていると思うのです。

本レビューはいま述べてきたような前提に立って、「戦う意味は何か」という問いへの答えを、言い換えれば社たちが目指していたものが何だったかということを、作品から読みとることを目指したものです。その為に、少し長くなりますが個別ルートの検証なども行います。そういった丁寧な理解のうえに作品に対する感想はあるべきだと思うからです。そしてまた、内容を整理することで複雑なこの作品の見通しを少しでも良くし、作品への解釈や感想を他の多くの人が紡ぐ参考になればいいと、そのようなことをひそかに期待してもいます。前置きが長くなりましたが、それでは本論に入っていきましょう。

という感じで、感想を書きました。狙いとしては思想がどうとか物語の構造がどうとか、そういう話よりは社たちが何をして、結局この物語は社たちにとってどういう結末だったのか、というのを考えたかったということがあります。

この物語、戦記物であるのは当然として、政治の話として読んでも経済の話として読んでも、歴史の話として読んでも、もちろん恋愛話として読んでも、結構どこからでもきちんと読めるというのはエンターテインメントとして凄く秀逸だと思います。

ただ、それだけにあの「宙ぶらりん」な終わり方が、いっそう作品の意味を拡散してしまった感じがある。私なんかがいろいろ書くまでもなく、すぐれた視点のレビューはいっぱいあったのですが、個人的に社たちが何をしたかったかということ、作中でいえばあの最後の演説は何を訴えていたのかということに対して、満足できる解釈なり説明なりというのは、見ることがありませんでした。特に、あの部分を作品がユーザーに投げた(言えなかった)というのは、作中で「戦後」の描写がある以上、私としては同意できない。

そういうわけで、「社の演説」から『群青の空を越えて』という作品をもういちど捉えなおしてみたい、というのが今回のレビューでした。はっきり言って古い作品ですし、分析好きの人しか読まないだろうという気もしているので、かなりくどくどしいことを書いたりもしています。

全部言い切った、という感じは全然ないのですが、視点を一箇所に絞って掘り下げる、という作業は一応、途中までかも知れませんがやったつもりです。『群青』やったし語るの好きだ! という人に読んで、あれこれご感想なりご指摘なりお叱りなりを頂ければ幸いです。

今日明日はさすがに無理ですが、そのうち個別ルートについてもっと細かくとか、包括的な話はするかもしれません。いまの投稿文も、まだ練り直していくと思いますので。

というかぶっちゃけ、『群青』の話しながらお酒とか呑みたい……! 誰かいませんか(笑)。別にウーロン茶でも良いんですが、とにかく私の周りではやっている人があんまりいないんですよね。残念なことに。

というわけで、やや手抜き気味ですが本日はこれで。また明日、できたらお会いしましょう(ちょっとややこしい予定が入りそうなので)。

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ぜったいペロペロ☆ペロペロペロンクス!!

本日23日は卒業式……ではなくて、金曜日。エロゲーの発売日でした。softhouse-seal GRANDEE から発売された『ぜったい猟域☆セックス・ロワイヤル』と『Thief and TROLL』、『超光戦隊ジャスティスブレイドZERO』の三本を購入。で、さっそく『セクロワ』をやろうと思ったのですが……。

そういえば、初回特典がトランクスだったことを思い出し、気になったのであけてみました。

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上はサイズ比較用の文庫本。

で、でっかぁ!?

マジかよこれ、というサイズ。LLでしょうか。むしろこの下に下着を着けて、これをズボンにしても良いレベルです。手触りはなんかつるつるしてて、後ろはイラスト無し。股間のところに手とお口が来るように描いてあって、なかなか面白いのですが、ごめんなさい。私、こんなに大きくないです。身体のサイズも、ナニのサイズも。

とりあえず初回版が中古に出回ったとしたら、開封済み使用済みのトランクスが入っている可能性があるのかと思うと胸が熱くなります。まったくいらないですが。

正直使えないし使うつもりもないので、もっと空気読んで欲しいと思わないでもありませんが、しかし、こういう遊び心のある特典は好きです。中途半端に使えないものをいれるくらいなら、このくらい弾けて欲しい。ゲーム本編をプレイする前に、ひとしきり笑わせていただきました。

あとは、これが出オチでないことを祈るばかり。割と期待しているので、楽しみに今晩からプレイしたいと思います。

それでは、また明日。


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『Venus Blood ABYSS』のサイン色紙が当たった話

相本さくらさんサイン
「プリマテスだ!」ってあれー、そんなキャラでしたっけ……。

『Venus Blood -ABYSS-』のユーザーカードを送ったら、サイン色紙が当たりました!! 公式で当選者のイニシャル公表しているので、御夜宵子が偽名であることがモロバレしてしまいましたが(何を今更)、真名を知られると私の神聖力が失われ身体と意識をのっとられるかもしれないので、仕方ないのです。ビョルビョル。

原画家さんの色紙に比べるとかなりシンプルな色紙です。プリマテス(CV:相本さくらさん)は割と好きなキャラでしたのでかなり嬉しい。ちなみにプリマテスがどんなキャラかというと、褐色エルフお姉さんポジションで、クレバー(軍師ですから)で、クーデレです。完全に私のツボです。最初は敵味方に分かれているのですが、それもまた良いです。最高です。

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このおねーちゃんです。

ぶっちゃけ戦闘では一周目こそそこそこ使えるものの、必殺微妙、特殊能力微妙、陣形と種族補正は強いものの肝心の強化できる器兵の使い勝手が微妙という三重苦。触手まみれにするにも、産みの性能としてはガーネットのほうが優秀なので完全埋もれキャラ。ドラゴンが入ってくる後半からお払い箱気味になるのですが、相棒のアイオンがかなり使えるのでセットで 無理矢理使って 活躍させていました。

このところ、わりと景品系のヒット率が高いので宝くじ買えば良かったか! などとくり返していますが、実際「あたりやすい条件」とかってあるのでしょうか。雑誌によって当選しやすい/しにくいがある、という話はありますし、ハガキやユーザーカードの場合、書き方によって当選率が変わるという都市伝説なのか経験談なのか分からない話もよく目にします。

最近一年では、「このラノ」のテレカ、「MF文庫J」のしおりセット、「電撃文庫」のサインポスター、んで今回のサイン色紙と4つ当選しています。で、一応ハガキ系のやつは、アンケートをかなり丁寧にこたえているつもりです。封書で送るぶんについては、ちょっとメッセージを書いた紙などを入れたり……。といっても、何か壮大な意見を言っているということはなく、いつも読んでいる旨と、楽しませて貰っているお礼を書くくらいですが。

別に景品のためというより、本当に挨拶程度だし、読まれていない可能性も結構高い(いちいちアンケート以外についているものまで読んでたら大変な手間ですから)とは思うのですが、こうやって当選すると「頑張ったから当選したんだ!」と言いたくなる気持ちは分かります。でも、もっと気合い入れて何通も送ったのがハズレたりということのほうが多いので、多分因果関係はあんまり無いです。むしろ、当落にバイアスがかかっているのではないかと「厳正で公正な審査」を疑うことはしたくないので、個人的にはない方が良いです。

最近はバナーもちょっと付けたりして、ブログ生活の楽しみ方を増やしてみようといろいろやっています(キャンペーンがあるのは「アステリズム」と「ドラクリオット」だけですが)。そのうち何かしら当たれば嬉しいナーとは思っていますが、ユーザーアンケートにしろ応援バナーにしろ、第一義的にはメーカーさんへの感想フィードバックであり、新作の応援であり、というのがあるわけで、景品のために特別なことをしよう、とかそういうことを考えるとやっぱりよくない(ちょっと前ならステマだ! とか言われそう)でしょう。

感想書くからには、誰に媚びることなくフェアに書く。もし批判的なことを書いて、そのせいで相手にされないとかグッズ当選率が落ちる、というようなことがあるのなら、そのようなグッズはいりません。もちろん、作品嫌いな人にグッズが行っても大事にしてもらえないでしょうから、好きな人のところに行くようにする、という考えは否定しませんが、それなら「作品を好きな方に当選します」と書いておいて欲しいです。「厳正な審査」とかあったら、そういう意味なのでしょうか。まあいずれにせよ私のスタンスとしては、感想は感想、プレゼントはプレゼント、ときちんと線は引くように心がけたいところです。

あ、でもすごい嬉しいですけどね、やっぱり。なんだかんだで。

というわけで本日はこの辺で。明日はいよいよいくつかの新作エロゲーが発売。忙しくなりそうですから、早く寝ないと。それでは――。

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エロゲーの作品と比較と歴史の話

先日ぼんやりとタイムラインを眺めていたら、「君のぞもやらずにWA2を語るな」というようなツイートが流れてきました。実際はもう少し過激な文面であり、本来ならそれをここで引用するのが筋なのですが、鍵アカウントの人が、更に鍵付きの相手から非公式RTしたという複雑な事情があり、私のほうで発言の当事者が本当にそんなことを言ったのか裏をとれていない又聞き状態なので(こんな発言捏造しても誰も得しないので、嘘ではないと思いますが、冗談の一環として発言している可能性はある)、だいたいそんな感じの発言がどうやらあったらしい、というくらいに認識してください。

私はこれを聞いて(正確には読んで、ですが)、「またか」と思いつつ、あまり良い気持ちはしませんでした。理由は大きく二つあって、一つは、なぜ「君のぞ」と「WA2」が繋がるかを示さずにそういうことを言う、その中味の無さ。もう一つは、意見の表明なら自由にすれば良いと思うのですが、根拠があるんだかないんだかわからない権威主義的(たぶん自分が「君のぞ」をやっていることが権威として機能しているからこういうことが言えたんだろうと思います)な態度で、他のユーザーを頭ごなしに否定するところ。

実際問題、この手の「~も知らないくせに、偉そうに語るな」みたいな言説、ずーっと昔からたまに見かけます。ハッキリした傾向でなくとも、たとえばエロゲーやってる本数が多いとか、昔の作品をやっているとか、そういうことが端的にすごいことだと受け取られる傾向はある。その延長に、やった本数が多いと威張れる・少ないと気後れする、ということがあるのでしょう。けど、私としては、こんなバカな話は無いと思います。たかがエロゲーに必死になって、などと言うつもりは毛頭ありません。むしろ、必死だからこそ思うのです。エロゲーだろうがなんだろうが、好きなモノについて語るのに、何の資格が要るというのか。

昔は、こういう発言を聞くたびにカチンときて、でも自分に知識がない言い訳で抵抗していると思われたら嫌だから、なけなしの金をはたいて必死にエロゲーをやりまくりました。そうしてかれこれ十数年。人並み以上に本数をこなしているという自負はありますが、こなした本数なんて、ぶっちゃけ大したことないと思います。いや、正確には、こなした本数が価値を持つのは、非常に限られた条件のもとではないか、と思うようになりました。

つらつら考えてみるに、この手の本数至上主義というか、知識崇拝というか、そういうのの背景にはおそらく、エロゲーの――正確にはエロゲーに限らずオタク文化全般の――学問化のようなものがあるのでしょう。学問化という言い方が適当でないかもしれないので言いなおすと、エロゲーの作品に対する評価というのがユーザーの間でメジャーなコンテンツになった。その時、評価をするうえで導入された、既存の「学問的方法論」の影響が色濃く出ている、という感じです。

ことわっておくと、私個人としてはそのような傾向に対して否定的ではありません。むしろ、個人的な感想を繰り返すだけでなく、ある種の客観的基準を導入しようという試みは、作品の内容をより豊かにする助けになるでしょうし、批評文化が盛り上がることはコマーシャル・セールスという実利的な面からみても少なからずプラスがあるはずです。

しかしながら、生兵法はけがのもととでも言いますか、無自覚に方法を振り回すと、かえってたちの悪いことにもなりかねない。その代表例が、冒頭にあげたように中途半端な博物学的関心でしょう。


「学問的方法」のなかで、傍目にはとても分かりやすそうに見える手法の一つが、おそらくは比較論です。AとBを並べて、その違いやつながりを説明する。客観的な証拠もあり、違いが言えた/繋がりが言えたということで、一応結論らしきものも出る。形式のテンプレートにも載せやすいし、知識を加工(分析や読解)無しに直接使える……ように見えます。

しかし、比較するということは、実は結構難しい。AとBを比べるためにはまず、AとBとの間で同じところと違うところがどこか、説明しなければなりません。さらにそのうえで、なぜその2つを比べたのか、比べることで何がはっきりするのかも明らかにする必要がある。たとえば、「ケーキとまんじゅう」を比べるとき、両者は菓子という共通性があるけれど、西洋と東洋という違いがある。2つを比べることで、欧米と日本の間の甘さに対する感性の違いを明らかにしたい……というように。

比較においてはそのような「目の付け所」こそが重要なのですが、多くのエロゲー的比較論は、単に「あれとこれが似ている」「ここが違う」という、説明に終始していて、それがどういう意味を持つのかは等閑視されがちです。そうやって並べて違いを見ているというのは、二つの作品の箱を並べて「パッケージの色が違うネ!」と言っているのと、たいして変わりません。そりゃ違う作品なんだから、細部は異なるわい。そんなことが言いたいだけなら別に、君のぞやらずにWA2について語っても何の問題もないと思うわけです。

逆に、もしAとBの間――「君のぞ」と「WA2」の間――に、比較するに値することがあるかもしれません(実際あるだろうと私は思います)。しかし、それはあくまで比較において導かれることであって、作品単体をかたってはいけない、ということにはならない。比較すると違うものが見えてくる、というだけのはずです。

具体的に考えてみましょうか。あくまでも私見ですが、「君のぞ」を「WA2」と比較する場合、三角関係という構図が同じであるにもかかわらず、ユーザーの印象が結構違う。それは何故か。「君のぞ」は水月か遙のどちらを選ぶか、という作品だったのに対し、「WA2」はかずさか雪菜、どちらを切るか、という作品になっている。だから、孝之はどんなに相手を振る選択肢を選んでも振り切らないし、春希はつきあう選択肢を選び続けても問題が解決しない。結果は同じでも、過程が違う作品で、だからこそ描かれている恋愛観がずれているんだ――とかなんとか、言おうと思えば言える気がします。

で、そこからたとえば「WA2」の恋愛観について何か言えたとしましょう。

その結論は原則、「WA2」単体からでも導けるものでなければならないはずです。当たり前ですね。そうじゃなかったら、「WA2」についての話になりません。「君のぞ」はあくまで見通しをよくする為のサポートで、「君のぞ」無しでは出てこないような話になるなら論外です。

または、「君のぞ」と「WA2」の比較からしか言えないこと、というのもあるかもしれません。しかしそれは、そもそも「WA2」の話をしたい人にとってはどうでもいいことのハズです。「WA2」の話がしたいのに、別の作品との関係でしか言えないようなことを言われるというのは、カレーたのんだらラーメン持ってこられたみたいな理不尽きわまりないお話でしょう。いずれにしても、ある作品について語るのに、別の何かを知らなければ何も言えない、なんてことは無いはずです。


比較以外にもう一つ、感想や評価を権威付ける手っ取り早い方法として、「歴史」というのがあります。こういう歴史の流れの中に位置づく、ということを言えば、何か大きなことが言えた……! というパターンです。今回の場合なら、三角関係作品という系譜の中にあてはめた、ということですね。

しかし、これもまた実際にはそう簡単ではありません。そもそも、歴史というのは別に客観的な事実ではないので、ただ単に並べれば良いってものじゃないわけです。私は歴史学には門外漢なので、偉そうなことを言うのも気が引けますが、歴史記述ということを巡っては多少専門に片足突っ込んでいる部分もありますので、少し回り道をさせてもらいます。そんな専門的な話ではなく、かなり端折った大ざっぱな話ですが。

最近の学生は――といっても、私の同年代が大学生だったころからそうですが、歴史というのが一つの思想であるということを聞いたことがない、という人が結構多いみたいです。確かに、高校とかでは習わないんですよね。酷いのになると、年表というのは事実の羅列だと思っている人がいる。

当たり前の話ですが、実際の歴史的事実というのは、教科書やら年表やらに書き残せるものではありません。叙述された歴史というのは、何らかの意図に沿って編集されたものでしかないわけです。たとえば今の日本史の教科書・近現代史なら、「民主主義の称揚」と「反戦」いうのが大きなテーマでしょうか。その線に沿って編集されている(だからこそ、「つくる会」との教科書問題が起こるわけです)。

歴史マニア、記録マニアと言われた古代中国なら、王朝の勃興から滅亡までをことこまかく記している、あれは客観的事実記述を目指したんじゃないのか、という反論があるかもしれません。しかしああいった歴史にしても、始まりから終わりまでを描くことで、なぜ始まり、なぜ終わったのかが問われている。その歴史が描いているのはさしずめ、「天帝」の意志でしょう。「最後の審判」へと向かうユダヤ・キリスト教であれば、歴史には「神」の意志があらわれる。ヘーゲルが「歴史は絶対精神の発展過程」と言ったのもそういうことです。

ちょっと話が飛びました。要するに、歴史の中に何かを位置づけるというのもやはり、ものの見方を提示することに意味があるのであって、なんとなく繋がりました、なんて言っても「あ、そう」で終わっちゃうわけです。

分かりやすい例になるか知りませんが、エロゲーなら、ランキングのようなものを想像してみれば良いのではないでしょうか。2011年をエロゲーで振り返ってみて、と言われたとき、たとえば1月に1本をとりあげて12本のエロゲーで1年を語ることもできるし、売上の1位~10位を並べて10本で1年を語っても良い。自分の好きな作品を並べることもできるし、特定のジャンルに絞って振り返ることも可能でしょう。

結局、作品相互の繋がりというのは、やろうと思えばどんな風にでも繋ぐことができる。だからこそ、なぜその2つが繋がるのか、それを繋ぐことで何が言えるのか、という「視点」の説明こそが、本当に重要な課題となるはずです。それが言えたなら、ある作品を過去の作品の歴史(エロゲー史)の中に位置づけるということの意味は出てくるでしょう。文学史にしても政治史にしても思想史にしても、その「史」が何を語るために必要なのか、ということこそが重要で、それがあるから、「~も読んでないなんて論外」みたいな話が出てくるわけですが、エロゲーにそこまで体系だった「史」が存在しているという話は、私は寡聞にして存じません(あったら是非教えてください)。

そして、よしんば存在したとしても、別にだからといって作品個別について何かを語ることが禁じられるわけではないだろう、と思います。


なんだか最初の話から、随分遠いところへ来てしまった感じがしますが、とにかく「~を知らないから語るな」というような言い方は、個人的にはNGというか論外に思えます。そして、過去の作品との比較で何かを語ったり、史的な観点で作品を位置づけるなら、たんに事実を並べるだけではなく、そのことの意義こそが重要なのだ、ということが今回の話の結論ということになるでしょうか。頭にやや血が上っていたので、自分でも何を書いてるか覚束なくなっていますが……。

いやもちろん、昔を懐かしんで、「あれとこれって似てるよね!」というような話を否定するつもりは全くありません。そういう話は私だってどんどんします。どちらかというと懐古厨ですから。ただ、知っているということだけをかさにきて、他の人を攻撃するとか、そういうのは本当に無意味ですよね。

まあツイッターではちょっと言いましたが、そういう人はきっとそのうち、若い世代の最先端からどんどん取り残されて、可哀想なことになるんだろうなああ、ほっときゃ良いか、とも思うのですが、現在進行形の問題としてやはり、いらないプレッシャーを与えているわけですし、「単に物知りになったら良い」というような、私が植え付けられた洗脳じみた誤解が蔓延するのはよろしくないことだという気もするわけです。

それとは別に、この記事の最初のほうにちょっと布石を打ったのですが、「エロゲー史」的な興味関心に基づいて体系立った「通史」を、考えてみるのも面白いのかな、と。もちろん、それに近い著書やWEBサイトをいくつか存じ上げてはいるのですが、私の知る限り、まだたたき台、という感じがします。私自身は史学的視点をまったく持てない大ざっぱな人間なのですが、個別の作品をより深く捉える上で、史的な視点というのが欲しくなるときはやっぱりある(ここまでの議論とは矛盾しませんよ!)ので、だれかやってくれないかなー。やってくれたら本買うのになー……。

と、今回はそんなお話でした。グダグダになりましたが、この辺で。それでは、また明日。

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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