よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

値上げの通達が来た話

こんなブログを書いていますが、わたくし、別に社会のことに興味がないワケではありません。ただ、あまり詳しく自分が知らないことでもあり、また世の多くのサイト主さんやブロガーの方がつっこんで述べられている以上には、積極的に色々調べようと言う気にも、恥ずかしながらならないので、なるべく言わないようにはしているのですが、教育やら福祉やら経済やら、まあ世の中で起こっているいろんなことを、スルーしても良いと開き直れるほど達観もしていない。内心はあれこれ愚痴や不満が渦巻いていたりします。

それでもこうしてブログに書くぶんには、政治や経済やらのムズカシイお話には我関せずでやってきたのですが、今回はなにぶん当事者というか、向こうからネタが飛び込んできたので、ちょっとくらい書いておこうかと。あ、この記事は素人が送られてきたパンフを見て抱いた感想であって、データに基づいた詳しい調査や事実の説明じゃないです。そのことだけ、あらかじめおことわりしておきます。間違っていたら是非色々教えてください。

というわけで、うちにも来ました。東京電力株式会社さまより、「電気料金値上げのお願い」。一応WEBにもまったく同じ内容のものが掲載されています。参照先は、こちら。一応全文を掲載しておきます。
日頃より東京電力の電気をお使いいただき、誠にありがとうございます。

弊社原子力発電所の事故から一年以上経過しておりますが、今なお、お客さま、地域の皆さま、そして広く社会の皆さまに、大変なご迷惑とご心配をおかけしております。改めて心よりお詫び申し上げます。

弊社は、「事故により被害にあわれた方々への賠償」、「福島第一原子力発電所の安定状態の維持と廃止措置に向けた取り組み」、「電気の安定供給の確保」などの重要課題に全社一丸となって取り組むとともに、徹底した経営合理化を進めております。

こうした状況の中、火力発電の燃料費等の大幅な増加により、この度やむを得ず、電気料金の値上げをお願いさせていただきたいと考えております。

弊社は、皆さまに多大なご迷惑とご負担をおかけしていることを常に自覚し、さらなる経営合理化を徹底してまいります。

今後も、電気の安定供給に全力で努めてまいりますので、誠に申し訳ございませんが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

謝罪に重複した表現を使わないあたり、考えられた丁寧な文章。で、値上げ費用の内訳をみると、燃料費等々について詳しい解説が載っていました。しかし、何のために載ってるグラフだかよくわからん。・゚・(ノД`)・゚・。……。こういうの、データだけでなくきちんと説明の文章も付けてくれないんでしょうか。みんながみんな、読み取れるワケではないと思うのです。というわけで、電卓をもってきて数字を計算してみました。

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全体に占める燃料費等の比率。

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火力発電の比率の高まりに伴う燃料費増加のデータ。

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原子力発電の停止に伴う火力発電の占める割合の増加。

まず最初の円グラフ。書かれてある数値を計算すると、22~24年の平均燃料費は、5兆7231億の43%なので、だいたい2兆4600億。購入電力費とあわせると、約3兆3000億円になってます。で、これは22年度と比べ約1兆1000億円増えているということを示しているのが次の棒グラフ。最後の棒グラフは、そうした燃料費増加の中で原子力発電が20%減少火力発電の比率が19%高まったというデータのようです。なるほどなるほど。

燃料費と火力発電の割合増加の相関関係がどのくらいなのか、はっきりとはわからないのですが(つまり実は新たに加わった「新エネ1%」がバカ高い可能性もある)、まあ費用が増えていることは間違いない。原子力の負担が減った、火力発電が増えた、そしてだいたい1兆ほど出費が増えた、ということで良いのでしょう。

で、これに対して「経営合理化」の成果はいかほどかと見てみますと、「10年間で3兆3650億円」。これも判りにくい書き方するなあ、と思ったけど、単に大きい数字を書きたかったわけではなく、10年単位で計画を色々しているということなのでしょうか。ともあれ1年平均にすると、およそ3360億円。増える額の1/3ということになるわけですね。

これは果たして多いのか少ないのか……。まあそれなりに多いのかなあ? 年間3000億円オーバーの支出削減というのは、結構頑張ってる気がします。そして、これでも半分以上の赤字が埋まらないわけで、電力値上げに踏み切ります、というのは、なるほどデータだけ見ている分にはそれもやむなしという気がしてくる。

実際、このデータを見て、先日話題になった「東電冬のボーナス問題」の見方がちょっと変わりました。賞与147億円ぶんを東電が人件費として計上した、という話でしたが、これだけ盛大に赤字がでていたら、150億程度なんぞ焼け石に水。むしろその賞与によって東電社員の皆さんが気持ちよく働いて、「電力の安定供給」ができるなら仕方ない――そんな風な考え方もできるのかもしれません。

ただ、ぶっちゃけて感情問題ですが、それは当人である東電さんが言ったら台無しという。ボーナスは払います、と言っておいて「徹底した経営合理化」だの、「誠に申し訳ございません」もクソもない。そんな風に思う人が多いのが実状でしょう。微々たる額であっても切りつめる姿勢をみせてこそ、「誠」という気がする。

それでも消費税と一緒で、値上げは仕方ない。納得はしないけど、理解はしよう、という気にはなる。でもボーナスは、直接消費者に関係ない分野の話。社員の士気のためにどうしても、というのなら払っても良いと個人的には思うものの、自分たちで言い出されたらやっぱ「ないわー」ってなる。そして、そんな風に思われながら働いて社員の方の士気も上がるのかという問題が。……会社は俺たちを守ってくれる! とかで、あがっちゃうのかな。

こういうのはもはや、多分に感情的な要素を含んだ問題となっていますから、面従腹背というか、表向きは綺麗な言葉を並べて、裏では「まあいいか」的なゆるい姿勢をとっているというのは大変イメージが悪い。少なくとも、外で見ている人間が「いや、そこまでやらなくても……」と思えるくらい徹底してやってこそ、「禊ぎ」の意味があるのではないでしょうか。

実質的な問題としては150億のボーナスなんて大したこと無い。たとえそう考えていたとしても、それが態度に出ちゃうようじゃダメで、むしろ大したこと無いからこそ敢えてそれを切ったことをアピールすれば、心証もよかったんじゃないかなあ。その辺は本当に下手を打ち続けていると思います。ずっと大名商売していたから、その辺の感覚が狂っているのでしょうか。社員の方でローンとか大変だというのはわからんでもないのですが、それこそ、渦中の東京電力が言ったら身も蓋も無いのでありまして……。

ともあれ、なんだかんだ言ってやっぱり、「値上げウゼー」と思ってしまうのでした。そんだけ。

ちなみに値上げはまだ「申請」の段階。このあと、経済産業大臣の受理を受け手審査。審査後、公聴会で一般からの意見陳述。そのあと、関係閣僚会議を挿んで二度目の審査を行い、許可が下りたら値上げを実施、とパンフの説明ではなっています。ただ、データを見る限りある程度は値上げせざるを得ない気がするので、その辺の議論は感情的にならずに推移を見守りたいと思います。

では、また明日。

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レビュー:『ゲノム金/銀』

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古賀亮一『ゲノム金』/『ゲノム銀』(コアマガジン、2012年)

きたぜー! というわけで、発売されました『ゲノム』金・銀!! いや実はちょっと前に発売されていたのですが、本日とうとうゲットしました。やったねぱうぱう~♪(久しぶり)

『ゲノム』というのは、古賀亮一氏の描かれているコミックス。当初はBIBLOSの『カラフルBee』や、『カラフルコミック・PUREGIRL』で連載されていましたが、雑誌が廃刊になってしまいまして……。・゚・(ノД`)・゚・。。現在は『新ゲノム』として、『コミックメガストア』で連載が続いています。

この「金・銀」は、いわゆる廃刊雑誌に掲載されていた「旧ゲノム」4巻分をまとめたもの。すんげー分厚いです。一冊1400円。ちょっとお高い。書き下ろしの内容もちょこっとです。

でも、断言します。旧版を持っている人も買って損無し! 持ってない人には断然お買い得です!

残念ながら、旧版にあった他の漫画家さんからの応援イラストなどは削除されているのですが、その他の要素は基本的に全部移植。オマケ漫画からカラーページ、作者近影にいたるまでくまなく収録されています。また、これまでカラーの無かったキャラのカラーやら、4コマ漫画が追加されていて結構楽しめる。

『旧ゲノム』の1巻が出たのは1998年。約15年も前ですから、噂は聞いているけど読んだこと無い……という人も多いはず。そういう方にチャンスが来たのは良いことだし、私ももうすっかり忘れていたので、新しい気持ちで楽しめました。そういえば昔はこんな絵柄だったなぁ……。

内容はなんというか、一応成年誌ということもあって、基本的にはエルエルという主人公? のエルフ少女が、昆虫のコスプレをしてエロいことをされるという話。ただ、露骨にエロいことはされません。せいぜいヌードくらい。あと、「ワルイコのカラー学習漫画」をうたっていて、ちょっとしたうんちくも一応は入っています。

ただ恐らく、この漫画を買う人の大多数は緑色の謎生物(ロボ)、パクマンさん目当てでしょう。

そう。パクマンさんです。エロと下ネタの伝道師。僕らのヒーロー。

こういったら失礼ですが、私は正直古賀亮一さんのギャグはあんまり好きではなかった。なんかシュールになりきるでもなく深読みさせるでもなく、勢いもあるようでない、という中途半端な感じがしていて、苦手な部類でした。

しかし、このパクマンさんはすごい。熱くなったり捨て鉢になったりを無軌道に繰り返し、何やら意味深なセリフはことごとく無意味で、頭の中はエロで一杯。ボケからツッコミまで、全てを一人でこなす完璧超人です。

私の世代でヒーローといえば、孫悟空でもケンシロウでもなくパクマンさんでした(嘘)。「クイズ100人に聞きました」で抱かれたい男ナンバーワンといえばパクマンさんでした(嘘ですよ)。オトナになったらなりたい職業ナンバーワンはパクマンさんでした(略)。

まあ、そのくらい凄い。エロ漫画界の革命児。緑の弾丸。これ別に、思い出補正とかじゃなくて今読んでも面白かったです。げらげら笑いました。

しかし、もう15年ですか……。15年もこのテンション続けていられるというのは、古賀氏も本当にすごいと思います。昔、河合克敏さんが『帯ギュ』の4コマ漫画で、椎名高志さんと温泉で話をした時に「頭が良くないとギャグマンガはかけない」と思った、みたいなことを書いておられましたが、この領域に来ると頭が良いだけでもムリではないか。「頭がぶっとんでないと」(褒めています)かけない気がします。

なにはともあれ、マイナーメジャーながらある種「伝説の」ギャグマンガ。もの凄く下品なはずなのに下品さを感じさせない愛くるしい? キャラクターたちの、非常識きわまりない下ネタ乱舞が楽しめます。明るい笑いが好きという方、噂を聞いて興味を持った方がおられたら、この機に是非入手されることをお薦めします。

と、言ったところで本日はこれまで。それでは、また明日。

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本当にエロゲーヒロインに白痴は多いのか

先日、「何故エロゲヒロインに白痴が多いのか」というツイートのまとめが掲載され、少し思うところがあり、今回の記事と相成りました。しばらくこの手の話題は避けようとしていたのですが、私もよくよくこういうのが好きですね(呆れ顔)。(※「白痴」という言葉遣いに賛否両論あるとは思いますが、ここでは元タイトルを尊重してその語を使用することをご了承ください)

発言者であるTakeponFX氏は、次のように述べておられました。
エロゲとか萌え系とかで顕著なアホの子を通り越した養護学級レベルの知恵遅れをヒロインとして萌え要素として配置するのかがどうも理解できない。ユーザーも含めて。

keyのメインヒロインって大体知恵遅れじゃん。もしくは非コミュ。ありゃ単に非コミュでアレな大多数の信者さんに優越感を感じさせるための設定だと思ってる。(※あくまで個人的な意見です)

今回の「議論」をまとめるつもりはないので具に見ることはしませんが、TakeponFX氏の主張は「自分がコントロールしているという優越感」のような言葉からうかがわれるように、ヒロインを「自分の思い通りになる人間」として扱うことの暴力性に主眼が置かれています。「何故エロゲヒロインに白痴が多いのか」。答えは《ユーザーが望むから》であり、そのユーザーの欲望はなにかといえば、《無抵抗な相手を従わせる暴力》である、と。

はっきりと「暴力」と言ってはいませんが、「相手のことは考えられてない」などという文言から察するに、少なくとも「白痴」を望むユーザーの心性を否定的に見ているのは間違いありません。氏の興味はエロゲーのヒロイン自体というよりは、それを作成し享受するクリエイターとユーザーの(無)意識にある。

だから、「思考過程が単純な(婉曲表現)キャラクターはライターにとっても楽」のような機能論や、泣きゲーの売上が良くないとか鍵(key)ヒロイン限定で、エロゲー全体の話ではないといった、タイトル不適切論というのは氏にとって余り意味がないでしょう。氏の狙いは泣きゲーユーザーの「真の意識」を明らかにすることだからです。

売上問題にしても同様で、『Kanon』と『ONE』が売れていようが売れていまいが、氏にはたぶんわりとどっちでもいい。いや、氏ご自身はお気になさるかもしれませんが、氏の議論には本質的には噛み合わない。そこには論点が無い。売上とは無関係に、氏の主張は完成しています。

氏がここで言っているのは、だいたいこういうことです。(このまとめに一定のバイアスがかかっていることは認めますが、要約として大外しはしていないと思います)

(1) 泣きゲーには白痴系ヒロインというのがいる。
(2) 白痴系ヒロインに肩入れするユーザーは、「無抵抗な相手を従わせる暴力」を振るっていて、しかも気づいていない。
(3) 現在主流を占める多くのエロゲー(「制服」や「処女」)も一緒。
(4) これは良くない。エロゲーヒロインはユーザーやクリエイターの道具じゃない(「上から目線」、「前向きで元気じゃなくちゃ」)。
(5) でも、抜きゲーみたくもともと自分の欲求を満たすために使うのはOK。

TakeponFX氏は、「白痴」という無抵抗な存在を愛玩するという行為に潜む暴力性を暴いている。要するに、表象の背後に潜む「無意識」を「発見」し、「無意識で暴力を振るってるよね」と言っているわけです。一時期流行ったポスコロ的読解を彷彿とさせる読みです。

そして少なからぬエロゲーマーが反発を感じたのか、色々な異論反論が寄せられていました。しかし私の見るところ、同じ土俵で戦っているのが大半で、本質的に反論できているものが少ない。たとえばコメント欄にある「具体例が鍵しか出てないっつーのはどうなんよ?」。これは確かに、エロゲー全般に通用しないという形で対抗はしています。しかし、恐らくTakeponFX氏は痛くもかゆくもない。『はじるす』に言及した箇所からも明らかなように、およそ「処女」性にこだわる作品であればすべて同じロジックにあてはめて、暴力だ(無垢な存在を思い通りにしたいだけだ)と言うことができるからです。

氏のようなポスコロ的読解の強みは、(2)の部分に反論がしづらい、というところにある。つまり、「お前は無意識に暴力を振るっている」といわれると、否定しづらい。論証責任は「個人的意見」だと言えば深くは突っ込まれないし、主張に社会的意味があれば(思いやりが無い、暴力だ云々)、説得力は増す。少なくとも、反論しづらい空気は余計に高まる。なにせ迂闊に反論すると、「暴力肯定するの?」と言われちゃいますし。

(3)も(2)と同様、「制服好き」=「型にはめる」=「思い通りに制限する」=「暴力」のような等式ができあがる。連想ゲームみたいなものですが、「制服」という表象に対応する無意識が「暴力」だ、というのはウケも良く振り回しやすい。勿論これに、「それは愛だ」とか、「ノスタルジーだ」とか対抗馬を立てることはできますが、「そんな風に誤魔化すことが暴力だ」とまた重ねていわれてしまい、あとはおきまりの泥仕合、不毛な水掛け論へと進んでいくわけです。そして「隠れている」ものというのは隠したい、不都合なものである、というほうが説得力があるので、だいたいの場合「無意識の暴力」という説明が勝利を収めることになります。

たとえば、『君が望む永遠』をプレイして、孝之が二股かけるクズだと考える。すると、そんなクズを好きになるヒロインは、騙されやすいお馬鹿さんです。そして、そんな風に女性を描くのは女性を軽くみており、一種の「白痴」扱いしている。したがってこの作品もまた、相手を従わせようという暴力に満ち満ちているのだ……。ほら、同じ論法使って、似たような結論を言えました。恐るべき汎用性。そしてこの汎用性ゆえに、「やっぱり正しい」と思えるわけです。これでエロゲーは読み解けた、と。でも、本当にそれで良いのでしょうか。

こうした言説が、一定の意味を持つということは確かです。エロゲーのマチズモを全否定はできないし、暴力性を明らかにする社会的意義はある。けれど、全てのエロゲーをそれで読んで終わらせるというのは、余りに貧困でつまらない読みだと思うのです。少なくとも、エロゲーを楽しんでいる私は、それだけだと認めるわけにはいかない。異なる読みを提示する必要が、ある。

どうすれば良いのでしょう。(2)や(3)の部分は、正直分が悪い。オルタナティブ(代案)を提示してみたところで、「無意識」は強敵です。なにせ「証拠は無いけど事実はある」という「否定神学」ですから、論破しようがない。悪魔の証明みたいなもんです。では、どこで戦うか。恐らく、(1)で戦うのがベストです。

私が〈物語〉がどうのこうのと言ってこの前の記事からグダグダ考えている問題の一つは、いわばその戦い方にありました。多くの場合エロゲーマーは、(2)や(3)で争ってしまっているということと、それゆえこのような「読み」に対抗する言説をきちんと立てられていないのではないかということ。「対抗」、というと論争をする前提のようですが、あまり大げさなニュアンスではありません。本当はそんなことを考えていない(もっと違う次元で楽しんでいる)のに、ふっかけられた論争に引きずられてその土俵でモノを言ってしまっている、くらいの意味です。

そこで挙げた話で言えば、『オイランルージュ』を批判する私の友人の言説というのも、「白痴」ヒロイン論に近い。彼の場合は、「遊郭で生きる女性を肯定するのは男のエゴ」というかたちで、ユーザーやクリエイターの暴力性を見ているのですから。けれどそれが「つまらない」と私は思うのです。なぜなら、それは自分の考えの一方的な押しつけにすぎず、作品との間の交流が無いからです。その読み方をするなら、何を読んでも同じような結論になってしまう。

「白痴」的な読みに対しては、恐らくこう問うべきです。本当にヒロインは、「白痴」なの? と。(トゥゲッターまとめのコメント欄で、「そのキャラを好きな人間にとっては、わりと聡明な子に見えてはいる」というコメントを残している方がおられましたが、このコメントは別の読者を持ち出すという形ではありますが、視点の相対化という意味では私の言いたい意味での急所を衝いておられ、なるほどと思いました)

「白痴」は誰が決めたのか――言うまでもなく、読み手です。しかし、作品がヒロインを「白痴」と言っているかは、ここでは問われていません。ヒロインが「白痴」だから、それを愛する主人公なりユーザーなりは「暴力的」ということになる。けれど、主人公がヒロインに惚れた理由は、きちんと作品に描いてあったのではないか? それは「白痴だから」なのか? それこそが作品の読解として何より問うべきことのように私には思われます。

表象の分析で、いくら代案を立てても不毛な争いが続くだけです。そうではなく、好き勝手に表象を解釈・分析するというのは作品を主観の枠にあてはめているだけで、作品ときちんと向き合っていないではないかと告げる。そのことが、原理的な意味での対抗たりえるのではないでしょうか。むろん、すべてを読み手の思考に還元するという手法があることは存じています。しかし、それでは本当に作品は不要になってしまいかねない。それなら、作品を読む意味が無くなってしまう。

少なくとも、ユーザーにとってあるヒロインが「白痴」に見えるということと、作品にそのヒロインの本質が「白痴」として描かれているかどうかということは、まったく別の問題です。ユーザーがあらかじめ持つ常識というのは抜きがたく存在するけれど、それを簡単に作品に押しつけるということには注意が必要でしょう。

谷崎潤一郎に『春琴抄』という小説がある。佐助という男が春琴という三味線の女師匠に、人とも思われぬような扱いを受けながらも彼女を慕って付いていくという話ですが、これを読んで、「春琴という女は本当にクズで、それに付いていく佐助もクズ」と言ってみたり、「男尊女卑の社会を皮肉った小説」のように言うことは、もちろんできると思う。それが谷崎の無意識だ、と。

でも、それは読み手の常識で見た作品です。実際の『春琴抄』は、読んでもらえば分かると思いますが、明らかに男女の恋愛として描いている(肉体関係ももちますし、春琴と佐助は墓も並んで添い遂げたという形になっている)。作品が語る「愛」を拾い、それを楽しむ読み方があっても良いし、そちらのほうが楽しく読めることもあるでしょう。

いささか嫉妬めいたことを言えば、『春琴抄』なら多くの人は、ここには自分たちが考えつかないような「愛」がある、と読むと思います。でも、エロゲーなら「白痴」だ、と決めつけて納得してしまう。それは単純に、エロゲーが舐められているからでしょう。所詮は性産業、所詮は即物的二次元オタクの妄想だ、と。

抜きゲーなら許すというのは、抜きゲーを高く見ているのではなくて相手にするまでもないほど見下しているから。でも、そもそも抜きゲーの中にだって、その作品が描こうとしているエロさの本質とか、人間の情念があるはずだしあって良いのに、それは見ようともしない。それこそ「無意識」に見下すという「暴力」じゃないかと思いますが。

閑話休題。

もちろん、ポスコロ的(「白痴」的)な読みが前提とする読み手の問題意識というのは、読み手にとってクリティカルな、どうしてもそう問わざるを得ない類のものなのかもしれません。

しかし、たとえば『AIR』をやって(key作品が話題になっていたからで、特に他意はありません)。晴子さんのことを思いやり、最後に「もうゴールしてもいいよね」と言った観鈴が、本当に「白痴」なのか。彼女を「白痴」であるというのなら、それはどのような意味において「白痴」なのか。その性質を「白痴」と括ることは果たして妥当なのか。そのことを問わないというのは、作品に対して誠実であるとは、私には思えない。作品が言いたいことと向き合っている感じはしない。

既に結論じみたことは述べましたが改めて最初の「まとめ」記事にたちかえれば、TakeponFX氏に正面からことを構えるなら、氏にこう問えばいいのではないでしょうか。「あなたのおっしゃるヒロインというのは、本当に「白痴」なのですか? それは、作品のどこをどう読んで(具体的にどの描写を解釈して)そう考えられたのですか?」と。重ねて言いますが、私が問題にしているのはたとえば、「うぐぅ」という語尾が、私たちにとって「白痴」に見えるということと、作中でそれが「白痴」として描かれているということとの区別です。だから、「何故白痴が多いか」と問う前に、「本当に白痴なのか」と作品に即して問うてみる必要があるだろう、と。

作品の外側に本質を――たとえば形式的な「主題」やライターの主張のような――を置く読み方も、「白痴」的読みと本質的には似ています。これは戦争ものだからこのような描写が必要だ、と決めて読むのは、「こういう少女は白痴」と決めて読むのと、程度の差こそあれ共通する部分がある。なぜなら「白痴」的読解のキモは、作者の言説や、作品のテーマや、自分の常識といった、あらかじめ用意された作品外の概念に作品を押し込め、それにあわせて登場人物たちの行動を説明しようとすることだから。ライターがヒロインを「白痴」であると言ったとしても、そのヒロインが作中何を語り、どのような行動を取ったかという作品内部のこととは、ひとまずは別事と考えても良いはずです。

『Kanon』のあゆが、なぜたいやきをくわえたまま、走って逃げるのか。「白痴」だからだ。なるほど、そうかもしれません。しかしそこには、あゆを理解しようという態度が見えない。単に自分の知っているレッテルを貼り付けて、安心しているだけにも思われます。「日本人はなぜ切腹をするのか」と聞かれて、「野蛮な未開の人間だからだ」と答えたアメリカ人と何の違いも無い。繰り返しますが、そのような「既存の視点の切り方」が意味を持つことはあることは認めます。でも、それが全てではつまらない。それとは異なる切り方があるということも、考えてみて良いのではないでしょうか。少なくとも、エロゲーを私が楽しむとき、私はその中の世界を楽しもうとしているところがあるから。それは、作品にこちらの枠を押しつけるのでも、作品を金科玉条の如く押し頂くことでもなく、作品に描かれていることと自分との交流の中にある。そんな風に思います。

またしても、長い話になりました。けれど、作品をいかに味わうか、そのことを自覚的に考えていけば、私たちはもっと豊かに、もっと楽しく作品を味わえるのではないか。そのことをやはり主張したくなって、今回は少し「よそ向け」に、わりと大ざっぱな見解を書いてみました。異論反論あるかと思いますので、何かあれば是非。また、既にそんなことは百も承知、という方もおられるのは理解していますから(特に私のツイッターという狭い交友範囲ですら多くおられる)、そういう人にとってはつまらない、今更な余計なお世話かもしれませんけれど。

それでは、本日はこの辺で。お付き合いありがとうございました。また明日、お会いしましょう。

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巨乳ファンタジーの話

心底どうでもいい話なのですが、「巨乳ファンタジー」というエロゲーがありまして、それの続編(「巨乳ファンタジー2」)が先日発売されました。

んで、シコシコプレイをしていてふと、くだらないことを思いついた。「巨乳ファンタジーの反対は貧乳リアルなのかなぁ」と。巨乳の出てくるファンタジーというより、巨乳はファンタジーだけど、貧乳こそが我々のリアルなのだ、と……。k-pさんのおっしゃるところ、ここにはもっと深遠なメッセージがこめられている(かもしれない)そうですが、そこまでは考えてませんでした。

なんとなく「貧乳リアル」という表現が気に入ったのでツイッターで呟いてみたり、知り合いにドヤ顔で話したりしていたのですが、そうするといやどうでもいいけどちょっとまて、と友人に言われまして。曰く、「リアル貧乳じゃないのか」と。

うわー、ほんとどうでも良いわ。


と思ったのですが、ちょっと真面目に考えてみて、いやそのりくつはおかしい、と。だって「リアル貧乳」というのは「ほんとに貧乳」という意味ですから、それの反対(反対が何かとか、もうそういう話はおいときます)は「偽の巨乳」、つまり「偽乳」(胸パッド)ということになります。それは、「虚乳ファンタジー」であって、「巨乳ファンタジー」では無い。

そう言うと、「巨乳」の反対は「無乳」だとか、いや実は「微乳」ではないかとか色々言われたのですが、更にどうでもいいので割愛。

肝心の作品は、そのうち感想を書きたいなぁと思っているものの、進捗のほうがまだ全員クリアーしていないという状況。前回と比べて成り上がり感は低いですが、なかなか面白い感じです。前作のファンなら購入して損はしないかなあ。

今回は女性陣の大多数がはじめから主人公の味方。前作のように敵を魅力でメロメロにする醍醐味や、あからさまなハニートラップをエロパワーで台無しにするような爽快感はあまりありません。前作はむしろ、ほとんど全員敵だったような気がしてきた。それが何かいつの間にか全部味方になってるというあのスッキリ感が味わえないのはちょっと残念でした。

あと、エルフにダークエルフ、サキュバスに人魚と人外系が多く、しかも最初からゼビアという嫁候補が決まっているので(そのワリにシャハルのEDが衝撃的でしたが)、その辺好みはハッキリわかれそう。私はバリバリOKでしたけどね!

全部終わったら感想書きますが、現状批評空間モードで採点すれば80点近く行きそうな気配はしています。グランドルートを残しているので、どんな形でケリがつくのか、いまから楽しみ。もしかすると今日は眠れないかもしれない……。

などといったところで、本日はこれにて。それでは、また明日。

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レビュー:『烙印の紋章』

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杉原 智則『烙印の紋章』
(電撃文庫、2008年~続刊 イラスト:3)

関連記事 :『烙印の紋章』完結(2012年10月10日)

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【訂正】主人公の名前を「オリバ」と誤って記載していた箇所をすべて「オルバ」へと訂正しました。初歩的なミスでファンの方にご不快を与えていたら申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。(2012年12月14日)
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いま(刊行中の)一番面白いラノベは何ですか? そう聞かれたら「わかりません」と答えます。「ラノベとは何か」などという問いは措くとして、面白いラノベはたくさんあるし、違う面白さを比較することは難しいから。けれど、もしも問いが、いま(刊行中の)一番好きなラノベは何ですか? だったら。私は、迷わずこの『烙印の紋章』の名前を挙げます。……いや、『ソードアート・オンライン』も好きだし、『なれる!SE』も……ってまあ細かいことはいいんです! そのくらい好きということです!

ジャンルとしては、ファンタジー+戦記もので良いと思います(11巻紹介文では「戦記ファンタジー」)。一部に根強いファンがいるとはいえ、昨今の主流は学園もので、ただでもファンタジー停滞の時代。しかも更に人気薄の戦記もの。ファンタジー+戦記の相性がどのくらい厳しいかというと、『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズで一躍脚光を浴びた三上延氏が、ほぼ同時期に書いておられた電撃文庫の『偽りのドラグーン』がわずか5巻で終了していることからも、なんとなく推察できるかもしれません。『偽ドラ』に関しては、巷で騒がれているように実際に打ち切りだったのか否か、その辺定かでありませんが、いまやラノベの主流は現代学園モノ。それはほぼ間違いない。学園ファンタジーならまだ主流派の感じもしますが、歴史小説風の戦記ファンタジーのジャンル的な逆風たるや、少なからぬものがあったのではないかと思います。

そんな中、戦記ファンタジーが10巻以上も続いたというのは快挙と言っていいのかな……。この前全13巻でめでたく完結を迎えた、師走トオル『火の国、風の国物語』もあり、これに並ぶかと期待していたのですが、とうとう今回、11巻のあとがきで、「次巻完結」の旨が告知されてしまいました。・゚・(ノД`)・゚・。うゎぁあああん!!

言い回しが複雑で漢字率が高く文字がぎっしりで効果音ほとんど無しと、文体はかなり硬派。しかもイラストの男率が異様に高かったり(今回のカラーページなんか、キャライラスト6枚中女性キャラ2人でした。この辺が師走トオル先生との違いといえば違いですか)、ヒロインがサッパリ出てこない巻があったりと、ある意味でラノベのお約束を完全スルーした潔い内容でしたから、いつ打ち切りが来るか、ファンとしてはヒヤヒヤ。意外と長持ちして安心していたら、やはり油断大敵というべきか、とうとう、来るべき時が来てしまいました。

打ち切りなのかどうなのかはわかりません。あとがきに散りばめられた、「打ち切り」だの「敗者は無言で去るのみ」だのという言葉からは打ち切りなのかなあ、という気もするし、公開プロットを見ると一応想定していた最後のところまでは(三国同盟)行くから、納得の終了なのかなあ……とも思える。その辺ボカしてかいておられます。まあ、実際のところどうでもいいといえば良い。打ち切りだろうが何だろうが、素晴らしい作品があればそれで良いのです。それは真理。しかし、これで終わりというのはいかにも勿体ないし残念です。

世界が広がる余地はまだまだあったし、とても味のある新キャラが複数、11巻にして登場。キャラも世界も深みを増してきていただけに、もちろんこれまででも高い完成度を誇っているのですが、もう少し、オルバやビリーナの活躍を見ていたかった。そんな思いが止まりません。打ち切りなら勿論ここからバカウレして撤回になる可能性は低いですし、著者がここで終わる、と決められたなら余計に、これ以上話が続くとは考えにくい。『烙印の紋章 Second Season』とか出てくれないか……という秘かな期待が叶う可能性は低そう。

とはいえ、完結せずにいつの間にか消え去っていく多くの名作たちと比べると(十二国記とか、皇国の守護者とか、続きはいつでるんでしょうか……)、きちんと「終わり」を迎えられるのは、作品としても読者としても、はるかに幸せなことかもしれません。

そんなわけで、今回は2012年6月8日に発売された最新刊、『烙印の紋章 XI あかつきの空を竜は翔ける(上)』の感想がてら、遅すぎるステマを展開したいと思います。作品全体については12巻発売の際にあらためて行うつもりですが、この面白い作品がまだ現刊本として入手しやすい間に、興味をお持ちの方に伝われば良いな。そんな風に考えて今回の記事になりました。


メフィウス皇国の皇太子ギルは皇子であることを盾に取り、傍若無人な振る舞いを続けていた。ある時、近衛兵の娘・ライラに「初夜権」を行使しようとしたギルは、父親によって殺害されてしまう。その場に居合わせた野心家の貴族・フェドムは、皇子が死んだ事実を隠蔽。秘かに目を付けていた、ギルにそっくりな奴隷剣士・オルバをギルに仕立てあげ、権力の中枢へ食い込もうと画策する。こうして、奴隷オルバは「ギル・メフィウス皇太子」としての生活を送ることになるのだった。

というのがあらすじ。スズキヒサシ『タザリア王国物語』と、ちょっと似ていますね。ヤンデレの姉妹が出てくるのもそっくりです。病み方はちょっと違いますが。

まあこの皇子になった奴隷のオルバが、大活躍します。敵国の陰謀を潰し、そこの姫を婚約者として迎えいれる。一方で、奴隷剣士たちを「近衛兵」として側近に迎える大改革を行い、自ら「仮面の騎士」として闘技会で優勝してみせたり、ついでに仮面をつけたまま「皇子の側近」を名乗って、戦争では獅子奮迅の活躍をする。

ところが、そうして活躍をすればするほど、父親である王・グールから疎まれて暗殺されそうになります。さすが独裁者。息子でも自分以上の力を持ちそうになったら容赦なし。で、オルバは辛うじて難を逃れるけれど、普通に戻ると殺されるだけだということで、皇子は精子不明ということにして、メフィウス皇国と敵対関係にある西方の連合国へと逃れます。(第一部)

一旦ギルをやめて「仮面の剣士」に戻ったオルバは、正体を明かさずに、西国へ行きますが、そちらでも大活躍。んで、西のほうの姫様にも惚れられちゃったりなんかしちゃったりしてよろしくやっていたら、どうもメフィウス本国のほうで不穏な動きがある、という話になって、それじゃあ戻らないといけないということで、今度は西の兵を率いてメフィウスへ迫ります。(第二部)

そこで一旦正気に返る。これまではギル皇子として振る舞わなければ、という強迫観念に駆られて必死に走ってきたけれど、自分が「オルバなのかギルなのか」と悩むようになります。自分はギル・メフィウスでは無い。けれど、自分をギルと信じて付いてきている部下や婚約者がいる。自分はどうあるべきなのだろう、と。そうして悩んでいたところ、今度は東から大国アリオンが侵略戦争を仕掛けてきた。これは内紛をしている場合じゃないぞ、というところで現在の話になっています。

▼ ※以下、11巻のネタバレが少しだけ含まれます
11巻は、オルバくんの見せ場が満載。「われわれの戦いにおいて、失ってはならぬものがひとつだけあるとしたなら、それは何だと思う」という問い、大義のために戦う姿勢を示し、グール皇帝との直接対決で弁舌爽やかに皇帝を論破したかと思えば、怒濤のような感情の奔流を見せつける。

後世の歴史家がなにをいおうとも構うまい、しかしいま、いま、おれたちは、人心、民心を失うわけにはいかないのだ

うーん、カッコイイですね! こう言い切ってとある決断を下すオルバくんは、もうかつて無いくらい輝いている。本作では時々、歴史の視点と実際にその現実を生きている人間の視点の違い、みたいなものが言われて、俯瞰的な歴史の視点によって切り落とされてしまう、実際に生きている人々の情念のようなものを描き取ろうとするところがあります。歴史ものの王道といえばそうですが、今回も随所で効果的にそんなエピソードが挿まれていて、キャラクターの哀切がうまく表現されていたと思います。

ただ、本巻のメインはやっぱりヒロイン二人だったかな。

一人は婚約者のビリーナ王女。ツンデレだけに素直に好きだとか愛してるとかは言いませんが、じっとギル(オルバ)のことを考え、あるいは本人よりも深く彼のことを理解しようとする一途な想いが輝いていました。もう一人は、ヤンデレ王女のイネーリちゃん。彼女はギルの義妹で、オルバが偽物として振る舞っていることを知る数少ない人物ですが、今巻でついに、オルバの秘密を知ります。その時のイネーリたんの反応たるや。

イネーリは身体に火がつけられたと錯覚するほどに熱い、これまでにないほどの怒りを感じた。と同時に、その肉体を駆け巡った熱には、一種異様なまでの心地よさもが含まれていた。」

エロゲーだったら間違いなく、ひとりエッチのエロシーン挿入です。オルバしか見えない、という意味では、彼女のほうもまた、オルバに惚れてる。オルバから受けた屈辱を晴らそうという、相当にどす黒い想いですけど。

その愛と見分けの付かない執念が、今回炸裂。多段式爆弾なのでまだあと1、2発来るのは間違いないですが、とうとう来たか! という感じ。なんかヒロイン候補が他にも1人、2人いたはずなんですが(ホウ・ランとか)、完璧にイネーリたんにくわれちゃいました。図式は完全に、ツンデレvsヤンデレ。

この後、オルバくんなりギル皇子なりがどういう活躍をして、王国がどういう着地点を見つけるか、とても気になるし楽しみですが、果たしてオルバの恋の行方もどうなるか、見所満載過ぎてちょっと困ります。ホントに次の巻で全部終わるんでしょうか……。『ホライゾン』くらいの分量で、倍の値段になってもいいから、細かく全部描いて欲しいと心から願う次第です。

本当はこのあとアリオンとの戦いや、魔導国家の行く末などの話もあったのではないかと想像するのですが、どうやらそのあたりは見られずに終わりそう。このまま続けば『デルフィニア戦記』のように傑作長編たりえたと思うだけに残念です。繰り言で申し訳ない。完結はめでたいことと頭では理解しつつ、でもホントに勿体ないなぁ。・゚・(ノД`)・゚・。

ともあれ、面白い作品であることは間違いない。最終巻がいつ頃になるか、どんな内容になるか、期待したいと思います。

それでは本日はこの辺で。また明日、お会いしましょう。

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2012年12月14日 追記(2)
頂いた非公開コメントへのお返事です。まずは投稿者さま、コメントをありがとうございました。十分な内容であるかはわかりませんが、以下、回答を記載します。

名前間違いのご指摘に関しては以前も誤記載しており、お恥ずかしい限り。読んだり口にするときはちゃんと言えてるハズなのですが、何故か書くと……。ともあれ感謝です。

さて内容のほう。非公開コメントなので全文抜粋はできませんが、要旨は以下と読みました。
1.私の作品に対する「説明」が「明らかに間違」いである
2.細かな読解不足
 ・皇太子として戦うことに必死になったのは第三部から。それまでは復讐の手段。
 ・オルバの悩みは自分を見失ったからではなく、自身の出生が枷になることを知ったから
3.もっとオルバやキャラの心情や動機の変化についてよむべき
 ・「いくらなんでも本編の描写と食い違い過ぎ」

まず「1」についてですが、私の書いたオルバが身を隠した理由が「建前」なのはその通りだと思います。が、ここで建前を書いたのは2つ理由がある。

1つは、きっかけであることは間違いないからです。一応五巻p.62にはオルバが身を隠した2つの理由が書かれており、その一方(「もう……必要もない」のほう)を、少し前のアークスとラバンの会話なども踏まえて書いたつもりです。もう一方を書かなかったのは、「こいつどうなるんだろう」と思ってこれから読む方へのネタバレになる可能性が大きいと判断したからです。

オルバの行方もネタバレだろ、と思われるかもしれませんが、その辺の判断は公表されている公式の紹介文に準拠しており、一応私の中ではある程度明確な線引きのもとに行われています。

もう1つは、ここに書いたまとめが要旨要約というよりは、単純なあらすじのつもりだったからです。あらすじには幾つかの書き方があると思いますが、私はできるだけ内容にはつっこまず、公式情報よりちょっとチラ見せするくらいのつもりで書いています。自分の意図をいれる「要約」などとはやや区別しているので、上記五巻にあった直接的な「理由」説明を採用しました。

さて、「2」のこと。私の「読み不足」として投稿者さんがご指摘くださったことですが、私は自分の読みが誤っているとは思いません。

たとえば第一部で、皇太子として戦うことを「私欲を果たすための手段としか見て」いないという投稿者さんの解釈には、私は反対します。5巻P34-35あたりで言われているように、彼は「事後処理」をしていった。もし本当にただの手段なら、目的が達成された後のことは考える必要が無い。その他、オルバが「手段以上」に思い入れている部分は多々見受けられます。

そのことが全体の解釈にも関わってきて、私はオルバの悩みは王族と奴隷の身分差のようなものがそれほど重要なこととは読んでいません。もちろんそれを投稿者さんは「誤読」と言っておられるのですが、私は表面的なところをもう少し丁寧(かつ忠実に)読んだつもりです。

「もう誰の戦でもない。これは、ギルとしての――『自分』の戦だ」(9巻p.82)とオルバは言っています。ギルとしての『自分』とカッコが付いているのがポイントでしょう。「自分」とは誰なのか。ギルが自分なのか、オルバが自分なのか。作品に通底するのがその悩みです。事実、最初から「仮面」というのが、彼が「自分」をもてないことの象徴として、常にとり扱われてきました。(たとえば4巻末「少年はふたつの仮面を脱いだのだった」p.305 ※註は無粋かもしれませんが、ここでは「オルバ」も「ギル」も「仮面」として扱われている、というのが私の言いたいことです。仮面は本来一つですから、普通なら素顔-仮面という対比になるはずですが、そうなっていない。「彼は何者か」というのが、読者とオルバ自身に共有される問いであるはずです)

続く10巻の「いつからだ。そしていつまで、おまえは皇太子なのだ」(p.364)というパーシルの問いも、傍点が振ってあり、その答えを答えない(答えられない)という時点で、単に期間を問うているわけでないことは明白です。

この問いがオルバに対して持ったであろう意味をあえて言い直すなら、「おまえはいつから皇太子だったのだ? フェドムに影武者を言い渡された時からか? 皇太子が死んだ時からか? ビリーナを救った時からか? そもそも、お前は皇太子だったことがあるのか? そして、お前はやめたつもりかもしれないが、皇太子であったお前をやめることはできているのか? お前は、お前のかつての生き方を無かったことにできているのか?」みたいな感じでしょう。クドいですね。そりゃパーシルさんのような言い方のほうがカッコイイです。

で、このまま「3」の回答へ走りますが、私もオルバやキャラの心情に注目して読んでいるつもりです。

そもそもオルバは投稿者さんがおっしゃるような「王族に対する負の感情」とは少し違うものを持っていると、私は思います。単なる王族嫌いなら5巻でエスメナに呼ばれたときに拒絶反応を起こしても良いし、ロージィも別に王族だからと嫌ってはいません。むしろ、彼が嫌うのは殿を「誉ある任務」(5巻p.165)と言い切って死地へ向かうことや、「信念や武人としての誇り」(p.215)です。

これをオルバが毛嫌いするのは、作中描写では、かつて権力者によって酷い目にあったとか、王族が嫌いだからとかではなく、彼らのように何か信じるものがあって、常に確固たる「自分」を保っていられる人がまぶしく見えるからでしょう。それは、自分には無いものだと思っている。あるいは、自分とは相容れないものだと(オルバ自身は)思っているからです。

権力者への敵意は、むしろオーバリーへ直接向けられていて、その他の権力者には反意と同時に敬意のようなものも抱いています。それは、「徐々に変化した」という類のものではなく、最初からオルバの中にある。実際、その毛嫌いは憧れと裏表(ビリーナへの感情がそうであるように)となっています。

オルバの物語がビリーナに「自分」のことを語るという形に落ち着くのは、だから私の中では必然であると思う。アレは別に、王族もいいな、という単純な話だけではないはずです。彼自身の内面の成長というのなら、己は何ものかを探り当てた(あるいは、すぐ側にあった)ということではなかったか、と。

「いくらなんでも本編の描写と食い違い過ぎ」というご指摘だったので、ある程度具体的に(すぐ全部から引用は無理ですが、私なりにわかる範囲で)引用なども踏まえてお話をしてみましたが、いかがでしょうか。

私としてはそこまでおかしなことを書いたつもりは無く、私がこの作品を好きであるということにも疑いをもしもたれたのだとしたら、同じ作品を好きな者同士なのに、大変残念な次第です。

コメント欄には文字数の制限がございますので(これはいかんともしがたく、申し訳ありません)、ご自身のお考えを書ききれないこともあるかと思います。その時はコメントを複数なり、メールなり何なりでご意見お寄せいただければ幸いです。

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