よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2011年月別エロゲー個人ランク(1月~4月)

2011年のエロゲーを月間で振り返りました。ランキングは、単に「私が好きな順番」です。完全な主観。何か点数指標があってつけているわけではありませんので、ノークレームでお願いします。プレイした全ての作品を挙げているわけでもないのであんまり購入の参考にはならないかもしれませんが、ああ、この月ってこんなんだったなあ、くらいに思って頂ければ幸いです。

ちなみにこれも、以前某所に書いたものをバージョンアップしたもの。各月で一番気に入った作品については、簡単にコメントを加えました。なお、復刻版や普及版、新装版など、すでに同じものが出ている作品については選考から除外。作品名は都合によりサブタイトルを省略しています。

▼1月
【ランキング】
1位:操心術0 2位:発情エクソシスト! 3位:AQUA
【短評】
期待していた『BLOODY†RONDO』や『極道の花嫁』、『黙って私のムコになれ!』が思ったよりピンとこず、ちょっと残念でした。『孕神』と『妄想ぷろとこる』は、まあ予想通り。『Canvas4』は買ってないんですが、意外と周囲の評判は良いんですよね。

◎ピックアップ
『操心術0』(公式) STUDIO邪恋/2011年1月28日
『操心術』シリーズ最新作にして、これまでのシリーズの「はじまり」を描いた作品。MC(マインドコントロール)系の最高峰。OHPの紹介を見ると、痛々しい厨二ゲーにしか見えないかも知れませんが、中味は丁寧に作られた正統派サイコサスペンス。無敵に近い精神操作の能力を持った主人公ながら、単純に暴れ回るという捻りのない展開は断固拒否。獲物のはずの女性陣もあの手この手で立ち向かってきます。

堕ちたと思ったら実は罠だったり、はめたつもりがはめられていたり。能力の制限を活かした攻防や心理の駆け引き、絡み合う利害関係、情報の制限等によってユーザーに先を読ませません。最後は気持ちよく驚ける仕掛けもスタンバイ。

基本は凌辱ものですが、陰惨な感じはありません。EDは大団円も用意されています。もちろん、Hシーンの質も高い。内容的には「3」が一番好きですが、本作はキャラの魅力が高くて満足。Reiちゃんかわいいよ(*´Д`)。

シリーズ未経験でも楽しめますが、最低「3」をやっていると満足度が増します。これでMCにハマったという人は、てんまそ氏原画の『ミナミからの手紙』(公式)などもお薦めです。



▼2月
【ランキング】
1位:グリザイアの果実 2位:猫撫ディストーション 3位:巨乳ファンタジー外伝(※FD)
【短評】
余りにも穏当な結果。この月は『アルテミスブルー』、『With Ribbon』、『ひなたテラス』、『スイートロビンガール』、『蒼穹のソレイユ』、『ラブラブル』など実力ところが揃っていましたが、上から三つだとこうなるでしょうか。「わぁい」枠は『もっと!女装で孕ませてっ』で。

◎ピックアップ
『グリザイアの果実』(公式) フロントウイング/2011年2月25日
前翼が10周年企画で大々的にぶちあげた記念作品。2011年萌えゲーアワード金賞受賞。ボリュームもサービスも満点です。これといった欠点が無く、あとは詰め込んだ要素の分だけ加点が青天井で付いていくタイプの作品でした。

心残りは、ヤマグチノボル氏が健康だったら参加されたのではないかということ。ともあれお元気になられることを祈るばかりです。

作品の内容については私などより余程良いレビューされる方がたくさん書いておられるので、割愛。


▼3月
【ランキング】
1位:つよきす3学期 2位:ぜったい絶頂☆性器の大発明!! 3位:鬼ごっこ!
【短評】
割とすんなりトップ3決まりました。発売本数も少なかった。『カメリアノート』はゲーム性を練りきれずややハズレ。『アキバ戦隊!エンジェレイヴァー』はかなりハズレ。何か本当にそんな名前の戦隊モノやるみたいですが、大丈夫なんでしょうか。

◎ピックアップ
『つよきす3学期』(公式) CandySoft/2011年3月31日
大ヒットを記録した『つよきす』、大顰蹙を買った『つよきす2学期』と来て、さてどうなることかと思ったら見事なセンター前ヒット。ライターのさかき傘氏は、キルタイム系列でエロ小説書いておられる人。ドリマガのコラムとか結構面白いです。

元祖『つよきすのライターだったタカヒロ氏とはやや方向性が違うものの、キャラクターを大事にする明るい笑いで作品を盛り上げていました。タカヒロ氏がネタやかけあいといった「形」を使ってキャラを外側から光らせるのに対して、傘氏は個々のセリフを掘り下げて、内側から整えていった印象。

▼4月
【ランキング】
1位:神採りアルケミーマイスター 2位:穢翼のユースティア 3位:大帝国
【短評】
大作ラッシュのせいで、月末アキバが人の海。各ショップにも営業とおぼしき方がいらして、真剣に売れ行きを見てたのが印象的でした。しかし、何の面白味も無いランキングですね。「ユースティア」は「グリザイア」の逆で、これと決めたポイントのために徹底的に無駄を排除して、魅せたい部分を魅せることだけに特化した作品という印象を受けました。凄いプロ意識を感じます。『規制不可』はやや期待はずれ。『sisters』は「アニメは良かったですね」としか言えません。『デュエリストエンゲージ』、『手毬花』、『White』は良作なものの、戦う相手が悪かった。『ヴァニタスの羊』はRococoさんの遺作に。残念です。

◎ピックアップ
『神採りアルケミーマイスター』(公式)エウシュリー/2011年4月22日
「大艦巨砲主義」を唱えて大型のRPGやSLGを作り続けるエウシュリーの新作。好評だった『姫狩りダンジョンマイスター』の進化版です。プレイ時間50時間オーバーはざら。「ヤツは大切なものを盗んでいきました。我々の時間です」。

内容については、批評空間様にレビューを投稿していますので、興味があればご覧ください。→リンク



といったところで疲れたので本日はここまで。需要のほどはわかりませんが、どうせなら完成させたいので、後日、5月からもやる予定です。

それでは。


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レビュー:『プリーズ・レ○プ・ミー!』

prm

タイトル:『プリーズ・レ○プ・ミー!』(CLOCKUP/2011年10月28日)
原画:Team N.G.X/シナリオ:むなしむじょう
公式:http://entacom.org/clockup/product/prm/index.html
批評空間投稿:済→リンク
定価:8800円
評価:B(A~E)

記事タイトル欄に作品名だけあったら、大変なことというか変態なことになりそうなので、ちょっとタイトルの形式を変更してみました。

一言でいえば、エロ濃い目、話薄目のCLOCKUP「らしい」内容。『euphoria』は、まあ、くろふぁんには馴染まない感じします。知人からは「レビュー読んで買ったけど騙された」と散々言われましたが、ちゃんとそう書いてますよ(笑)。

実は珍しく、レビューをリテイク無しの一発で投稿(誤字とかの修正はしました)。いま読み返すと、文章下手ですね。修正したい。ともあれそれだけノリノリで書いたということです。似たようなことを書いていた本を読んでいたので、するりと書くことが決まったためでしょうか。

半ばネタ的に書いたのは事実ですが、作品の本質は捉えているんじゃないかというちょっとした自負もあります。挑発的なタイトルで、言葉の定義も作中しっかりと行われているにもかかわらず、内容がその真逆になっているというのが本作のミソですよね。実際、批評空間様でのポイントが低いのも、ほとんどが「タイトル詐欺だ」のような理由です。

結局、一平くん(主人公)の悲哀というのは、レ○プ願望の持ち主なのに、性交の決定権を全部女性に握られているところにあるわけです。そこが凄く面白い。さながら、想像の斜め45度上くらいを音速でぶっ飛んでいくコンコルド。

一平の願望は、嫌がる相手を無理に押し倒すことなんだけど、女性側がそもそも嫌がってないならその願望は満たされません。その辺はちょっとフクザツで、それでも一平が満足できているなら「嫌がる相手を無理に押し倒す」という一平の自己認定こそが間違っていた可能性もあるんですよね。だから、そこには突っ込まないことにしました。

ただ、事実問題として、一平は女性側がOKって言わないと相手に迫れない。彼の行為は全部「許可制」です。つまり精神的に不自由を強いられているのは(本人気持ち良いから気づいてないだけで)、実は一平。一平は、意思無き性交を……強いられているんだ! と今なら一言コメントに書いたのにな。残念。

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レビュー:『君がいた図書室』

kimitosho

タイトル:『君がいた図書室』(ディーゼルマイン/2011年5月20日)
原画:綾瀬はづき/シナリオ:bridge
公式:http://dieselmine.com/2011/kimitosho/index.html
批評空間投稿:無
定価:2200円
評価:C(A~E)

同人作品『君がいた図書室』のレビューです。これは投稿したことなし。別のところで書いていたのを少し修正して掲載しました。いわゆるNTRゲーの紹介ですが、ジャンル的な話からもう少し内容に踏み込んでいます。

私は月に3~5本くらい同人ゲーをやるのですが、批評空間様だとぶっちゃけどう点数を付けて良いかわからないので、投稿は余りしないつもり。私にとって同人というのは売上げをある意味で度外視して、好きなことをやるのが許される場ですし、その意味では一つのアイディアが全ての「1か0か」というのこそ本質かなと思っています。ただそれはもう点数化できない。ほとんどまるまる好みの世界ですから。

ディーゼルマインさんくらいになると商業とほぼ同じでも良いとは思うんですけど、同人ブランドと商業ブランドの実質的な線引きを考え出すととても厄介な話になるので、外的枠組みに従って「同人と書いてあるから同人」ということにしました。ともあれ、よろしければご覧ください。

【レビュー】
学院三年生の主人公・三里大樹は、受験を控え、内申点の為に一時的な図書委員の役目を引き受ける。そこで大樹は、一人静かに本を読む二年生の少女・早水千穂と出会う。好きな本の話題を通じて、不器用ながらも少しずつ仲を深めていく二人。ところがそこに、一年生の国嶋俊があらわれ、二人の間をかき乱すのだった。

同人ブランド、ディーゼルマインから発売されたADV。本作では、まず主人公である大樹視点で千穂との交際が始まる。一度大樹編ををクリアすると、二周目以降はその場面場面で千穂の視点(千穂が何をし、どのようなことを考えていたか)が追加される。「寝取られ」イベントが発生するのは、この二周目から。要するにヒロインは千穂一択で、彼女を気に入るかどうかが本作のほぼ全て。で、肝心の千穂は、グラフィック的な派手さはないものの下側フレームの眼鏡をかけてちょっと上を向いたときの表情が抜群に良い。ムム、なかなかヤルナ、という感じである。

大樹は何日も話をしているのに、千穂の名前を聞けないような内向的な少年。告白も千穂からで、つきあってからもいつも千穂に気後れし、ドギマギしている。挙げ句の果てには目の前で目をつぶっている千穂に対し、「『キスしてもいい?』って聞くのは……ダメかな……。礼儀正しくて悪くはないと思うけど……なんとなく情けないような気がする」などと固まる、絵に描いたような「ヘタレ」。それはどう考えてもゴーだろう。

ところが、千穂視点が導入されることでユーザーには、実は千穂も人付き合いが苦手で一人でいるほうが楽という、典型的な文学少女であったことが明らかになる。無愛想に見えたときも、内心は「変な子だって思われた」と悩んでいたり、テンパりすぎて何を喋ったか覚えていなかったり。そんな内向き少女が、「本を大切に片づけていたから」というささいなきっかけから年上の少年に惹かれ、ありったけの勇気を振り絞って大樹に告白するまでの描写は、心温まる青春ラブストーリーに似た甘い雰囲気に包まれている。

だが、本作のキャッチフレーズは、「彼女が必要としているのは自分なんだって……そう思っていた」。幸せが壊れていく「焦燥感」を強調し、「果たして貴方は、最後まで正気を保っていられるか……?」とユーザーに精神的負荷をかけることがウリ。物語はここから急転直下、ちょっとしたすれ違いを国嶋につけ込まれ、二人の溝が深まり、最終的に千穂は国嶋に奪われ、大樹は取り残される。いわゆる「寝取られ」(NTR)作品の位置づけだ(ダウンロード販売先の「DLsite.com」でも「寝取られ」タグがついている)。

寝取られゲームとは何であるか、一般的な解釈はあまり定着していないという。自称専門家の友人曰く、広義では三角関係のようなものを含み、狭義では恋人を他の男に(性的な意味で)奪われることを意味するのだとか。ちなみにWikipediaでは「自分の好きな異性が他の者と性的関係になる状況・そのような状況に性的興奮を覚える嗜好・そういう嗜好の人に向けたフィクションなどの創造物のジャンル名、など」。はてなキーワードや、ニコニコ大百科でもそれぞれ定義は微妙に異なっている。ただ、見たところ定義の混乱は、どこまでを寝取られと言うかという解釈の上限の問題であり、下限のほうは共通理解があるようだ。恋人や相思相愛に近い状態から第三者に相手を奪われる形式であれば、寝取られと呼んで間違い無い。その意味で、確かに本作も寝取られゲームの一貫である。

しかし私の印象は、同じく「身を切られるような焦燥感」をウリに寝取られを謳っていた同ブランド・同スタッフの作品『いつのまにか彼女は……』や『愛妻【reverse side】』と少し異なっていた。寝取られゲームとしての性質が微妙に異なるからである。

作品のポルノグラフィ的な要素がコキュのマゾヒズム的な願望にあった過去作群と比較とすると、本作にその要素は薄い。要するに、最愛の相手を寝取られた本人に感情移入してハァハァするタイプの作品ではない。かつて『シスタ×シスタ~Lovevery Sisters』で主人公の一久は、「フラれたときのことを思い出して、多分泣きながら自分のモノをしごいちゃうんだろうなぁ……。泣きゲーで抜く人ってこんな気分なのかな?」という迷言を吐いていたが、過去作にはそれに近い感じがあった。だが本作では、ユーザーと大樹との間に、容易に同調しにくいような距離が横たわっている。

距離をもたらすものは何か。それは、作中描かれる視点変化だ。寝取られゲームにおいては元来、ユーザーを俯瞰視点に立たせる傾向が強い。というのは、ユーザーの目標は寝取られを味わう(ぶっちゃけエロいことに使う)ことにあるのに対し、作中の主人公は(現場を目撃して興奮することはあれど)基本的に、寝取られを回避しようと動くからである。ユーザーと作品の主人公は伴侶への愛情という面では同調しつつも、伴侶が奪われるところを見たいと考えるユーザーと、そうはさせまいとする主人公との間で最終的にはズレが生じざるを得ない。

更に、千穂の視点で心情が語られることも問題となる。大樹の視点では絶対に知りえない情報が語られるということは、ユーザーが第三者の視点にいるということを、よりはっきりと意識させるだろう。そして本格的な性描写の大半は、この千穂視点で描かれるのだが、それらはほぼ全て恋人の大樹とではなく、間男役の国嶋との行為だ。つまりユーザーが目撃するほとんどの性行為は、大樹が本来は知りえなかったものなのである。この点で、本作においてユーザーは大樹と隔てられている。

Hシーンの大半を国嶋と千穂の交わりにおいた本作は、寝取らされる大樹でも、寝取る国嶋でもなく、性交の場面で描かれる寝取られ役・千穂の感情の振れ幅によって、興奮を煽る作品であるように思われた。要するに大樹は千穂の感情を強く揺さぶるためのスパイスということ。

実際、千穂視点が導入されてから多くのシーンが投入されるという一事を見ても、寝取られるのを傍観する大樹よりは、寝取る側の国嶋か寝取られる主体であるところの千穂こそが、本作の性行為のポイントであると言える。そのステップを踏まえて更に、大樹に感情移入することは、原理的には可能であるが。

寝取られというジャンル性を一旦脇におけば、『君がいた図書室』という作品の軸は、感情のすれ違いや誤解も含めた、恋愛における当事者それぞれの意識にある。その背後に流れるのは、二つの基本的なアイディアだ。

一つ目は、当事者の内面がきちんとかみ合うことがただしい恋愛関係の成就だ、ということ。恋愛の成就のためには、相手を理解しようとするだけでなく、相手に適切に踏み込んでいかねばならない。なかなか踏み込まないのが大樹、踏み込むどころか踏みにじってでも相手をこちらの思うとおりに変えてしまうというのが国嶋、というわけだ。たとえばある分岐では、千穂と国嶋が盛んに肉体関係を持つようになったことを知らず、大樹が千穂に告白し、千穂は国嶋と肉体関係を維持したまま大樹の告白を受け容れるというかたちで物語は結末を迎えるのだが、これは当事者(大樹―千穂のみならず、千穂―国嶋も)同士の内面が完全に食い違っており、その意味で恋愛の失敗が描かれていると考えて良いだろう。

そうして、もう一つ。内面は(つまり恋愛は)肉体に強く制御されているということである。千穂が肉体的な快楽に強く流されることが、まずその証拠となるし、ある分岐の終盤、千穂が呟く「純潔を奪った祖父ではなく、愛する青年の命を奪った推理小説の主人公の気持ちが分かる」という独白もまた、精神的に離れていく距離を肉体によってつなぎ止めようという意識として読みうるように思われた。

本作が純愛的な恋愛要素を多分に含みつつ、なお凌辱系作品としての面目を躍如しているのはおそらく、精神的な交わりとして恋愛を描きながら、それを上回る過剰な肉体関係を置いたことで、「堕ち」の落差を高く深く演出できたところにある。多くの凌辱作品が肉体的な快楽を描きながら、最後は精神的なところで物語のオチをつけるのに対して、本作は徹底して即物的に、文字通りの「肉欲」を表現していると言える。選択肢の割りに少ない分岐やEDの尻切れ具合など不満も少なくないが、なかなか味のある作品だった。

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レビュー:『無限煉姦』

muren

タイトル:『無限煉姦 ~恥辱にまみれし不死姫の輪舞~』(Liquid/2011年11月25日)
原画:黒石りんご/シナリオ:和泉万夜
公式:http://liquid.nexton-net.jp/index2.htm
批評空間投稿:済→リンク
参考:えび様のブログ「BLUEBLUEBLUE
定価:8800円
評価:A(A~E)

凌辱臭漂うタイトル、ばりばりの凌辱ブランドというハードルのせいで、ほとんど周りで話す機会の無かった作品。売れ行きも、恐らくそんなに良くないんじゃないかと勝手に思っています。

ただ、内容はかなり良質であり、同時に世に氾濫する「ループもの」の世界に対する強烈なカウンターパンチを放っている、ロックな作品だと思います。別にループものに反対するのが偉いわけではなく、ループする世界が私たち人間にとって決定的に重要なものを喪失させているのではないかということを提示し、その「重要なもの」を取り出そうとした作品であると思うのです。

先日、本作をレビューされていたえびさんとツイッターで思わず話す機会がありました。実はその時ブログの方の「所感」があることに気づかず妙な突っかかり方をしてしまったのですが(えび様、その節は大変失礼いたしました……。話し終えた後、「所感」のコーナーを発見し、拝読し、赤面するほど恥ずかしかったです)、色々勘違いしていたのに丁寧にお返事頂き、私自身の考えも大変深まりました。特にえびさんは「リトル」に注目されており、リトルが〈少女〉との対置ではなくゾワボとの関係も含めて考えられるべきであるという指摘は大変納得できるものでした。

ただ、同時に似たようなことを考えていたのではないかという部分も多くあり、それを手掛かりにして私の言いたかったことを再度、考えたいという思いが抑えられなくなりました。

批評空間様にレビューを投稿した後、コミケ用の某冊子で本作を再度とりあげたのですが(誰も読んでないと思うのでほぼ自己満足です)、その時も時間が無くて扱いきれなかったんですよね。なのでその辺を掘り下げるためのメモと下敷きになります。ちなみにそちらは、「続きを読む」以降に掲載しました。興味があるかたはご覧ください。「お前だったのかよ!」と気づかれた方は、こっそりニヤニヤしてください。

以降は、少しめんどくさい話になります。

(1) 大塚英志は、「リセット」が前提されるゲームやゲーム的小説(ラノベ)では人の「死」が描けないと言った。
(2) それに対して東浩紀が、ゲームにはゲームのリアルな感情(ゲーム的リアリズム)がちゃんと描かれており、大塚のような旧い読み方では読めないだけだと言った。新しい「環境分析的読解」で物語の構造を読むことが求められている。
(3) ゲーム的リアリズムの代表格が「ループもの」であり、そこでは死の重要性が、絶対性としてではなく相対性として描かれているというのが東の主張。
(4) でも、本当に「ループもの」とは人の死を描きうるものなの? という疑問を提出して、「やっぱり無理だよね、だって死ってこういうことでしょ。そこで求められる救いってこうでしょ」と言い切ったのが『無限煉姦』。

というような見取り図ですよ、と紹介して、続けます。4000文字くらいです。

---------
本作をループする物語との関連で捉えるにあたり、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』に触れることにしたい。正直言えば批評空間のレビュー、同人誌でのレビューともに私は東を出すことを避けてきた。まず、作品と直接関係が無い。次に、サブカル系批評クラスタを除き、この手の本を引用することはかえって興味を薄れさせる可能性があった。結局、作品自体は『ゲーム的リアリズム』を読んでいなくても楽しめるので、引き合いにだす必然性が無かったわけだ。

ただ、今回は自分のブログという私的な場であり、また備忘録的に私自身の考えを綴っておこうと思ったため、敢えて書いてみた。東の議論はきわめて鮮やかで、中途半端に一部を切り取って展開しても、他の所で回り込まれている可能性はきわめて高い。まあ、だからこそ迂闊に引用するのが嫌だったというのもあるのだが、今回の内容に関しては、こちらもできるだけ注意深く範囲を限定し、正確な読解と論述を心がけたつもり。とはいえ力不足のうえに、内容をかみくだいた都合上、ぶれた部分もあるとは思う。そのあたりは教授いただければ幸いである。

前置きが長くなった。本題に入ろう。東の「ゲーム的リアリズム」は、大塚英志の言うまんが・アニメ的リアリズムに対して提出される概念である。東のまとめによれば、大塚の主張は次のようになる。

まんがやアニメでは「傷つく身体」や「死にゆく身体」を描くことができるが、ゲームでは「本質的に、物語を「リセット可能なものとして」描くメディア」(p.120)であるために、「死」や「傷」を本質的に描くことができない。だからゲームや、「ゲームのような小説」であるライトノベルはまんが・アニメの表現に追いつくことはできない。

実際に大塚がどういっているかはもう少し慎重な検討が必要かとも思うが、ともあれ東は以上のように大塚の議論をまとめ、それに疑問を唱える。本当に「ゲーム的リアリズム」では「死」を描けないのか。ゲーム的な物語は、まんが・アニメ的な物語に劣るのだろうか、と。

そこで東は、「環境分析的読解」を提案する。曰く、大塚のような主張は、これまで日本の小説の読みに使われてきた「自然主義的読解」のある種当然の帰結である。「自然主義的読解」というのは、いわゆる文学として作品世界と現実世界を対応させ、「「新しい現実」の写生」(p.80)として読み解く態度だ。《ずれるのを覚悟で思い切ってまとめてみると、よく、創作について世界や感情の「リアリティ」が問題とされるが、何らかの形で物語世界内部の「リアリティ」を問題にする読解が「自然主義的読解」》

つまり、「物語と現実のあいだに対応関係を見る」(p.182)のが「自然主義的読解」であり、それに従えば、ラノベやゲームの内容は稚拙、テーマは似たり寄ったり、文体は現実の複雑さに対して余りにも単純と、非難されるべきもののように映る。

だがそれは、単に「自然主義的読解」がラノベやゲームを読み解けない方法だからにすぎない、というのが東の主張だ。東によれば、実はラノベやギャルゲーには、「自然主義的読解」では見出すことのできない「文体そのものの単純さとはまったく別の水準で、巧妙な詐術が織りこまれている」(p.244)。それが分からなければ、「キャラクター小説や美少女ゲームが、表面的には明らかに非現実的な物語しか語っていないにもかかわらず、なぜいま若い読者の実存的な投射の場所になってしまっているのか、その理由も理解することができない」(p.246)。

ご都合主義的な物語の中ではなく、それを支える物語の構造を読む。物語と現実との間に「環境」を挟み込み、その分析によって、作者も作品のテーマも関係ない(物語の内容ではない)「構造」を追い掛ける。それが、東の言う「環境分析的読解」という方法である。

ではその構造とは何か。ひとことで言えば「メタ物語性」だ。ゲームやラノベには、物語の中に、物語を外から眺める視線が織りこまれており、それは物語に埋没していく「自然主義的読解」では拾い上げることができない。「ループもの」は、この「メタ物語性」との関連によって主題的に取り上げられている(ようやく繋がった)。ちなみに東は、桜庭洋の小説『All You Need Is Kill』に始まり、ゲームでは『CROSS†CHANNEL』、『ONE』、『未来にキスを』、『EVER17』、『雫』、『最果てのイマ』、『ひぐらしの鳴く頃に』など実に多彩な作品をとりあげている。

さて、多くの「ループもの」の物語では、主人公(この言葉を使ってしまうとうるさがたに突っ込まれることは想像に難くないが、言い回しの正確さに配慮するより内容を平らげることを重視したので、なにとぞご容赦いただきたい)が記憶や能力を引き継ぐ。また、他のキャラクターを置き去りに自分だけがループの記憶を持つため、作中の誰とも、根本的には同じ時間を共有できない孤独を抱えている。これは、「自然主義的読解」に適したタイムトラベルSFと明らかに異なる「矛盾」だが、東によればそれこそが「メタ物語性」の端的なあらわれである。

ここから東は、ゲームなり小説なりのキャラクターが、単なる作中のキャラクターではなく「プレイヤーと比較されている」(p.166)のだとする。要するに、作品世界内に、読者と作品の関係が描かれている、ということなのだが、そのことがやや難解に、しかし正確に言いとられている。

ループする物語における主人公の生は、「ポストモダン化の進行のなか、選択肢の多さに圧倒され、特定の価値を選ぶことがますます難しくなっている、私たち自身の生の条件の隠喩」(p.188)である。私たちの前には常に、それこそ選びきれないほどに無数の選択肢が用意されており、何か決まった価値に容易にコミットすることができない。何かを選ぶことは何かを切り捨てることであり、そうしなければ何も手に入らない、というわけだ。

ところで問題は、「ゲーム的リアリズム」で「死」が描けるかどうか、であった。東によれば「ループもの」は「その相対性を活かして、死の重要性を描いている」(p.179)。大塚のように、一回性を実感するために一回的な物語が必要だと考えるのではなく、むしろその一回性を体験するために複数の物語を用意し、それだけの選択肢があったのに結局最後は一つを与えるしかないという無力感(一回限りの生ではなかったかもしれないという反実仮想によって、一回性を認識する)を味わうのがラノベやゲームの「新しい可能性」だというのである。

しかし、本当にそうだろうか。東は死を相対化するというが、それは死が本来持つ、相対化できない絶対的な重みを決定的に損なっていることにはならないだろうか(たとえば仏教は常にその問題に自覚的であり続けたわけだが)。現実問題として、私たちにとって自分の死は一度きりであり、それは決して相対化することも、逃げ出すこともできないもののはずだ。

また、ループもので描かれているのは本当に死そのものなのだろうか。たとえば、ループする世界が問題となるのは、そこに受け入れがたい事実が(たとえば恋人の非業の死や、世界の滅亡などの)あるからだ。そこから一つの答えを選び取り、ループすることを止めたとしても、それは「受け入れがたさ」を相対化したに過ぎないのではないか。比喩的に言うならば、ループものが相対化しているのは死そのものではなく、非業の死や不本意な死の「非業」さや「不本意」さのほうではないか。

つまり東がただしく指摘するように、ループする物語というのはまさに選択と決断という意思の問題を描いているのである。その点から見れば、意思を失い、決断も選択も不可能になる死は描くことができない。あるいは描いたとしたら、それは端的な無にしかならない。ループする構造の後に世界が続く限り、ループ前の世界の一回性は常に相対化されざるをえないのである。

以上が、「ゲーム的リアリズム」を下敷きとしたループ物語に関する概説と、私自身の抱えていた問題意識である。誤解のないように断っておくが、私自身は東の言う「環境分析的読解」自体に反対しているわけではない。むしろ、東が言うとおり、「自然主義的読解」新たな視点を付け加えるもの(p.182)で、作品の読解や批評・分析において有効な手段となるだろう。私が問題としたいのは、ループ物語が「死」を描きうるかどうか、というその点のみだ。

上にも述べた通り、ループする物語はむしろ、意思の力の輝かしさをうたいあげているように思う。死を描いていないからといって質が劣るとかそういう問題ではないのだが、死と向き合うことを原理的に避けてしまう「構造」を持っていると言ったほうが、正鵠を射ているのではないだろうか。

ともあれ、こうした「ループもの」の構造を浮き彫りにしながら、そこで決定的に損なわれている死の(あるいは人の生の)一回性を取り出したのが『無限煉姦』という作品であったと私には思われた。死の絶対性、逃れがたさというのはさまざまなゲームにおいて、数々の手法でとりあげられてきたが、本作は多くのゲーマーが無自覚に受容している、ループ構造の残酷な面を暴き、「本当にそれでいいの?」と問いかけてくる(作家がそう意図したかどうかはともかく、「構造」がそうなっている)、挑発的な作品ではないだろうか。
---------

もちろん、「自然主義的」に読んだ場合のメッセージ性も優れています。そのあたりは各レビューで散々書いたような気がするので、いまは止め。えび様の考察は、私とは違う言葉で(ぶっちゃけもっと分かりやすく、しかも『ゲーム的リアリズム』のような外部装置の助けなしに)、同様の問題について踏み込んでおられると思います(勘違いだったらごめんなさい)。興味もたれた方は、一読をお薦めします。

長くなったのでひとまずこれで筆を置きましょう。お付き合いありがとうございました。

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ホワイトアルバム2 WHITE ALBUM 2 Closing Chapter を振り返り

2011年の間違いなくトップ3に入る作品だったなぁ、という感想。正直、何を書いて良いか分からない。分からないから、その分からない気持ちをとにかく書き残しておこうと思います。

シナリオを書き、企画を持ち込んだ丸戸氏は熱烈な『WHITE ALBUM』のファンであったということだが、それもむべなるかな。表面をまねただけではない、深い愛情と理解を感じさせる部分が多々ありました。特に、心情のみえなさを描いているあたり。千晶の劇の脚本が「澤倉美咲」であったことなどは枝葉。

同じく無印のファンとしては、これが「2」だと言われて否定する要素は無し。そして、基本的には美しく話が締めくくられるのは丸戸氏らしいのですが、まあその辺には触れないほうが良いか。もう少しドロドロしても良かった気がします。全員雪菜だったら……大変なことになっていたか。

なかむらたけし氏の絵もよかったなあ。もう他の絵だったらありえなかったんじゃないかとすら。ちょっと興奮しています。クールダウンには時間がかかりそうですが、おちついたらちゃんとした感想を書きたいな。

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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