よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

『Venus Blood ABYSS』のサイン色紙が当たった話

相本さくらさんサイン
「プリマテスだ!」ってあれー、そんなキャラでしたっけ……。

『Venus Blood -ABYSS-』のユーザーカードを送ったら、サイン色紙が当たりました!! 公式で当選者のイニシャル公表しているので、御夜宵子が偽名であることがモロバレしてしまいましたが(何を今更)、真名を知られると私の神聖力が失われ身体と意識をのっとられるかもしれないので、仕方ないのです。ビョルビョル。

原画家さんの色紙に比べるとかなりシンプルな色紙です。プリマテス(CV:相本さくらさん)は割と好きなキャラでしたのでかなり嬉しい。ちなみにプリマテスがどんなキャラかというと、褐色エルフお姉さんポジションで、クレバー(軍師ですから)で、クーデレです。完全に私のツボです。最初は敵味方に分かれているのですが、それもまた良いです。最高です。

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このおねーちゃんです。

ぶっちゃけ戦闘では一周目こそそこそこ使えるものの、必殺微妙、特殊能力微妙、陣形と種族補正は強いものの肝心の強化できる器兵の使い勝手が微妙という三重苦。触手まみれにするにも、産みの性能としてはガーネットのほうが優秀なので完全埋もれキャラ。ドラゴンが入ってくる後半からお払い箱気味になるのですが、相棒のアイオンがかなり使えるのでセットで 無理矢理使って 活躍させていました。

このところ、わりと景品系のヒット率が高いので宝くじ買えば良かったか! などとくり返していますが、実際「あたりやすい条件」とかってあるのでしょうか。雑誌によって当選しやすい/しにくいがある、という話はありますし、ハガキやユーザーカードの場合、書き方によって当選率が変わるという都市伝説なのか経験談なのか分からない話もよく目にします。

最近一年では、「このラノ」のテレカ、「MF文庫J」のしおりセット、「電撃文庫」のサインポスター、んで今回のサイン色紙と4つ当選しています。で、一応ハガキ系のやつは、アンケートをかなり丁寧にこたえているつもりです。封書で送るぶんについては、ちょっとメッセージを書いた紙などを入れたり……。といっても、何か壮大な意見を言っているということはなく、いつも読んでいる旨と、楽しませて貰っているお礼を書くくらいですが。

別に景品のためというより、本当に挨拶程度だし、読まれていない可能性も結構高い(いちいちアンケート以外についているものまで読んでたら大変な手間ですから)とは思うのですが、こうやって当選すると「頑張ったから当選したんだ!」と言いたくなる気持ちは分かります。でも、もっと気合い入れて何通も送ったのがハズレたりということのほうが多いので、多分因果関係はあんまり無いです。むしろ、当落にバイアスがかかっているのではないかと「厳正で公正な審査」を疑うことはしたくないので、個人的にはない方が良いです。

最近はバナーもちょっと付けたりして、ブログ生活の楽しみ方を増やしてみようといろいろやっています(キャンペーンがあるのは「アステリズム」と「ドラクリオット」だけですが)。そのうち何かしら当たれば嬉しいナーとは思っていますが、ユーザーアンケートにしろ応援バナーにしろ、第一義的にはメーカーさんへの感想フィードバックであり、新作の応援であり、というのがあるわけで、景品のために特別なことをしよう、とかそういうことを考えるとやっぱりよくない(ちょっと前ならステマだ! とか言われそう)でしょう。

感想書くからには、誰に媚びることなくフェアに書く。もし批判的なことを書いて、そのせいで相手にされないとかグッズ当選率が落ちる、というようなことがあるのなら、そのようなグッズはいりません。もちろん、作品嫌いな人にグッズが行っても大事にしてもらえないでしょうから、好きな人のところに行くようにする、という考えは否定しませんが、それなら「作品を好きな方に当選します」と書いておいて欲しいです。「厳正な審査」とかあったら、そういう意味なのでしょうか。まあいずれにせよ私のスタンスとしては、感想は感想、プレゼントはプレゼント、ときちんと線は引くように心がけたいところです。

あ、でもすごい嬉しいですけどね、やっぱり。なんだかんだで。

というわけで本日はこの辺で。明日はいよいよいくつかの新作エロゲーが発売。忙しくなりそうですから、早く寝ないと。それでは――。

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エロゲーの作品と比較と歴史の話

先日ぼんやりとタイムラインを眺めていたら、「君のぞもやらずにWA2を語るな」というようなツイートが流れてきました。実際はもう少し過激な文面であり、本来ならそれをここで引用するのが筋なのですが、鍵アカウントの人が、更に鍵付きの相手から非公式RTしたという複雑な事情があり、私のほうで発言の当事者が本当にそんなことを言ったのか裏をとれていない又聞き状態なので(こんな発言捏造しても誰も得しないので、嘘ではないと思いますが、冗談の一環として発言している可能性はある)、だいたいそんな感じの発言がどうやらあったらしい、というくらいに認識してください。

私はこれを聞いて(正確には読んで、ですが)、「またか」と思いつつ、あまり良い気持ちはしませんでした。理由は大きく二つあって、一つは、なぜ「君のぞ」と「WA2」が繋がるかを示さずにそういうことを言う、その中味の無さ。もう一つは、意見の表明なら自由にすれば良いと思うのですが、根拠があるんだかないんだかわからない権威主義的(たぶん自分が「君のぞ」をやっていることが権威として機能しているからこういうことが言えたんだろうと思います)な態度で、他のユーザーを頭ごなしに否定するところ。

実際問題、この手の「~も知らないくせに、偉そうに語るな」みたいな言説、ずーっと昔からたまに見かけます。ハッキリした傾向でなくとも、たとえばエロゲーやってる本数が多いとか、昔の作品をやっているとか、そういうことが端的にすごいことだと受け取られる傾向はある。その延長に、やった本数が多いと威張れる・少ないと気後れする、ということがあるのでしょう。けど、私としては、こんなバカな話は無いと思います。たかがエロゲーに必死になって、などと言うつもりは毛頭ありません。むしろ、必死だからこそ思うのです。エロゲーだろうがなんだろうが、好きなモノについて語るのに、何の資格が要るというのか。

昔は、こういう発言を聞くたびにカチンときて、でも自分に知識がない言い訳で抵抗していると思われたら嫌だから、なけなしの金をはたいて必死にエロゲーをやりまくりました。そうしてかれこれ十数年。人並み以上に本数をこなしているという自負はありますが、こなした本数なんて、ぶっちゃけ大したことないと思います。いや、正確には、こなした本数が価値を持つのは、非常に限られた条件のもとではないか、と思うようになりました。

つらつら考えてみるに、この手の本数至上主義というか、知識崇拝というか、そういうのの背景にはおそらく、エロゲーの――正確にはエロゲーに限らずオタク文化全般の――学問化のようなものがあるのでしょう。学問化という言い方が適当でないかもしれないので言いなおすと、エロゲーの作品に対する評価というのがユーザーの間でメジャーなコンテンツになった。その時、評価をするうえで導入された、既存の「学問的方法論」の影響が色濃く出ている、という感じです。

ことわっておくと、私個人としてはそのような傾向に対して否定的ではありません。むしろ、個人的な感想を繰り返すだけでなく、ある種の客観的基準を導入しようという試みは、作品の内容をより豊かにする助けになるでしょうし、批評文化が盛り上がることはコマーシャル・セールスという実利的な面からみても少なからずプラスがあるはずです。

しかしながら、生兵法はけがのもととでも言いますか、無自覚に方法を振り回すと、かえってたちの悪いことにもなりかねない。その代表例が、冒頭にあげたように中途半端な博物学的関心でしょう。


「学問的方法」のなかで、傍目にはとても分かりやすそうに見える手法の一つが、おそらくは比較論です。AとBを並べて、その違いやつながりを説明する。客観的な証拠もあり、違いが言えた/繋がりが言えたということで、一応結論らしきものも出る。形式のテンプレートにも載せやすいし、知識を加工(分析や読解)無しに直接使える……ように見えます。

しかし、比較するということは、実は結構難しい。AとBを比べるためにはまず、AとBとの間で同じところと違うところがどこか、説明しなければなりません。さらにそのうえで、なぜその2つを比べたのか、比べることで何がはっきりするのかも明らかにする必要がある。たとえば、「ケーキとまんじゅう」を比べるとき、両者は菓子という共通性があるけれど、西洋と東洋という違いがある。2つを比べることで、欧米と日本の間の甘さに対する感性の違いを明らかにしたい……というように。

比較においてはそのような「目の付け所」こそが重要なのですが、多くのエロゲー的比較論は、単に「あれとこれが似ている」「ここが違う」という、説明に終始していて、それがどういう意味を持つのかは等閑視されがちです。そうやって並べて違いを見ているというのは、二つの作品の箱を並べて「パッケージの色が違うネ!」と言っているのと、たいして変わりません。そりゃ違う作品なんだから、細部は異なるわい。そんなことが言いたいだけなら別に、君のぞやらずにWA2について語っても何の問題もないと思うわけです。

逆に、もしAとBの間――「君のぞ」と「WA2」の間――に、比較するに値することがあるかもしれません(実際あるだろうと私は思います)。しかし、それはあくまで比較において導かれることであって、作品単体をかたってはいけない、ということにはならない。比較すると違うものが見えてくる、というだけのはずです。

具体的に考えてみましょうか。あくまでも私見ですが、「君のぞ」を「WA2」と比較する場合、三角関係という構図が同じであるにもかかわらず、ユーザーの印象が結構違う。それは何故か。「君のぞ」は水月か遙のどちらを選ぶか、という作品だったのに対し、「WA2」はかずさか雪菜、どちらを切るか、という作品になっている。だから、孝之はどんなに相手を振る選択肢を選んでも振り切らないし、春希はつきあう選択肢を選び続けても問題が解決しない。結果は同じでも、過程が違う作品で、だからこそ描かれている恋愛観がずれているんだ――とかなんとか、言おうと思えば言える気がします。

で、そこからたとえば「WA2」の恋愛観について何か言えたとしましょう。

その結論は原則、「WA2」単体からでも導けるものでなければならないはずです。当たり前ですね。そうじゃなかったら、「WA2」についての話になりません。「君のぞ」はあくまで見通しをよくする為のサポートで、「君のぞ」無しでは出てこないような話になるなら論外です。

または、「君のぞ」と「WA2」の比較からしか言えないこと、というのもあるかもしれません。しかしそれは、そもそも「WA2」の話をしたい人にとってはどうでもいいことのハズです。「WA2」の話がしたいのに、別の作品との関係でしか言えないようなことを言われるというのは、カレーたのんだらラーメン持ってこられたみたいな理不尽きわまりないお話でしょう。いずれにしても、ある作品について語るのに、別の何かを知らなければ何も言えない、なんてことは無いはずです。


比較以外にもう一つ、感想や評価を権威付ける手っ取り早い方法として、「歴史」というのがあります。こういう歴史の流れの中に位置づく、ということを言えば、何か大きなことが言えた……! というパターンです。今回の場合なら、三角関係作品という系譜の中にあてはめた、ということですね。

しかし、これもまた実際にはそう簡単ではありません。そもそも、歴史というのは別に客観的な事実ではないので、ただ単に並べれば良いってものじゃないわけです。私は歴史学には門外漢なので、偉そうなことを言うのも気が引けますが、歴史記述ということを巡っては多少専門に片足突っ込んでいる部分もありますので、少し回り道をさせてもらいます。そんな専門的な話ではなく、かなり端折った大ざっぱな話ですが。

最近の学生は――といっても、私の同年代が大学生だったころからそうですが、歴史というのが一つの思想であるということを聞いたことがない、という人が結構多いみたいです。確かに、高校とかでは習わないんですよね。酷いのになると、年表というのは事実の羅列だと思っている人がいる。

当たり前の話ですが、実際の歴史的事実というのは、教科書やら年表やらに書き残せるものではありません。叙述された歴史というのは、何らかの意図に沿って編集されたものでしかないわけです。たとえば今の日本史の教科書・近現代史なら、「民主主義の称揚」と「反戦」いうのが大きなテーマでしょうか。その線に沿って編集されている(だからこそ、「つくる会」との教科書問題が起こるわけです)。

歴史マニア、記録マニアと言われた古代中国なら、王朝の勃興から滅亡までをことこまかく記している、あれは客観的事実記述を目指したんじゃないのか、という反論があるかもしれません。しかしああいった歴史にしても、始まりから終わりまでを描くことで、なぜ始まり、なぜ終わったのかが問われている。その歴史が描いているのはさしずめ、「天帝」の意志でしょう。「最後の審判」へと向かうユダヤ・キリスト教であれば、歴史には「神」の意志があらわれる。ヘーゲルが「歴史は絶対精神の発展過程」と言ったのもそういうことです。

ちょっと話が飛びました。要するに、歴史の中に何かを位置づけるというのもやはり、ものの見方を提示することに意味があるのであって、なんとなく繋がりました、なんて言っても「あ、そう」で終わっちゃうわけです。

分かりやすい例になるか知りませんが、エロゲーなら、ランキングのようなものを想像してみれば良いのではないでしょうか。2011年をエロゲーで振り返ってみて、と言われたとき、たとえば1月に1本をとりあげて12本のエロゲーで1年を語ることもできるし、売上の1位~10位を並べて10本で1年を語っても良い。自分の好きな作品を並べることもできるし、特定のジャンルに絞って振り返ることも可能でしょう。

結局、作品相互の繋がりというのは、やろうと思えばどんな風にでも繋ぐことができる。だからこそ、なぜその2つが繋がるのか、それを繋ぐことで何が言えるのか、という「視点」の説明こそが、本当に重要な課題となるはずです。それが言えたなら、ある作品を過去の作品の歴史(エロゲー史)の中に位置づけるということの意味は出てくるでしょう。文学史にしても政治史にしても思想史にしても、その「史」が何を語るために必要なのか、ということこそが重要で、それがあるから、「~も読んでないなんて論外」みたいな話が出てくるわけですが、エロゲーにそこまで体系だった「史」が存在しているという話は、私は寡聞にして存じません(あったら是非教えてください)。

そして、よしんば存在したとしても、別にだからといって作品個別について何かを語ることが禁じられるわけではないだろう、と思います。


なんだか最初の話から、随分遠いところへ来てしまった感じがしますが、とにかく「~を知らないから語るな」というような言い方は、個人的にはNGというか論外に思えます。そして、過去の作品との比較で何かを語ったり、史的な観点で作品を位置づけるなら、たんに事実を並べるだけではなく、そのことの意義こそが重要なのだ、ということが今回の話の結論ということになるでしょうか。頭にやや血が上っていたので、自分でも何を書いてるか覚束なくなっていますが……。

いやもちろん、昔を懐かしんで、「あれとこれって似てるよね!」というような話を否定するつもりは全くありません。そういう話は私だってどんどんします。どちらかというと懐古厨ですから。ただ、知っているということだけをかさにきて、他の人を攻撃するとか、そういうのは本当に無意味ですよね。

まあツイッターではちょっと言いましたが、そういう人はきっとそのうち、若い世代の最先端からどんどん取り残されて、可哀想なことになるんだろうなああ、ほっときゃ良いか、とも思うのですが、現在進行形の問題としてやはり、いらないプレッシャーを与えているわけですし、「単に物知りになったら良い」というような、私が植え付けられた洗脳じみた誤解が蔓延するのはよろしくないことだという気もするわけです。

それとは別に、この記事の最初のほうにちょっと布石を打ったのですが、「エロゲー史」的な興味関心に基づいて体系立った「通史」を、考えてみるのも面白いのかな、と。もちろん、それに近い著書やWEBサイトをいくつか存じ上げてはいるのですが、私の知る限り、まだたたき台、という感じがします。私自身は史学的視点をまったく持てない大ざっぱな人間なのですが、個別の作品をより深く捉える上で、史的な視点というのが欲しくなるときはやっぱりある(ここまでの議論とは矛盾しませんよ!)ので、だれかやってくれないかなー。やってくれたら本買うのになー……。

と、今回はそんなお話でした。グダグダになりましたが、この辺で。それでは、また明日。

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ボタンを付けてみようと思ったけれど

今のところ私はツイッターしかやっていないのでツイッターボタンだけでも良いかなと思っていたのですが(そんなにアクセス数も無いし)、集客増やそうと思うならボタンつけなきゃ! と強く言われ、そりゃそうだなーと思いました。ついでに、ツイッターボタンの表示がちょっとおかしいのもこの機に直そうかと考えたのですが、めんどくさいからいいや……。

とりあえず、「はてブ」「Google」「facebook」あたりが主流だと聞いたのですが、私の記事でfacebook系の人は来ないだろうという読みから(あと、個数が増えると単純にめんどくさい)、前者2つを増設しようかと思います。

といっても、本人がその手のボタンをツイッター以外押したことがないので、どういう効果があるかサッパリ解っていないのですが。皆さん、どういう基準でどういうボタンを付けているんでしょう。ま、やっていればそのうちわかるのかもしれないし、何ごともやってみてからですね。

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レビュー(ラノベ):冴木忍『メルヴィ&カシム』

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冴木忍『メルヴィ&カシム』1~6巻
(1991年~ 富士見ファンタジア文庫 イラスト:幡池裕行【1,2】→竹井正樹【3~6】)
シリーズ一覧
『幻想封歌』:1991年
『銀の魔女』:1993年
『いかなる星の下に』:1994年
『未来は君のもの』:1995年
『明日はきっと晴れ!』:1996年
『六花の舞う頃に』:2000年

以前紹介した『カイルロッド』の作者、冴木忍さんのデビュー作。それが、『メルヴィ&カシム』です。また古い本、しかも未完というダブルパンチで需要が低い気もしますが、こういうほうが逆に新しいだろう! という意味のわからない言いわけをしつつ、紹介させていただきます。

全世界に名を轟かす大魔法使いメルヴィと、その弟子・カシムが主人公。語りは、カシムの一人称です(冴木氏の作品の中では結構めずらしい)。魔法使いというのは基本的に誰かの依頼を受けて厄介事を解決するなどして生計を立てており、メルヴィは容姿端麗なうえに並ぶもの無しの実力者。さぞや繁盛しているだろう……と思いきや、二人は毎日塩スープ(要するに具が無い)をすするしかないような貧乏ぐらしを強いられていたのでした。

それもこれも、原因はメルヴィ。なにせ、傲岸不遜、美女には優しいが男に対してはゴミ以下の扱いというフェミニスト。ひとたび動けば強大な魔力で気に入らないものを全て吹き飛ばすというありさま。おかげで、轟くその名は悪名ばかり。依頼人もほとんど来ない。曰く、「依頼しに行くときの暗い表情が、帰る時はさらに暗くなる」、「最悪が二乗になる」、「依頼しないほうがマシ」……。本当にどうしようもなくなって、大博打に出た人か、とんでもない陰謀にメルヴィを利用しようとする人しか依頼には訪れない、という状況。カシムはそんなメルヴィに拾われて弟子入りしたものの、魔法は一切教えてもらえず、専業主夫として家事にいそしむ毎日を送っているのでした。

そんなメルヴィ一家ですから、ひとたび依頼が舞い込むと、さぁ大変。とんでもなく厄介な依頼だったり、とんでもなく胡散臭い依頼だったりと、行く先行く先で金田一少年やコナン君も真っ青のトラブル連発。基本的には全てメルヴィが解決するのですが、その過程で、「なんでもできる」魔法の力というのが決して無邪気に幸せをもたらすものではないということや、魔法では解決できない(してはいけない)問題があるということなどをカシムが学び、少しずつ成長していく、という物語です。

シリーズものではあるのですが、基本的に1話完結の物語が続いていて、全てを紹介してもうっとうしいだけ(私としては苦痛ではないのですが)でしょうから、デビュー作である『銀の魔女』(単行本2冊目ですが、第一回ファンタジア大賞で佳作をとったのが『銀の魔女』)のお話をしておきましょう。

発端は、都市国家《青の都》の大臣からの依頼。王子二人による王位争いのさなか、シルディールという謎の美女が突如あらわれ、王の遺言状と王冠を手に王位を簒奪。王子ともども大臣をたたき出した……。と、そこまで聞いたところでメルヴィがぶち切れ。「お家騒動なんぞにつきあってられるか!」と、大臣を殴り飛ばし、酒場を吹き飛ばしての大惨事。挙句の果てに大臣のふところから金銀宝石を盗んでいたということで警備隊に囲まれ、あわや大捕物の大ピンチに。その後なんだかんだあって、シルディールに面会したカシムは、《青の都》にまつわるある大きな秘密と、彼女の意外な正体を知ることになるのでした。

50ページほどの短編で、(加筆修正されているとはいえ)デビュー作。テーマ先行というか、途中経過や心理描写がすっとばし気味で唐突なのは否めません。他の作品や、2巻に収録されている「月の雫の降る都」や「君に吹く風」と比べても、完成度はやや劣るというのが正直なところです。

しかし、それにもかかわらずなのか、それゆえになのか、後半怒涛の展開に含まれるエッセンスは、いかにも「冴木節」という感じ。全てを見届けた後のシルディール。カシムの叫び声。そして、「俺だとて夢をいつまでも残してはおけん」という、メルヴィの重く、悲しい一言。

人は誰もが、どうしようもないできごとに直面して、どうしようもない想いを胸に生きて、結局どうすることもできないままに死んで行く。冴木忍の描く世界は、そういうやりきれないキャラクターたちが大量に出てきます。本作には、そういう「冴木ワールド」のエッセンスが、びっしりと詰まっている。

昨今のエロゲーだったら、「鬱エンド」とか言われていたかもしれません。けれど、『メルヴィ&カシム』が人気なのは、鬱だから、というわけではないでしょう。多くのレビューが「悲しくも美しい」という表現を好んで用いているように、この物語は、どこかで「救い」があって、綺麗に落ちがつく。確かに悲しくて、哀しくて、やりきれない想いが渦巻くのだけれど、どこかでこのキャラたちは救われたという感じがする。

それ(救われた感)はたぶん、メルヴィが「なんでもできる」魔法使いと称されているからこそ、それでもどうしようもないできごとを前に本気で苦悩していることと、無力なカシムが自分の無力と世の理不尽に対して本気で嘆き悲しんでいることとが、読んでいる私たちに伝わるからだと思います。カシムやメルヴィは、きっとこのどうしようもないことを、ずっと覚えているだろう。そして、読み手である私たちも同じように、このできごとを悲しみ、記憶にとどめておこう。そう思えるということが、作中のキャラクターにとって何よりも強い慰めや救いになるのだと思います。

ここまでしてきたような説明からだとちょっと青臭いというか、冴木作品の引力が劇的に働く年代というのは、思春期の真っ只中という印象をうけるかもしれないのですが、そんなことはありません。私自身の経験で言えば、昔はカシムやメルヴィに重ねていた想いを、いまは依頼人のほうに重ねて読むことができる。違った視点で読むことで、また違った面白さが見えてくる作品です。

今回は『メルヴィ&カシム』のお話でした。一部同年代のオッサンとか、コアなファン狙い撃ちと言われそうですが、実際その通りなので言いわけはしません。でも、手に入るならぜひ読んでみてほしいなーと思います。富士見さん、復刊してくれませんか……。というか、続刊はもうでないかなあ(泣)。

というわけで、本日はこれにて。また明日、お会いしましょう。それでは。

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グリザイアミュージアムに行ってきた

グリミュ
秋葉原ぷちげま前。中は撮影禁止なので、入り口のみ。

ちょっとお昼に時間ができたので、気になっていた「グリザイアミュージアム」に特攻してきました。場所は、秋葉原のぷちげま。中央通りに面した建物の地下一階です。開催期間は2012年3月10日(土)~4月8日(日)。時間は、11時~19時。

3月10日には限定グッズ販売があったそうですが、残念ながらそこには行けなかった(´・ω・`)。こんな中途半端な時に行くのもどうかなーと思いつつ、平日の昼間ならそんなに人も居るまいという読み。

で、入ったところお客さんは2、3名。カップルもいました。デートで美術館とはなかなか良いご趣味で……。まあこちとら天音さんとかとの時間を過ごす為に来ているので、爆発しろ! なんてことは思いません。むしろ二次元の恋人に集中できない彼に、哀れみの視線を投げておきました。フッ……。

それはさておき、階段を降りて左手がミュージアム。ゲーム内CGや、雑誌・ポスター用イラストの特大パネルが展示してありました。でかいだけあって綺麗だし迫力はある! 凄く良い……のですが、ちょっと枚数が少なくて拍子抜けしたのも正直なところ。スペースの都合上、そんなに大がかりなものではないと解っていましたが、じっくり見ても30分かからないと思います。それ以上居られると、人数が飽和しちゃうので仕方ないのでしょう。

あとは、物販スペースと大画面で流れるグリザイアのムービー。店内BGMも当然テーマソング。キャラクター人気投票スペースには、学園の制服が展示してありました。3000円以上購入で、豪華賞品(直筆サイン入り特大タペストリーや、OPアニメフィルムなど)があたるガラポンが引けるようでしたが、特賞がまだ残っているのかどうか、確認するのをすっかり忘れて、なんにも買わずにそのまま帰ってきてしまいました。一回くらい引けば良かったかな……。でも、新作ラッシュ控えているし我慢我慢。

3月24日には、限定グッズの「絵馬」が発売されるそうで、それを2つ購入のうえ、でじこ神社に奉納すると、特製ブロマイドが貰えるそうです。気になる方は、24日に行かれると良いかと。私もちょっと覗いてみるつもり。

すごい展示を期待して行くと肩すかしかもしれませんが、グリザイアが好きで、雰囲気にどっぷり漬かりたい! ということなら行って損無し。限定グッズも購入できるので、話の種にはなるし、お土産やプレゼント(笑)にも良いかもしれません。

というわけで、本日はグリミュに行ってきたという話でした。それではこの辺で。また明日お会いしましょう!

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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