よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

レビュー:『ポケットに恋をつめて』

8537309a.gif

タイトル:『ポケットに恋をつめて』(青空ビスケット/2013年3月15日)
原画:くない瓜、生煮え(SD)
シナリオ:北灯ちとせ、うたや、伊舞新、藤谷優
公式:「ポケットに恋をつめて」OHP
定価:8800円
評価:B (A~F)

関連
批評空間投稿レビュー (ネタバレ無し) ※外部リンク
・ 「解体する物語によせて ――『ポケットに恋をつめて』という作品について」(2013/03/22)

※具体的な長文感想・内容紹介は、批評空間さまにて投稿しております。
※ゲーム画像の転載・素材利用については青空ビスケット様に確認のうえ掲載しております。



▼評価: キャラクターと、彼らが生きる世界をしっかりと描いた良質な作品
「奇妙な」ということばを連呼しましたが、言うほどヘンではないというか、目に見えてヘンな感じではありません。少なくとも、ぬるぬる動くバナーほどヘンではない。パーフェクトではないにせよ、全体としては「キャラクターと、彼らが生きる世界をしっかりと描いた良質な作品」というのが、ぴったり来ると思うし、その意味ではとても地に足の着いた作品。

システム・テキスト・演出を含めて細かい粗が目立ったのが大きな減点要素。そこは本質じゃないだろう、という見方もあるとは思いますが、私は商業作品であるなら完成度も問題にすべきだと思います。理由は二つあって、まず、そうでないと、きっちりやってるところが浮かばれないから。もう一つは、細かいところが雑でも良いというのは、その程度の大雑把なことしか言う気がないと見られても仕方がないと思うからです。なお現在は、パッチによって大きな問題のほとんどが解決しています。


▼雑感: 魅力的なキャラクターたち
共通から個別ルートに分岐すると、基本的に他のヒロインとのイベントは起こりません。ちらほらと出てきますが。あと、個別分岐が早いキャラに関しては、後半ちょっと、共通の内容が挿入されることもあります。こういう自由な組み換えが、この作品のおもしろいところですね。

ともあれ、各キャラの紹介と感想。

#1 呉藤 凛音
  ――これは私の嫉妬で、罪悪なの。いつも他人にいい顔をしようとしている、私の。

絵に描いたような優等生、呉藤凛音。どんな時も動じずにテキパキ動き、スマートにものごとをこなすように見える。けれど本当は努力家で、テンパリやすく、見栄っぱりで、嫉妬深い、普通の女の子。たぶん、全ヒロインの中で一番普通。そしてそれゆえ、いちばん親しみやすい女の子です。同い年ということもありますし。

©青空ビスケット 以下画像はすべて同じ。
5fd88909.jpg

修次に自分の「屈折」を打ち明ける場面。彼女の真面目な性格がかいま見える。

凛音の性格を最もよくあらわすのは、「生真面目」ということばでしょう。彼女はいつも真剣で、全力で、だからこそ、行き詰まりやすく折れやすい。必要以上にものごとをマイナスに捉えてしまう。修次はそんな彼女にとって心を預けられる存在になっていくわけですが、その「恋に落ちるまで」のプロセスの描写が凄く良い。さわやか3組も裸足で逃げ出すさわやかっぷり。

8a8a1643.jpg

この笑顔である。ちなみに、これでまだ付き合い始めていない段階。

他のヒロインが割とあっさり(ゆり姉はちょっと特殊だけど)肉体関係に走るのに対して、凛音は物凄く過程が長くて丁寧で、そのぶん見応えもあります。付き合いだしてからのイチャラブも悪くはないけれど、「性春」よりも「青春」の色が強かったです。

ちなみに、上の画像の次のセリフ、「知らなかった。理解されるだけで、満たされる事もあるんだ」は、凛音ルートのハイライトだと思います。何かよく分かんないけど聞いた瞬間ガッツポーズしていた私ガイル……。

833c8e81.jpg

心を許し始めてから見せる、素顔がとてもかわいらしい。

相手の「心」のありかを手探りしながら想いを深め合い、お互いのいろいろな表情を知っていく。いわゆるボーイミーツガール的な路線の王道として、パーフェクトに近い内容だったと思います。

**********

#2 篠原 ゆりえ
  ――ずーっと前から、大好きだったよ。

揺れる双丘を武器に虎視眈々と獲物を狙うラブ猛禽類、歩く淫獣・篠原ゆりえ。通称・ゆれ姉ゆり姉。幼なじみでお姉ちゃんで巨乳、という、私的にはトリプル役満のキャラでした。

9d48b97c.jpg

割とボディタッチ多め。ノーブラは攻撃的だよ。

凛音がボーイミーツガールなら、こちらは「ずっと好きだった」タイプ。幼なじみという関係を、どうやって一歩踏み込んだものにしていくか、というのが物語の動力です。途中ゆりえが言う、「あわよくば、自然にそうなったらいいな、なんて、虫のいいこと考えてた」というセリフが、二人の距離感をうまく表しているでしょうか。

あと、ライターさんが違うのか書き分けなのかわかりませんが、凛音は「事」のように漢語を使うのが多いのに対して、ゆり姉はいまの引用の通り、「こと」とひらがなを多用します。「たいせつ」なんかもそうかな。凛音が「かっちりきっちり」した感を出すのに対して、ゆり姉はやわらかい感じが伝わるようになっている行き届いたテキストで、文字重視の私としてはたいへん満足。

604193d2.jpg

ラブ猛禽類宣言。卒業しているはずなのに、なぜ制服を着ているのか……。(Ver1.02段階)

ゆりえはスタート時に3年生なので、ゲーム期間2年のうち最初の1年で「ヒーロー部」どころか学園からも卒業してしまいます。が、その後も時々戻ってきて要所要所で活躍するのでご安心あれ。

f9d0d24a.jpg

ぽわぽわしているようで、意外としっかり者。そして、一度決めると強い。

ゆり姉のルートはとにかくラブラブしていて、正直見てるこっちが胸焼けおこしそうだし、あとエロエロもしているので色々疲れて大変だったんですが、ほんわかした天然ボケキャラみたいなイメージに反して、かなりしっかりした自分の意思を持っているし、他人に対しては思いやりが凄くある。

某ルートで篠崎(主人公の男友達)が主人公に、「お前がまっすぐそだったのはゆりえの影響」みたいなことを言うんですが、本当にそうでしょう。変人揃いのヒーロー部の良心にして太陽。人間的魅力にあふれたキャラです。そんな彼女がブラ外して胸をグイグイ押しつけてくるんだから、そりゃもうたまらんであります。

**********

#3 西洞院 多紀
  ――平然となんて、してないわ。いつだって、分かってもらえないけど。

旧華族の完璧お嬢、ただし、不思議系のクラスメイト。冷淡なのかとおもいきや、主人公たちの暴挙に手を貸したり、「楽しそう」という理由でヒーロー部に入ってくるあたり、なんとも「つかみどころがない」という感じでした。

ただ、接する時間が増えて近くで観察すると、感情の起伏がきちんとあることがわかるタイプ。実際、小さなイベントの端々で彼女の「らしさ」が表現されています。エロ関係のときは、とくにハッキリしますけれど(笑)。

どうやら彼女、エロいことに興味津々なんですYO! クール系でエロ大好きとかなにこれ! ヒャッホウ! というわけで、誰よりも早くHに突入を試みるのですが……。

0880ac68.jpg

は、はあ……本に……。博識でいらっしゃる。

天 然 す ぎ る 。

天然キャラ枠、ゆり姉かとおもったらこっちでした。「服の内側を見せるのは、凄く失礼なこと」とかのたまい脱衣をためらわれあそばされますが、全然OK。むしろガンガンみせてくれていいのよ?

4d7d92d2.jpg

しらんがな。

凛音とは別のかたちで、複雑な心をしている多紀。彼女のコンプレックスは「普通でないこと」なのでしょう。それは家柄とかではなく、自分の感情を持て余す、という意味で。凛音が、物凄く明確な自意識の枠にじぶんをあてはめて、その束縛でがんじがらめになっているキャラだとしたら、多紀は、その自分をあてはめる枠を見つけられなくて苦労している感じ。同じように内面に目を向ける展開でありながら、非常に好対照です。

また、凛音が恋愛にいたる「過程」を重視していたのに対して、多紀の場合ははじまってしまった恋を、どう消化していくか(意味づけていくか)にクローズアップしていく。キャラ絵のかぶり具合も含めて、凛音の対になっている感があります。

ebf8aaeb.jpg

ヤバい興奮する……。修次もこの多紀さんを見て一気に野獣化。むべなるかな。

多紀は、自分の「内」と「外」が一致していない。その部分をどうやって埋めていくかが話の中心……になるかと思ったんですが、想像以上のエロ担当でした(笑)。修次も、ウブな多紀さんをいじめて大喜び。私の息子も大喜びです。というかこんな目とこんな表情で、「帰らないで」とか言われて理性保てるヤツいるんですか?

そんなこんなで、「キスよりも遠く、触れるには近すぎ」る感じがなんとも味のある多紀さん。物語的にはこちらもボーイミーツガールですが、カラダの関係から先に始まるタイプ。ただ、この娘本体のかわいらしさもあって、あんまり不純な感じはしません。全体としてみると、ゆり姉につぐイチャラブというかイヤラブというか、そんなルートでした。

**********

#4 大泉 舞羽
  ――疲れるんですよ。まるで同じ量を返して欲しいって要求されてるみたいで。

明るく元気でロリロリした後輩――などでは全然なくて、恐らく4人のヒロイン中、最も癖があるのが、このまうぞうさん。自称が「まうまう」だの「まうぞう」だの「まうっち」だのとコロコロ替わるのですが、それがどうしてかということは、ゲームを進めていればわかってくると思います。ただのボケキャラでは、決して無い。

実際物凄く頭が良くて、しかも冷淡。たとえば凛音がある事件でとった行動に対して、舞羽はバッサリ言います。「傷つけられるのが嫌ならそう言えばいいんです。でも、言えない。言えないから呉藤先輩は呉藤先輩なんです」

舞羽の特徴は、この頭の良さというか、ちょっと離れたところから自分や、自分を取り巻く関係を見るところ。そして自分も「造る」、そういう物凄く自覚的で意図的なところにあるのだと思います。だからかどうか知りませんが、彼女の立ち絵は常に正面ではなくて、ちょっとナナメを向いています。ストレートには来ない。

ce7b9ec2.jpg

面白さ。それが彼女の求めるもの。

ある意味で凛音よりよほど原理原則主義者で、多紀よりもずっと醒めたキャラなのですが、そんな彼女が「ヒーロー部」に参加したのは「楽しい」から。いったい彼女がどうして楽しさを求めたのか、そこで見つけようとしていたのは何だったのか。そのあたりは、プレイしてからのお楽しみということで。

彼女に関しては突っ込んだ話をすると色々楽しみが薄れそうなのでこの辺で止めますが、世の中や人間を斜めから見ている彼女に対して、主人公はまっすぐそういうものと向き合っている。だったら、どうやって彼女の心の扉を開くか。それはもう、全力でバカ(アホ)なことをするしかない。

508f7b66.jpg

呆れつつも、心からの声に対してはきちんと向き合ってくれる舞羽。

理屈で自分をかためたり、そういうものでは舞羽のほうが一枚も二枚も上です。だから、修次がそこで勝負しても、彼女の心には届かない。修次の武器は、たとい打ち返されるとわかっていても、まっすぐにストレートを投げ込むクソ度胸しかないわけです。

そういう、ある意味ではアツい……と言えなくも無いかもしれない舞羽ルート。正直物議を醸すというか、「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」という人もいるだろうし、この後の2人がどうなっていくのか想像すると、必ずしもそこにあるのは平坦な道じゃないだろうなと思うのですが、そういう想像が働くということが、この2人のキャラクターが凄く上手に描けているということに思えるし、私はこういう余韻の物語は好きなので、かなり気に入っています。

**********

あとは本当は高日向修次という主人公についても書いたほうがいいのかもしれませんが、まあ男の話はどうでもいいやということで、これにてキャラクター紹介兼、本編の内容紹介はおしまい。

キャラについてもっと知りたい! という人は、初回特典の小説必読だと思います。ゆり姉と修次くんの「昔のエピソード」とか。

さて、私が『ポケ恋』について思うのは、キャラを中心に動かした作品だ、ということです。

そして、それを可能にしたのが既存のADVという「思想」からの、些細な逸脱の積み重ねであった、ということばかり、これまでは書いてきました。(本当は「画期的」とか「革新的」のほうがイメージ良いのですが、そこまで行くと、今度は本当に突拍子もないものを期待する人がでてはいけないと思い、あえて「奇妙」という言い方にしています)

ただ、そういうレビューは物凄くイビツです。なぜというに、「作品内部が楽しい」と言ってるのに、その「内部」の話にはほとんど触れていないから。カタチの話しかしてない。本を褒めるのに、装丁の話ばかりしているようなものです。

もちろん、多少わざとやっている部分もあります。それは、説明しないとただキャラがいいだけの普通のゲームになってしまうからというだけではなく、表現の形式と内容をずらした作品だという主張によって、作品の面白さを言うという逸脱を真似してみようとか、そういう遊びの気持ちもあって。

ただ、一度くらいきちんとキャラの話をしておきたくなり、今回はキャラ紹介を中心に本編のレビューといたしました。私の考えでは、これが一番ストレートに、作品の魅力を伝えることになるのではないかと思いますし、少しでも伝わることを祈るばかりです。

最後にではございますが、スタッフのみなさんには、たいへん楽しい時間を過ごさせて頂いたことに感謝を。

このエントリーをはてなブックマークに追加   

自分のタイムラインは信じたいかもしれない

統計もとっていなければ特に有力な根拠もないので、かなりテキトーな話になりますが、今日ちょっとあるかたとお話をしていたときに、「最近はソースすら確認しない人が増えたよね」という話題がでました。

勿論情報ソースのことで、おたふくとかウスターとかではありません。そういえば昔、「情報ソースは案外気にされないという話」なんて記事もかきましたし。今回もそれのパターンみたいなもんです。

そう。ソース。2chに限らず昔のインターネットというのは、それはそれは怖いところ……だったかどうかはわかりませんが、とにかく、恐ろしくデマや誤解が飛び交っていたし、事実無根のネタで他人を引っ掛けてやろうみたいな動きもありました。

私は高校生当時とかあまりネットをしていなかった(テレホーダイとかの時代ですからね)のですが、それでも「いんたーねっとはこわいところや……」という意識だけは漠然と持っていました。それは、狐と狸の化かし合いの世界が広がっているというイメージがあったからです。

そういう世界の鉄則は、「疑わしきは信じない」ということだったのだと思います。私の友人はネットが今よりもずっと、世間からの評判が悪かった(いまも良いとは言いがたいのかもしれませんが、2ch読んでるとか書いてるなんていうのは犯罪者予備軍みたいな扱いをする人があふれていた時代もあります)当時から、情報の取捨選択を行なうリテラシーが無いと読めないけれど、そういう文化にも触れていないとそもそもリテラシーを養えないよ、みたいなことを頻繁に言っていました。

その彼が常に言っていたのは、「経験談は信じるな」。そして「ソースを確認しろ」ということでした。まあそうやろうな、と思います。与太話なら良いのですが、重大な話や何かの判断に使う場合には、きっちりしたエビデンスが求められる。それが無いのならそもそも信じるな、ということです。また、ソースがついていてもその解釈が本当に妥当かどうか。全然違うふうにも解釈できるのに、強引に一義的な解釈をしている……などのように、ソースはあってもその扱いが不適切である、ということも少なくありません。

こういう「ソース確認」というのは、ネット文化が他のメディアに対して非常に優位に立っていた部分であると私は思います。たとえばTVでは、ニュース番組ですらソースを提示することはほとんどありません。だいたいが「独自調査」で、それは「経験談」とほとんどかわらない。あるいは、専門家のインタビューなどを取ってくる場合もありますが、それはやはり「自分たちで編集」しているもので、誰にでも手に入るものではないうえに加工が自由ですから、ソースとしての力はきわめて弱いと言わざるを得ないでしょう。そういう部分を、まずは疑ってかかる、というのは「新たなメディア」で育つ世代の基本スタンスになるだろう。これで既存のメディアは息の根を止められるか、少なくとも変革を迫られるかもしれない。そんな漠然とした予感もありました。

しかし、そんな「ソース大事に」を保ってきたネット文化で、今やツイッターでデマが大拡散……などというのは日常茶飯事とまでは言わないまでも、非常に頻繁に起きる事態になりました。なんでそうなってしまったのか。帰ってきてから、ぼんやりとそんなことを考えていたんですね。

これはまあ、メディアリテラシーの低下だとか、利用層の違いだとか、そういうことは確実にあるのでしょう。いわゆる「まとめサイト」なんかの恣意的な編集に踊らされたり、あるいはそもそも勘違いで書いていた内容を多くの人が鵜呑みにしたり……というのは、明らかにそういう部分から来ているのだと思います。ただ、ツイッターに関して言えば、そういうのとは別に、ツールの性質に依存している部分が大きい気がします。

というのは、ツイッターのタイムラインというのは基本、自分で構成するものです。多くの場合、そこにいる人たちとある程度の親密なやり取りはあるでしょう。そういう「自分で選んだ」という自負と、「知り合いだから」という遠慮みたいなものが、その発言者に対して強くツッコミを入れたり、彼の勘違いを暴いたり、あるいはそもそも「嘘かもしれない」と疑う気持ちを薄めてしまうのではないか。論敵しかフォローしない人とかは知りませんけれども。

つまり、インターネットの「匿名」性が失われたことで、信じることのハードルが下がった、あるいは疑うという行為へのハードルが高くなった。そんな事情があるのかもしれません。

よく言われる、人間「見たいものしか見ない」というのもあって、相手への信頼性が高いと、明らかな嘘でも信じやすくなるということについて▼こんな研究▼こんな研究が心理学の分野で行われて、相当程度事実であると認められているようですしね。最初から「この人の言うことは信用できる」とか、「この人の言うことを嘘だと指摘すると気まずいしめんどうだ」とか考えていると、ソースを確認する手間を惜しむようになるのではないかな、などと。













…………というわけで、無関係ではないけれど「全然ソースじゃねえだろ」っていう話をリンクで貼ってみたんですが、どうだったでしょうか(爆)。

いやまあ、さすがにこういう「実際に見ないと何もわからない書き方」をすると確認しやすくなるとは思うんですけれど、逆に言えば「うまい書き方」をすれば、ソースを適当にでっち上げることもやりやすいのだと思います。

最後のリンクのことはちょっとした遊びのつもりなのですが、なんか「試された」みたいで不快に感じられる方がおられるかもしれず、そのことについては最後に謝罪しておきます。「ンなもん引っかかるわけないだろ。最初に『有力な根拠もない』と書いていたのをちゃんと覚えているわい、バカにすんな」という場合も、それはそれで失礼いたしました。

で、偉そうに言っておいて私もあんまりソース確認しないですっていうのが毎度のオチ。


このエントリーをはてなブックマークに追加   

まぐれでも何でもあたれば嬉しいという話

AXLさんの新作、第九弾『百花繚乱エリクシル』の声優さん情報が発表されました。

公式:『百花繚乱エリクシル』キャラクター情報

結果は以下のとおり。

マーガレット: 碧山もか
アンドロメダ: 青山ゆかり
カトレア: 鈴音華月
バジル: 桃井穂美
ジャスミン: 歩河みぃな
(敬称略)

で、「本気で挑戦」と称し、過去三度にわたってグダグダ記事書いてきた私の予想は「『百花繚乱エリクシル』の声優さん当てクイズに本気で挑戦してみる(3)」(←こちら)だったわけですが……。

自慢させてください! なんとびっくりの全問正解でした。やったね、ぱうぱう~♪ まあ、言うほど難しくもなかったのはわかってます。でも、ノリで。たまには……。

いやただ、まさか全部あたるとは思っていなかったので、ちょっと嬉しいです。きっとあたった方は他にもおられる(コメントくださった雨楽さんも同じ予想だとおっしゃっておられましたし、検索かけるとちらほら見つかります)でしょうから、ここからサイン色紙的なものが当たるにはまだまだ遠い道のりだとは思うのですが、それでも最初の関門は突破したということで……。色紙、あたると良いなぁ。(というかこれ、そもそも「完解」で色紙ではなくて、各キャラごとにあたっていればOKなのかな? だとしたら倍率はもっと高そうです)

どうでも良いけど、クイズに「あたる」のと色紙が「あたる」のが一緒なので面倒くさい。前者を的中、後者を当選、とか言い分けるべきでした。もう面倒だからこのままいきますけれども。

もしこれまでの記事を参考にして、「まあこいつの予想に乗ってやるか」と応募したらあたったよ! という方が一人でもおられると、記事を書いた冥利に尽きます。ぶっちゃけこういう結果しか意味のないタイプ(思考過程はどうでもいいといえばどうでもいい)の記事は、書くときになかなか勇気がいりましたので……。ほんと、一安心です。

解体する物語によせて ――『ポケットに恋をつめて』という作品について

先日プレイし終えてから色々考えていた『ポケットに恋をつめて』(青空ビスケット、2013年3月15日)の感想を、批評空間さんに投稿した(こちら:ネタバレ無し)。

したのは良いが、なんだか当初の予定と大幅に(これは本当に大幅に)違うものができあがってしまった。ツイッターでB2Fさん(@B2F_ )の勧めもあって、箇条書きにしようかとか(B2Fさん、その節はアドバイスありがとうございました)、あるいは楽しい話に相応しいコント的な文章を書こうかと思っていたのだが、結局いつもどおりか、いつにもまして、嫌がらせのようにくどい説明話である。一応装いはレビューのようにしたし、最低限のことは盛り込んだものの、どこに何が書いてあるか分かりにくい。どんな作品かを知りたくて見るには、明らかに不向きだ。

自分で読み返してみたけれど、正直あの感想を読んだ人が、「どんなゲームか分かった!」というのは、あんまり無いんじゃないかと思う。もちろん感想なり批評なりというのは純粋な「紹介」ではないので、必ずしも内容の説明になっていなくても構わないとは思うが、それにしたって参考になるかどうかも怪しいレベル。

ただ、書きたいように書いたことの後悔はないし、そう思うと今度は言い足りないところも出てきてしまい、今回少し記事として自分なりにまとめてみることにした。自分のために書いていたのがいつの間にか大きくなった形なので、少々読みづらいかもしれず、そこはご容赦いただきたい。

なぜそんなモン投稿するのかと言われれば、一応自分で書いたとはいえ、我ながらグダグダになった感想が、少しはわかりやすくなるかもしれないという期待のため。さきほどは「参考になるか怪しい」と自嘲したけれど、やっぱり私には、あんなのでも一つの「紹介」になっているという自負が、多少はある(でなければそもそも投稿しない)。だから、それは説明をしておきたかった。

という名目と、あとはまあ、実はこういうこと考えてましたとアピってみたいのだとか、そんな功名心みたいなものも汲み取って、生暖かく見守って頂ければ幸いである。

▼奇妙なおもしろさ
『ポケ恋』という楽しい作品の感想を書いていたはずなのに、どうしてあんなことになったのか。つらつら考えていたのだけれど、理由は簡単で、ひとつには私が頭でっかちな性分だから。かといって私だけのせいかというとそればかりでもなく、作品にも原因の一端を引き受けてもらうならば、もうひとつの理由は、あの作品を褒めようと、あるいは面白かったところをあげようとすればするほど、作品をけなし、面白くなかったところをピックアップしているようにしか見えなかったからだ。

たとえば、私が最初に書いていたメモを見てみると、やれ「話がバラバラで繋がっていない」だとか、「ストーリー性が薄い」だとか、「ユーザーへの配慮より登場人物の都合を優先している」「キャラ中心のゲーム(キャラゲー)」のようなことがずらずらと書き並べてある。それは私にとって、間違いなく『ポケ恋』という作品の良さを語ろうとして、苦心した末に出てきたことばだったのだけれど、しかしまあ、どう考えたって「褒め言葉」からは程遠い。

何としてこの溝を埋めようか。そのことを考えながら書いていたら、あんなんになってしまった。我ながらひでぇ話だと思うけれど、実はそれほど特殊なことを言ったつもりも無い。結局のところ、上に挙げたようなこの作品への「賛辞」が、一般的なエロゲーにとっては否定的な意味を持つという、そのような事態がなぜ発生するのか。私の問題意識はそこにあり、それはたぶん、この作品をプレイした多くの人に共有されうるものではないかと思う。「『ポケ恋』って、なんかヘンなゲームなのに、なんで面白いんだろう?」というかたちで。

▼物語の構造と解体
さて、与太話はこのくらいにして本題に移ろう。本題と言い持って少し関係ない引用から入るのが恐縮だが、もう少しお付き合い頂きたい。

かつて更科修一郎は『カラフルピュアガール』誌(2000年くらいのエロゲー雑誌です)の『Kanon』の記事で、こんなことを書いていた。

物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアルで曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号へ解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品&作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。

 そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。

 商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアルな物語要素の代表例である[奇蹟]は、近年は「陳腐なもの」として、扱うことを避ける傾向にある。(N.P.C. Vol.08『Kanon~残された者のために祈りを』 )



プロップって誰やねんというツッコミが入りそうなので、まずはそこから。ウラジミール・プロップはロシア(旧ソ連)の民俗学者であり、構造主義を物語分析に適用した(『民話の形態学』)、文学畑ではそこそこ有名なオッサン。プロップ自身の専門は、民話(むかしばなし)で、彼は民話から抽出した構造が、あらゆる物語にあてはまると考えた。[※1] 要は、神話や民話、あるいは詩のような古典的な文学のみならず、近代の小説も――もっといえば人間が物語を語るということそのものに関して原理的な考察を行おうということであり、そういう物語研究の土台が彼によって作られた、くらいの認識で良いだろう。たぶん。

ともあれここで更科が述べているのは、物語というものの構造があきらかになり、それによって「スピリチュアル」だった物語というのは、まるで工業製品のように機械的に生産可能なものになった、ということだ。あるいは「なってしまった」という否定的なニュアンスを含んでいるかもしれないが、ともあれそこでは、「読み手にウケるか」という結果までも、ある程度折込済みにして物語を作る態度が定着していった。「スピリチュアル」に対して、「マニュアル」とでも言えば良いだろうか。あえて分かりやすさを重視して言い直せば、一点物の、その人にしか作れない(実存的な)「物語」は姿を消し、かわりに大量生産・大量消費の量産商業主義的な物語が生まれた。そしてそれは、物語なるものを分解し、分析の対象としたことによってひきおこされた、というわけだ。

こうした分節化されてゆく物語の帰結=更科が言うところの「オブジェクト嗜好」(「志向」ではない)に関する検討が、どの程度妥当なものであるかはともかくとして、物語を構造的に把握しようという考え方が2000年以降現在にいたるまで、クリエイター・ユーザーを問わず、オタク界隈ではある程度共有されてきたということは疑いのない事実であるように思われる。

それは私のような、頭でっかちなサブカル崩れの人間だけではなく、現場で実際の創作に携わるような人たちの間にも、強固に、そして隠微に共有された信仰だ。実際たとえば、「ライトノベルの書き方」のような本が書かれ、クリエイター志望の人間にひろく読まれ、専門学校でその手法が教えられ……といった制度化の動きは急速に進み、そして今なお残っている。ヒロインは何人が良いだとか、その属性はなんだとか、そういった考え方そのものが既に、セールスを織り込んだ物語の「マニュアル」なのだ。

[※1]……たとえば、『桃太郎』は「主人公の出発」、「主人公の移動」、「敵対者の処罰」……のように要素分解され、その組合せによって物語は作られている。そして、対象が昔話であれ近代小説であれおよそ物語である以上、限られたパーツに分解できる、あるいは物語というのは、パーツの組合せによってつくり上げることができる、というのがプロップの主張の骨子である。七十年代から八十年代にかけて爆発的な影響力をほこったフランス現代思想に深く食い込んでいたこともあって、それなりに日本でもはやった。さすがにリアルタイムの受容がどんなものだったかは知らないけれど、今でも名前を時々耳にするくらいには。

▼構造という名の束縛
プロップの、あるいはその後続いた記号論的な物語読解が主張するような「物語の構造」の発見というのは、つまるところ、「人間のあらゆる言説行為の中に、再現可能な構造を探り出そうという試み」(中沢新一)である。

その構造なるものが具体的にどんなものかについて、ここで詳述は避けるが、物語にそういう構造ないし秩序があると見なすことが、ある種の束縛として機能することは理解されよう。物語は「かくあるべし」という形で規定され、定式化されることによってはじめてその構造が浮かび上がる――あるいは逆に、構造が「発見」されたことによって、物語は秩序化され、縛り付けられた。

けれど、ここでひとつ問うておかねばならない。果たして私たちは、構造を求めて物語を読むのだろうか。

記号論的な物語読解が主張する「物語の構造」とは、普遍的ななにものかだ。どんな物語からでも取り出すことができ、比較可能なもの。物語を人間に喩えるならば、構造とはその骨格標本といったところだろう。なるほど、皮をそぎ、肉を落として浮かび上がったそれは、ある意味でそのいきものの本質といえるかもしれない。だが、私たちが交わり、友誼を結んでいる「誰か」を思い出せと言われて、骨格標本を想像する人間が、果たしてどれほどいるというのか。あるいは、DNAの塩基配列でも良い。それは人間の本質であって、塩基の配列が私たちの形質のすべてを決定しているのだとしても、そのことと私たちが生きている現実とは直接には結びつかない。

私たちが目指すのは常に目の前にいる誰か――常に、肉も皮もある、総体としてのその人である。

物語とて同じこと、構造を抽出され、分解され、分析された諸要素が、私たちの求める物語そのものであるということは、恐らく無いだろう。『浦島太郎』の、「漁師が亀を助けて竜宮城に行って戻ってきたが、禁忌を犯して老人になる話」という要約をきかされたところで、そこには私たちが生身で触れた「浦島」の姿は無い。「浦島」は、物語の文体や表現、句読点のひとつひとつに偏在し、ただ総体としてしか姿をあらわし得ないのだ。

昔話を読んだ時に感じるあの興奮を、「主人公の帰還」の如き抽出要素から、私たちはおよそ感じ取ることができない。私たちが物語から受取る享楽というのは、常に構造の外側にも(あるいは構造を取り出すことによって削ぎ落とされ、排除されたような細部にも)またひとしく宿っており、取り除いた瞬間に総体としての力は失われてしまうのである。

かくて私たちは、物語そのものからは程遠い「物語の構造」に縛られたまま、その中で物語を求めてあえいでいる。

▼構造の内破と総体性の回復
私が『ポケ恋』から感じたのは、構造という軛から物語を解き放とうとする力である。

それが具体的にどのようなもので、またどこからそう感じたかについては、批評空間のレビューをご覧いただきたいが、敢えてまとめるならば、物語の諸要素を細分化し、それらを再構成することによって、構造を用いながら構造が保っていた秩序を破壊する試みが、そこにはあったように思われるのだ。その試みが意図されたものであったか、はたまた偶然の産物であるかを、ここで問うことはできないけれど。

物語を読むことで私たちが求めていたものは、物語の構造ではない。少なくとも、そのように思う人たちは少なからず存在する。私たちは、ただ物語という経験に惹かれるのだ、と。そう信じる人に向けて、新しい物語を紡ぐこと。私たちが生きてきた、物語という制度を内破させ、想像力を拡げていくこと。それこそが、『ポケットに恋をつめて』という風変わりな作品が示し得た境地である。そのように言うことは許されないだろうか。

物語は構造によってではなく、ただそこに生きる人びと(キャラクター)によって成り立っているのだと、既存の物語という制度を組み替えることで『ポケ恋』は振舞ってみせる。このときキャラクターは、制度化/秩序化された物語の世界を、内側から突き破る力となるだろう。そして、自由になった物語は、キャラクターのもとでその総体性を回復するに違いない。総体性とはつまり、物語の世界が自律的に駆動し、常に構造化から逃れているということ。要するに、キャラが勝手に動きまわって書かれている以上の物語を内部から生成していくような、想像力の源泉としての力である。

今後も続く可能性となるのか、あるいは一代限りで途絶えるのか。それは私には分からない。ただこのような作品に出会えたということが、そしてこのような作品が現にあったという事実が、物語に縛られたこの世界を生きる人にとって、いくらかの、慰めとなるかもしれないとは思う。

▼物語のはじまり
私はこの記事のはじめのほうで、「どうしてあんなことになったのか」と書いた。今更ながら振り返れば、私が感じていた書きづらさの正体は、本当はきっと、ここにあるのだと思う。つまり、物語の構造化を破ろうという試みを前に、その「構造」を取り出そうとすることは、この作品の本質的な部分を、どこか決定的に損なってしまうのではないかという懸念があった。ただひとこと、「面白かった」とだけ言えばそれでこと足りる、そういう作品だと言われればそうなのかもしれない。しかし同時に、この作品から受け取った違和感を、何か形にしてみたいという気持ちもぬきがたくあった。

とりあえずやってみた感想としては、ぐるぐる回った挙句しょうもないことしか言っていないという挫折感と、またこういう内容について、私のようにまわりくどい説明的な形をとらず、しかも私よりずっと端的かつ鮮やかに示すことができる人はたくさんいるはずで(私の頭のなかですぐに2、3人の名前が挙がるくらいには)、そういう人に任せりゃよかったなぁと思うものの、そもそも「そういう人」がプレイしない可能性もあるわけで、ならまあ紹介役くらいにはなれていたら良いなぁという、割と卑屈な思いがあったりする。

ともあれ、言いたいことはほぼ尽きた。いや、本当はまだある気がするけど、これ以上は蛇足だ。

ゲームが終わる時、私はなんとも言えない名残惜しさと、それでもきっとまだ彼らの世界は続いているのだろうなという妙な安心を同時に感じた。「ポケットに恋をつめて」というタイトルは、文法的にはこの後に続く文章を、内容的にはどこかへ出発していくイメージを、想起させる。だからたぶん修次たちの物語は終わるのではなく、ゲームが終わったところから始まるのだ。この作品で描かれていた「恋」をポケットにつめて、私はもう少し、彼らとの物語を楽しんでみたい。

……普通のレビューは、別途ちゃんと書こうかなと思っています。なるたけ楽しい紹介文を。

このエントリーをはてなブックマークに追加   

秋葉メロン2号店はエロゲーのお店

明日22日、メロンブックスさんの秋葉原二号店がオープンします。

公式:「あなたの『欲しい』をアキバの街から!「メロンブックス秋葉原2号店」!

参考:「エロゲー・エロ漫画・エロ同人誌。大人向け「メロンブックス秋葉原2号店」オープン」(アキバBlogさん、2013年3月21日)

メロンでエロゲー予約したら、「受取は2号店で」って言われたのでだいたい分かってはいましたが、取り扱いは「美少女ゲーム、大人向けコミックス&雑誌&同人誌」。中でも美少女ゲームが主な商品となるようです。

このご時世に、既存店舗の拡張的ニュアンスが強いとはいえ、エロゲー専門みたいなショップが出来るというのは非常に嬉しいです。ありがたいです。応援しています。これまでシステム的にちょっとやりづらかった、メロンさん店舗でのエロゲーの予約も、多少はやりやすくなるでしょうか。期待したいところです。

ただ、営業時間が「11:00~20:00/年中無休【年末年始を除く】」となっていて、1号店より2時間ほど早く閉まるんですね。発売日当日、仕事帰りにちょっと……というのには厳しいかもしれません。

あと、オープニングフェアのイベントが色々凄いです。これは、明日長蛇の列が予想されるかも。目玉は1000名様に配布される、萌木原ふみたけ先生の複製色紙でしょうか。1000名って相当数あるんで、朝から行けばもらえないってことは無さそうですが。サイン本はようわかりません。エロゲー関係? だとしたらちょっと興味あり……。でも「各社」ってなってるから、あんまり関係なさそうかな?

とまれ、月末戦線を間近にして、エロゲー業界が盛り上がる、たいへん良いお話の気が致します。

一人で祝杯。

このエントリーをはてなブックマークに追加   
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
 ▼OYOYOの新着レビュー

ご意見、ご感想があればメールフォームからお寄せ下さい。面白かったよ! という時は、彼女に拍手してくれると喜びます。


記事検索
応援バナー(1)
シルキーズプラス A5和牛 『バタフライシーカー』

あけいろ怪奇譚
バナー(3)
AXL新作第12弾「恋する乙女と守護の楯~薔薇の聖母~」 2016年2月26日発売予定!
発売中応援作品
メールフォーム
Twitter
応援バナー(2)
『夏色ラムネ』を応援中!


もっと!孕ませ!おっぱい異世界エロ魔法学園!

情熱FX大陸